第5章第3節
スッ。
「………」
無言のまま拓人はその左腕を眼前に運ぶ。その手首に巻かれた時計の長針は6を、短針は9と10の間を指している。それを確認すると、左腕を下ろす。久遠と千里石のリンクが切れて約30分。先程から彼はこの動作を数分ごとに繰り返していた。別に彼も好きで繰り返しているわけではない。が、今、拓人にはすることが、いや、出来ることがないのである。
久遠は先程から、その瞳を閉じたまま、微動だにしない。リンクが切れた後、どうにかそれを繋ごうと意識を集中している。その光景が拓人に無力さを実感させ、より焦りを生む。
(僕に出来ることは無いのか!?)
ここに来て、いや、以前から繰り返されていた言葉が脳裏をよぎる。そして、この言葉の後、さらに焦りは積もっていく。
その傍らで、久遠は静かに瞳を閉じている。普段の彼女ならば、拓人の心情を察し、彼の焦りを和らげようと言葉をかけるのだが、今の彼女はそれに気づくこともない。
焦りの中で拓人が再度その左腕を上げようとした時、
(なんだ?)
彼は周囲の空気に違和感を感じ取る。彼にもう少し感じ取る力があれば、そして知識があれば、それを気質が変化したと表現出来ただろう。そして、
「久遠さん?」
久遠もまたそれを感じ取り、深く閉じたその瞳を開く。そして、
「………?」
それとは別の微弱な気の波を感じ取る。
「……これは……!?」
波は彼女が求めていたもの、つまりは千里石の気である。久遠に途切れていた情報が流れ込む。
「繋がった……」
その意味を理解し、拓人は問う。
「……それであいつは?」
「生きてる。でも……」
「………っ」
久遠の口からその先の言葉出てこない。しかし、拓人が現状を理解するにはそれで十分だった。
「少し話をしてくるわ……」
「えっ?」
拓人にそれだけ伝え、久遠は意識を沈めていく。彼女の元へ行くために。
◆◇◆◇◆
『青』ただその色だけがどこまでも広がっている。それ以外のものはここにはない。『彼女』はその青に包まれている。
「………」
彼女の瞳にも当然『青』しか映ってはいない。もっとも彼女の表情は虚ろで、その目蓋は僅かに開いているだけである。何も見てはいない。もし、彼女がここを見ていれば『青の世界』と呼ぶかもしれない。まあ、取り乱すのが先だろうが。
「………」
彼女はただそこにいる。いつからここにいるのかも覚えていない。いや、それどころか今は意識すらない。
「………」
パァァァァァァァァッ。
それまで変わることの無かった『青の世界』に銀色の光が現れる。光はゆっくりと彼女の方に流れ、その視界に入ってくる。
「………?」
近づいてくる光に反応し、彼女の意識は緩やかに目覚めていく。
「……何?」
虚ろな意識。それでも目覚めだした彼女の意識はその光に集中していく。いや、目覚めたからこそ、この世界に無い光をその瞳で追ってしまう。
やがて、近づいてくるものが『光』ではなく、銀の光を纏った女だということに気づく。
「……あなたは誰?」
彼女は近づいてくる女に問う。素っ気ない言葉だが、ここに来て彼女が初めて口に出した言葉である。
女は彼女の言葉に微笑みを浮かべ、優しい表情で応える。
「初めまして聖、私は久遠」
「聖……?」
その言葉がなんなのか彼女は理解できない。ただ大切な言葉であったように思える。
「あなたの名前よ……」
「名前……ああ、そうだ私は聖だ」
久遠の言葉により、それまで虚ろだった彼女の、聖の意識は急速に覚醒していく。そして、それに伴い疑問が生まれる。
「ここはどこ?」
自分と久遠を包む『青の世界』。彼女の知識ではここを理解することは出来ない。
久遠は彼女の問いにただ静かに答える。
「あなたの精神の海……」
「……私の?」
「ええ」
「精神の海……」
聖は焦り、きょろきょろと周囲を見回す。が、右を見ても、左を見ても、さらに上を見てもただ青という色だけが、その瞳に映るだけである。珍しい光景ではあるのだが、感動を覚えるようなものではない。ただ、何故かここが『精神の海』ということは何の疑いもなく受け入れることができた。そして、彼女はさらなる疑問に気づく。
「久遠さん、1つ聞いていいですか?」
「何?」
「……あなたはその……どういう人なんですか?」
ここが『精神の海』だということは理屈ではなく、ただ自然にそう理解することができた。だからこそ、自分の心の世界にいる彼女の存在が疑問となるのである。
言葉を選んだ聖とは対照的に久遠は自然に、そして彼女が理解できるように答える。
「あなたに取り憑いてる幽霊よ……」
「幽霊!?」
「そう」
聖の顔はみるみる強ばっていく。オカルトというジャンルに対し、聖が持っている知識はTV番組のつたないレベルでしかない。そんな彼女からすれば、それは十分危険な単語である。が、
「あっ……」
ここで彼女の脳裏に一つのキーワードが浮かぶ。
「もしかして、敬さんが言ってた?」
「ええ」
敬吾という共通点を見つけたことにより、聖の顔から緊張の色が消える。
「そっか。それで久遠さんは何故ここに?」
「あなたにお願いがあってきたの」
「お願い?」
予想外の答えに、聖はその単語を繰り返す。
「そう。私と一緒に敬吾を助けて欲しいの……」
「えっ……?」
さらに予想外の言葉に、口からそう零れる。
「敬吾は今、夢魔と戦っている。けれど、このままでは死んでしまう……」
「死……」
普段はリアリティも無く、TVを始めとするマスメディアからしか聞かない言葉だ。しかし、それが自分の知っている名と続けて出ることにより、その言葉は冷たさとともに現実味を持つ。
「だから、あなたの力を借りたいの……」
言いながら久遠はその手を差し出す。が、
「でも、私に出来る事なんて……」
聖はその手から逃げるように体を引く。敬吾を助けたいとは思う。だが、だからこそ怖いのである。彼女には何の力もなければ、人生で命を左右するような経験をしたこともない。そんな自分が助けに行こうとすれば、逆に敬吾の命を危険に晒しかねない。敬吾は違うと言ってくれたが、病院では自分のせいで御祓いは失敗している。それに、
「恐い……」
彼女の顔に純粋な恐怖が浮かぶ。彼女には戦う力はない。これに加えて夢魔に2度も襲われている。彼女の反応は人間として、いや、生き物として純粋な反応である。
久遠は聖のその心情を読みとる。そして、それを祓うためにより真摯な心で訴える。
「確かにあなたには戦う力はない。でも、あなたには力がある」
「力? そんなもの持ってませんよ」
「いいえ、。あなたには力がある。その力は人間誰もが持つ力。それを私は借りたいの」
「………」
聖に動きはない。ただ、差し伸ばされた手を見つめるだけである。
「あなたを包む恐怖はわかるわ。けど、このままではそれを祓うことは出来ない」
敬吾が倒れれば、彼女を包む恐怖、夢魔は再び彼女の元に現れるだろう。正論である。が、
「でも、私が助けに行っても、絶対に勝てるってわけじゃないでしょう?」
聖のこれもまた正論である。物事に絶対なんてものはないし、この状況で絶対と言われればそれこそ信用できない。そして、それを理解出来るからこそ、久遠は正直に答える。
「確かにそうね。でも、今よりは可能性はあがる」
「………」
先程と同じく聖は答えない。しかし、その表情は先程と違う。彼女に迷いが生まれていた。
久遠は再度、真摯な気持ちで訴える。
「あなたと私が力を1つにすれば必ず敬吾を助けられる。力を貸して」
「1つに……」
聖は差し伸ばされたその手を、いや、選択しを見つめる。
「それで敬さんを助けられるんですね?」
久遠は静かに頷く。
「行きましょう。敬さんの所に」
言葉と同時に2人の手は重なり、2人の想いは1つになる。1人の男を救うという想いに。
◆◇◆◇◆
荒れ地、そこはそう呼ぶに相応しい土地である。長い月日を陽に照らされたかのように乾き死んだ土。そして草木の変わりに大地の主となっている岩と砂利。まさに荒れ地である。その何も無い死んだ大地に敬吾は倒れている。倒れている敬吾を夢魔はただ見下ろしている。
「……生きてる?」
「………」
夢魔の呼びかけにも、敬吾の体は何の反応も示さない。
「本当に死んだの?」
「………」
2度目の呼びかけにも、反応はない。ただ1度目と違うのは、額から流れる血の筋が1本から2本になったということである。
夢魔はその血の筋に視線を移す。
「これが死か……」
予想していたものと比べると、感動は小さい。いや、むしろ予想以上につまらない。
「ちょっと期待しすぎたかな……」
嘆息混じりに言葉を漏らす。その顔には落胆の表情が浮かんでいる。
「………」
落胆の表情のまま、倒れている彼に視線を送る。もしかしたら、まだ何かがあるんじゃないかと期待して。そしてその期待にそうかのように夢魔の耳は僅かな音を捕らえる。
スー、スー。
「………?」
僅かに聞こえる呼吸音、それは敬吾の口元からである。
「ん? まだ生きてるんだ」
まだ生きている。本当にただそれだけのことである。放っておいても間違いなく死は訪れる。例え今すぐに治療を施しても、助かるかと言われれば疑わしい。
「……どうしようかな」
このまま彼が息絶える瞬間その瞬間まで見守るのもいいし、今すぐ止めを刺して、その断末魔を聞くのも悪くない。どちらの選択もこれから創る世界に活かせるだろう。
夢魔はその顔を天に向ける。そこに答えを求めて。しかし、いや、当然、空に答えはなく、浮かぶ雲にも動きはない。一瞬、違和感を覚えたが、それもすぐに消える。複製された空間には動きはない。
「ああ、そうか……」
得られたのは、ここが創られた場所だという再確認だけである。そして、すぐにその顔を下に、つまりは敬吾に向ける。その敬吾には何の変化もない。当然、そこにも答えはない。そして夢魔は答えではなく、結論を出す。
夢魔は右手を敬吾に向け、その掌に陰を収束させる。
「月並みのセリフで悪いけど、楽にしてあげるよ」
その言葉が引き金となり、陰は爆発する。
ボン!!
「えっ……?」
夢魔はその瞳を丸くする。消えていなければならない敬吾の体はそこにそのまま横たわっており、何故か消えるはずのない自分の右手首が消えている。
「………?」
状況を理解できず、夢魔の視線は手首と敬吾を交互に行き来する。しかし、その視線が状況を掴むよりも早く、次が来た。
パシュッ!!
夢魔がその音を把握すると同時に、衝撃によりその体は宙を舞う。
「………!!」
そして、ようやく自分に起きたことを理解する。攻撃されているということを。
自分と退魔師しかいないはずの空間。そこにはいかなるイレギュラーも無い。いや、無いはずだった。軽いパニックに陥りながらも体勢を立て直し、夢魔はイレギュラーを探す。しかし、それよりも早く、
「敬さんから離れなさい!!」
と、イレギュラーの声が響く。
夢魔はその声の方に体を向ける。そして、その視線が捕らえた姿はあまりに予想外なものだった。
「お姉ちゃん?」
夢魔が自分の母親の1人として、選んだ少女の姿がそこにはあった。桐嶋聖。それが彼女の名である。最もその容貌は夢魔が知っている姿とは少し違い、黒かった髪は銀色の輝きを放ち、その瞳にも紫の光が宿っている。
「敬さん!!」
聖は夢魔には目もくれず、敬吾に駆け寄る。が、
「………」
横たわる敬吾は何の反応も示さない。
「どうしよう久遠さん?!」
聖は自分と共にある『久遠』に呼びかける。そして、その呼びかけに答えるかわりに、『久遠』は呪を歌う。
『水(みず)は大地(だいち)を潤(うるお)し、大地(だいち)は生命(いのち)を育(はぐく)む』
聖の手に光が集い、光は雫となって敬吾の額に落ちる。
ピト。
雫は砕け光となって、敬吾の体を包み込む。
パァァァァァァァァァッ。
体を包む光が消えると、やがて敬吾はゆっくりと目蓋を開ける。
「……聖ちゃん?」
敬吾は瞳が最初に映した者の名を呟く。が、その呟きに答えた声は聖のものではなかった。
『良かった……』
その声は自分が幼い頃から共に歩んできた者の声である。そして、敬吾はその名で呼びかける。
「……久遠か?」
「私もいますよ」
が、その呼びかけに答えた声は聖のものである。
「え? あっ……」
混乱しかけたが、すぐにその答えが脳裏に浮かぶ。
「……完全同調か?」
その言葉に『久遠』は首を縦に振る。彼女、桐嶋聖の身体には聖と久遠、2人の意志が宿っていた。
『ええ。それより敬吾……』
「ん?」
それまで微笑みを浮かべていた『久遠』だったが、その表情から笑みが消え、真剣なものへと変わっていく。
「あいつが来ます!!」
「!!」
聖の声を聞いた瞬間、頭が理解するよりも早く身体は反応し、敬吾は飛び起きる。そして、それを追うかのように先程までの記憶が蘇る。
久遠が見つめる方向に、敬吾も顔を向ける。そこには先程まで彼と『劇』を演じていた夢魔の、先程までと変わらぬ姿があった。
「感動の再会はすみましたか?」
その口調自体には変化はない。しかし、先程までは無かった感情が僅かながら声に含まれているように感じられた。
「……んなこと聞くなよ。気がきかねー奴だな」
その僅かに含まれた感情を探るために、敬吾は悪態をつく。
「ごめんね。ちょっと気に入らなくてね……」
悪態に反応し、含まれていた感情が露わになる。それは苛立ち、いや、もっとはっきりとした感情、怒りである。
「へ〜。何が気に入らないんだ?」
夢魔はその右手を静かに上げ、名称通り、人差し指をその対象である聖に向ける。
「そのお姉ちゃんさ……」
「私?」
夢魔に指さされ、聖は素っ頓狂な声を上げる。彼女は夢魔が自分を気にとめるとも思っていなかったのだろう。
「そう。どうやってここに来たの? 外からここに来ることは出来ないはずなんだけどね……」
夢魔のその言葉から、敬吾は理解した。夢魔は自分の予定に無いこと、つまり、聖と『久遠』がここに来たことが気に入らないのだ。しかも、それは敵が増えたという事でではなく、ただ自分のペースを乱されたとゆうことからの怒りである。
(自分の思い通りならないから怒るか……。まるでガキだな)
『久遠』はその夢魔の感情を受け流し、ただ静かに答える。
『敬吾の気を辿って、跳躍したのよ』
先程の『反性効果』の爆発により、この空間に亀裂が入り、そこから通常空間に漏れた敬吾と千里石の気を『久遠』は感じ取り、この場に跳躍したのである。
「ああ、そういうことか……」
夢魔は言いながら左手で髪を掻き上げる。その声から怒りは消えていない。むしろより強まったようにさえ思える。そして、右手を薙ぐよう振り、陰を放つ。
ブーーーーーーン。
放たれた陰は空気を振るわせ、敬吾と聖を襲う。が、
「ちっ!!」
「わっ」
2人はそれを反射的に避ける。
「いきなりだな?」
敬吾のその言葉が夢魔の感情をさらに揺さぶる。
「何かイライラするんでね」
もはや夢魔に先程までの面影はない。絶えず浮かんでいた笑みも消え、今は能面のようにさえ見える。
敬吾は重心を落とし、身構え、夢魔に意識を集中させながら、『久遠』に問う。
「久遠。『言霊(ことだま)』出来るか?」
『ええ……』
答える『久遠』もまた、敬吾同様、夢魔に意識を向けている。
「なら、やるぞ」
『久遠』は頷き、動き出す。その両手に符を構え、それを自分と敬吾、夢魔を包むように四方に放つ。そして、印を組み上げ、呪を歌うことで術を発動させる。
『世界(せかい)は契約(けいやく)に従(したが)い、意味(いみ)を持(も)つ』
『久遠』が呪を唱え終わるのと、同時に四方を囲む符はそれぞれが光を産みだし、光は広がり、四方を包み出す。その間、夢魔はただその様子を眺めているだけである。その術を学ぶという目的と、2人が何をしようと、自分に通じはしないという自信があるのだろう。
光が四方を包み終わると、光は動きを止め『久遠』の術は終わる。
四方を包む空間を取り合えずといった感じで夢魔は見回し、そして、つまらなさそうに口を開く。
「なんです? これ?」
「『言霊』の領域だ」
「コトダマ?」
「ああ」
「それで、これが何だっていうんです? 僕は何ともありませんよ?」
夢魔は言いながら、両手を肩の高さまで上げる。その表情も敬吾をせせら笑っている。が、
「これで俺の勝ちだ」
敬吾はそれを無視し、ただそう告げる。それは宣言でもなければ、予言でもなく、決定事項として。
「……何言ってるの?」
夢魔の顔から再び表情が消え、その声からも感情が消える。
その夢魔の変化を無視し、敬吾は淡々と続ける。
「まず、お前の攻撃は俺には絶対届かない」
敬吾のその言葉がついに夢魔の感情を爆発させ、
「何言ってんのさ!!」
その感情のまま陰を解き放つ。
ギャァァァァァァァァァァァウ!!
放たれた陰は吠えながら、その形を黒い龍に変え、敬吾に襲いかかる。その陰はこれまでに無いほどの質量である。が、
『消えろ』
敬吾の一言。術でもないただの一言で、音も無く霧散する。
「!?」
「さっそく青龍をマネしたな。けど、それも届かなきゃ意味は無い。あっ、先に言っとくが朱雀をマネても変わりはしないぞ」
「………」
夢魔は答えない。その表情に恐怖は無い。が、変わりに戸惑いが浮かんでいる。目の前で起きたことを理解できないのだろう。
それに構わず敬吾はさらに続ける。
『完全な結界』
その声に反応し、『言霊』の領域に結界としての機能が加わる。
「これでお前は逃げられない」
「逃げる理由はないよ……」
答える夢魔の声からはもはや、殺意以外の感情は含まれていない。それとは逆に先程までとはうって変わって、敬吾からは余裕すら感じられる。
「ずいぶん余裕だね?」
「まあな」
「けど、それもここまでだよ」
「その根拠は何だよ?」
「この『コトダマ』ってのはあなたの言葉をそのまま具現化する術だよね……」
「ああ」
ただ素直に答える。
「でも、だからこそ限界があるでしょ? 言葉が全て具現化するなんてあり得ない。いや、それだけの力が人間にあるはずない。もしあるのなら……」
「あるのなら?」
「あなたはただ一言、僕に『死ね』と言ってるはずさ」
「おまえの言うとおりさ。『言霊』には限界がある。二つの言葉を同時に具現化することは出来ないし、意志を持つ存在に直接影響を与えることも出来ない。そもそも、俺1人じゃ使えない。けどな……」
敬吾は懐から一枚の符を取り出し、それに気を込める。符はそれに反応し、その姿を一振りの刀に変える。そして、敬吾はそれに言葉を、意味を与える。
『消魔の太刀(しょうまのたち)』
言葉に反応し、その刃に力が宿る。
「こういうことは出来る。意味は解るな?」
魔を消し去る刀。ただそれだけの単純な、なおかつ絶対の意味を持つ刀である。
敬吾は『消魔の太刀』を夢魔に向け、構える。
「………!!」
夢魔の顔に新たな表情が浮かぶ。夢魔が初めて見せる表情、いや、初めて知った感情、恐怖が。
恐怖をうち消すかのように、夢魔は全身全霊を込めて吠える。
「がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
その叫びが夢魔の身体を陰の塊に変える。
ウォォォォォォォォォォォォゥ!!
それまで夢魔だった陰は叫びを上げながら、敬吾目掛けてまっすぐに飛ぶ。猪突猛進。そこには策略も何もない。ただ全ての力と感情をぶつけてくるだけである。
「………」
敬吾はそれとは対照的に無言で構える。そして、敬吾と陰は交錯し、敬吾は『消魔の太刀』を打ち下ろす。
スッ。
振り下ろされた太刀筋はまるで、空をいや、霧を斬るかのように何の抵抗もなく、その軌跡を描く。そして、その軌跡を描き終わると同時に陰も霧散する。
「あっ……」
夢魔が、いや夢魔だったものが、最後に残したのは悲鳴でも、言葉でもなく、ただそれだけの声だった。陰は意志を失い、世界を構成する気の流れ、万物の海に帰っていく。
「あばよ……」
敬吾は別れの言葉を告げる。その言葉が『劇』に幕を下ろした。