第5章第2節
桜山麓の駐車場。敬吾が山に入って約1時間。久遠は山を眺め続けている。神秘的な美少女がフェンスに腰をかけ、山を眺める。はたから見ればそんな感じだ。まあ、絵にはなっている。が、この寒空の下、それを見に来る者もいないが。最初は拓人も付き合っていたのだが、寒さに耐えきれず。5分もしない内に車の中に退避していった。
先程まで車内で暖をとっていた拓人がザッザッと、砂利を踏みつけながら近づいてくる。その両手には缶コーヒー(ホット)が一本づつ握られている。どうやら近くの自販機から買ってきたらしい。
「寒くないですか?」
言いながら拓人は缶コーヒーを差し出す。
久遠は、
「少しね……」
と、答えるとそれを受け取る。
「あいつが心配なのは分かりますが、中に入りませんか? 外は冷えます」
「心配だからというわけではないの。敬吾に渡した石と意識を繋いでるの」
別に久遠はこの寒空の下ただ意味も無く山を眺めていたわけじゃない。実際は山なんて眺めてもいない。意識を集中し、千里石とリンクしているのである。
「……そうでしたか」
拓人はただそう答える。その表情には出ていないが、おそらく理解できていないのだろう。と、言ってもそれを説明しようという気はない。
拓人は久遠に背を向けると、来た時と同じ砂利を踏む音を立てながら、車に歩いていく。寒いというのもあるが、自分がいることで久遠の邪魔になるかもしれないという配慮もある。
久遠がコーヒーに口をつけた瞬間、
「!?」
衝撃の様なものが彼女を襲い、その手から缶が落ちる。
「どうしました!?」
久遠の異変に気づき拓人はすぐに駆け寄る。
「切れた……」
「え……?」
「石とのリンクが……」
「あいつに何かあったんですか!?」
「分からない。ただ……」
「ただ?」
「敬吾の気も消えた……」
「ま、まさか……?」
「………」
(敬吾……)
◆◇◆◇◆
「火、風に乗りて、空を舞う」
敬吾が呪と印により術を完成させると、その左手に握られた符から炎が産まれ、夢魔に向かって放たれる。それと、同時に敬吾は自分も夢魔に向かって駆けだす。そして、
「真気集い、力を示す」
その呪によって術が完成する。右手に握りしめられた符が周囲から気を集める。収束した気により、右拳は光を纏う。
炎が夢魔の体を飲み込む。それに続いて光の拳が突き出される。
ゴッ!!
重く鈍い音をたて、夢魔の体が宙を飛ぶ。その体が地に着くのも確認せず、敬吾は呪を唱える。
「風(かぜ)、舞(ま)い狂(くる)い地(ち)を砕(くだ)く」
符は風を産み、風は夢魔を包みながら、小規模な竜巻を構成する。当然、中心にいた夢魔は飲み込まれる。
敬吾は両手に構えていた符をその場で手放すと、新しい符を懐から掴み出す。それを確認したかのようにタイミング良く竜巻が消える。
「まったく、雰囲気も何もあったもんじゃないね。そんなに慌てなくてもいいと思うけど?」
竜巻が消えた辺りから夢魔の声が聞こえる。声の方に目を向けても、夢魔の姿は無い。
「人間は戦いを楽しむ生き物なんでしょ?」
「どこから得た情報かは知らねーが、そりゃデタラメだ」
そう答えて、敬吾は右に重心を傾け、
「ふ〜ん。そう。まあ、いいけど……」
その夢魔の声と同時に右に跳ぶ。そして、自分が立っていた方に体を向ける。そこには黒い霧のようなものが立ちこめていた。それがどのようなものかは理解できないが、少なくともあのまま立っていれば、怪我ではすまなかっただろう。
黒い霧はその場で形を変え、夢魔の姿を形成する。
「へぇ〜、今のを避けるんだ」
「殺気を感じたからな」
「動物並のカンの良さだね」
「うるせーな。それよりも戦いは楽しむんじゃなかったのか? 不意打ちなんてよ」
思いっきり嫌味を込めて皮肉るが、
「それは人間の話だよ。それにあなたが間違いって言ったじゃないか」
夢魔は悪びれもせずに返す。もっとも敬吾も向こうが謝罪してくるとは、ハナから思っちゃ無いが。
「たく、なんで俺の皮肉は簡単に返されるんだか……」
「それは穴があるからだよ」
「そうかよ!!」
敬吾はそう叫ぶと同時に、駆けだす。
「真気集い、力を示す」
術の完成により、再び敬吾の拳に光が宿る。
「またそれかい」
夢魔は後ろに跳び、体を宙に固定すると、その手をかざし、
「つまらないよ!!」
その声と同時に『闇』を放つ。
「ちっ」
トップスピードに乗った足を強引に止め、敬吾は右に跳ぶ。
ザッ! ゴッ!
「クッ……!」
無理な体勢で跳んだため、着地に失敗し、膝を着く。
「ほら、次行くよ」
夢魔手から先程と同じ『闇』すなわち陰が放たれる。
敬吾は反射的に体制を立て直すと、これまた反射的に後ろに跳ぶ。幸い足を挫いてはいなかったようだ。
敬吾は右拳を突き出し、上空にいる夢魔に向け、光を宿したその拳を左から右に薙ぎ払うように振る。それに合わせ光は伸び、
フォンンンンンンンンンンンンッ!!
空気を振動させ飛ぶ。それを一言で表現するならば光の刃と言ったところか。
「へっ?」
予想外の現象に夢魔は素っ頓狂な声を上げる。そして、右肩から左脇腹にかけて光が走り、夢魔の体は音も無く両断される。
「………」
その体を両断されたにもかかわらず、夢魔の表情に変化はない。まるで、それにすら気づいてないかのように。
「ざまーみやがれ」
今の攻撃を有効打と確信し、夢魔に向けて悪態をつく。が、
「何が?」
その意味を理解出来ず、夢魔は問う。
「……っ」
夢魔の問いが皮肉ではないことはすぐに理解できた。だからこそ敬吾は表情を歪める。精神体であり痛覚の無い夢魔。その体を両断したとは言え、生物ではない夢魔がそれで即死ということはない。しかし、体を両断されれば、なんらかのリアクションはあると考えていた。それが、両断されたことにすら気づいていない。つまり、夢魔にとって、それはダメージすらなっていないということである。
夢魔は瞳を動かし、自分の体を確認する。そして、ようやく事態を理解する。
「あ、体が切れてるや、格好悪いな……」
夢魔がそう呟くと、分断された体はすぐに統合される。まるで何事も無かったかのように。
「本気かよ……」
敬吾のその声は重い。これまでの戦闘による疲労に加え、目の前で起きている事態がさらに疲労を増加させる。
「本気だよ。大体、あなたは力の差も気づかなかったの?」
「病院で戦った時のおまえなら十分に理解してんだけどな……」
それを元に今回の装備も決定していた。
「あの時と今じゃ、桁が違うよ。この山の気、全てが僕の力なんだから」
「そういやそれ聞きたかったんだよな。どうやりやがった? ここには陽が集まっていたはずだ」
これは敬吾がここに来るまで散々悩んだ疑問である。その答えは是非知りたい。
敬吾の興味の大きさとは逆に夢魔はつまらなさそうに答える。
「確かにここは陽に満たさてた。けど、気なんてさ、すぐに反転させられるんだよ」
「何?」
「もともと自然界の気には意志がないからね。ちょっと手を加えてやれば、性質を反転させるのなんて簡単さ」
簡単なんていってはいるが、当然、人間にはマネできない。高位霊体、つまり、より気に近い存在である夢魔だからこそできたのである。
「むちゃくちゃだな」
敬吾は吐き捨てるように言う。が、夢魔はそれに答えず続ける。
「でも、ちょっとやりすぎたかな? まあ、あの時の僕にすら、苦戦したあなたに勝ち目なんてもともとないけどね」
「俺だってあん時はコンディション悪かったんだ!!」
実際、あの時の敬吾は被害者達の治療に術を使い消費していたし、たいした符も持ち合わせてはいなかった。まあ、油断していたとも言える。結局言い訳にすぎないが。
「それにでかいこと言ってるけどな、俺はまだ生きてる。言うだけの力があるなら、見せてみろよ」
「あなたを殺すのは簡単だよ。でも、それじゃ困るんだ」
その予想外の言葉に敬吾は眉をひそめる。
「あん?」
「僕はね。この戦い、いや……もはや戦いでもないか。劇、そう劇だ。この劇を通して学んでるんだよ」
「僕ちゃんは何を勉強してるのかな〜?」
皮肉を込めて問う。しかし、分かっていたことだが、こういった口調は自分には全然似合わないと再確認する。もし、このシーンを客観的に見ていたら、恐らく自分で自分を殴るだろう。と、ここまで考えて、戦いの最中にくだらないことを考えていることに気づく。まだ、余裕はあるらしい。
敬吾の似合わない皮肉にも、夢魔は動じず素で答える。
「一応、戦いさ。さっきあなたは否定したけど、人は戦いが好きみたいだからね。この先、新しい父様、母様の世界を創るときに必要かもしれないからね」
「なるほどな。ところで、お前は著作権ってのを知ってるか? そういうことなら、金でも払って欲しいんだけどな」
「それに意味は無いね。これはあなたが死んだ後のことになるから。それに万が一にでもあなたが僕に勝てば世界を創ることはないからね」
夢魔は肩をすくめ言う。その表情は完全に敬吾を馬鹿にしたものである。まあ、夢魔から見れば、人間ではない自分に何を言ってるんだ。こいつはというところだろう。
「口達者な……」
敬吾は口元を歪める。言い負かされた上に、小馬鹿にされたのだから仕方ないが。
「クククッ」と小さく笑うと、夢魔はその顔に笑みを浮かべる。
「また穴だらけだったね。で、」
「………」
「そろそろ体は動く?」
夢魔はニッコリと言う。
「ちっ……気づいてたのかよ」
敬吾はゆっくりと構える。先程の光の刃を撃った時点で、スタミナ切れになったため、敬吾は会話をすることで時間を稼ぎ、回復に専念していたのだ。彼自身は気づかれないように演じたつもりだったが、最初からばれていたらしい。
(これが劇だっていうんなら、俺は大根役者だな……)
敬吾が構えをとったことを確認すると、夢魔も再び殺気を解放する。
「動くみたいだね。それじゃ、あなたにはもう少し劇を演じてもらおうかな」
その言葉共に夢魔は手を敬吾に向ける。しかし、夢魔が陰を放つ前に敬吾は駆け出し、一気に距離を詰める。
「真気集い、力を示す」
呪の完成と共に敬吾の右拳は夢魔に突き出される。が、夢魔はそれを左手であっさり掴む。
「この術は見飽きたよ」
「だろうな!!」
吠えると同時に敬吾の左拳が繰り出され、それは夢魔の右頬に突き刺さる。夢魔の体は勢い余って、そのまま後方に飛ぶ。
「ふ〜ん。左手も光るんだ」
言いながら夢魔はゆっくりと起きあがる。その様子からはダメージを確認することは出来ない。
敬吾は再度駆けだす。夢魔の力が自分よりも上だということならば、勝つためには決着が付くまで自分のペースで戦い続けるしかないのである。もっともどこまでスタミナが持つか分からないが。分は最悪に悪い。しかし、勝つ可能性があるとすればこれだけである。
敬吾はさらに駆けだそうと、足を踏み出す。が、その足は急に動かなくなる。まるで、重りでもくくりつけられたかのように。
「あれ、来ないの?」
その夢魔の仕草や表情、言葉使いは先程までとなんら変わらない。しかし、彼を取り巻く気は桁違いに禍々しさを増している。
「!?」
足を動かそうとして敬吾は気づく。動かないのは足だけではなく、体全体だということに。
「なんで来ないの? あ、もしかして怖いの?」
「……んな、訳……」
何とか自分のペースを取り戻そうと、悪態をつこうしたが口すらまともに動かせない。自覚すら出来ない本能的な恐怖に体は完全に縛られている。そんな敬吾の様子に夢魔は「ふぅ〜」と溜め息を吐くと、芝居がかった仕草で両手を両肩の高さまで上げ、
「やれやれ、本当に僕が怖いみたいだね。少し、その気になっただけなんだけど……」
と、吐き捨てるように言うと、これまた芝居がかった仕草で首を左右に振り、
「役者がそうならしかたないね。ここで終演だ」
そう続けて、静かに右手を敬吾に向ける。
「………!!」
敬吾は全力で恐怖を振り払おうとする。しかし、絡みつく恐怖を祓うことが出来ない。
(やべっ)
この間も夢魔の手に陰が収束し、膨らんでいくのが分かる。
(動け!!)
敬吾は恐怖による呪縛を、強引にやぶる。が、すでに夢魔の陰は大きく膨らみ、放たれる寸前となっていた。
(間に合わない)
今から回避しようと足を動かすよりも、陰が自分を飲み込む方が速いだろう。となると、残された手段は1つ。
敬吾は懐から符を取り出すと、それを自分の前面、つまりは夢魔の方角に向ける。そして、自分に残った気を全て符に込め、
「真気(しんき)集(つど)い、否(い)なる流(ながれ)れを塞(せ)き止(と)めん」
呪により解放する。それにより術は完成し、敬吾の前面に光の壁が完成する。夢魔はそれを意にも止めず、ただ口を開く。
「じゃ、サヨナラ」
言葉と同時に陰は放たれる。放たれた陰はまっすぐに敬吾に、いや、敬吾を守護する光の壁に直撃する。そして、
パリン!!
澄んだ音と共に光の壁は割れ、そのまま陰は敬吾を襲う。
「………っ」
言葉を発する間もなく、敬吾は陰に飲まれる。陰は敬吾を飲み込んだまま、その場に停滞する。
「………!!」
言葉にならない悲鳴が、敬吾の口から零れる。時間にして僅か数秒。しかし、その苦しみ故に何時間にも、何日にも感じられた。
陰はやがて収束し、消滅する。まるで悲鳴合図になったかのように。陰が消えた後には敬吾の体が横たわっていた。
「ゲホッ、ゲホッ」
敬吾は激しくせき込む。体勢を立て直せと、理性は命じるが、体は言うことを聞かない。そんな敬吾の姿を夢魔は目を丸くして見ている。
「へ〜、今のに耐えたんだ」
せき込み、のたうち回る敬吾には夢魔のその言葉を、言葉として捕らえる余裕は無い。ただノイズだけが彼の頭を支配している。
やがて、頭と体を支配するものが痛みから意志に変わると、傷つき重くなった体を敬吾は強引に起こす。
「ハァ、ハァ……」
当然だが呼吸はまだ荒い。
「そろそろ体は動く?」
夢魔がこのセリフを口にするのは本日2度目である。その状況は1度目と2度目ではかなりの差があるが。
「……なんで、止めを刺さなかった?」
そう問う敬吾の息は今だ荒い。
「あなたがさっきのに耐えたから。敬意を表して。て、やつだよ。あと、人が苦しむ様ってのも見ておこうと思ってね」
「そうかよ……」
ふざけた答えである。が、この『劇』で戦いを学ぶことが夢魔の目的なのだから、納得は出来る。
「でも、これ以上は続けられそうに無いね。まあ、頑張ったから今度こそ楽にしてあげるよ」
夢魔の気がさらに禍々しく膨らんでいく。
「月並みなセリフだな……」
「まだ、知識がたりなくてね」
夢魔はあっさりと返す。
「そうかよ。なら、もう少し勉強させてやる」
「ん? もしかしてまだやる気なの?」
「最後まで諦める気はないんでな」
「苦しいだけだからやめといたがいいよ。あなたがまだ元気そうならお願いしたい所なんだけどね。そんな体じゃ続けても勉強になりそうにないから」
「………」
敬吾は口を開かず、視線でその意志を伝える。その闘志を。それを理解し、夢魔は口元に笑みを浮かべ続ける。
「と、言っても素直に聞きそうな顔じゃないね」
笑みを浮かべたまま夢魔は後方に飛び、距離を取る。その距離約10メートル。
「いいよ。やってみなよ。受けてあげるからさ」
夢魔は言いながら右手で招く。
「………」
敬吾は懐から1枚の符を取り出す。その符はこれまで彼が使ってきた符とは違いその色は青く、サイズも一回り程大きい。敬吾はその符を持ったまま、右腕を水平に伸ばしす。
「東方(とうほう)を守護(しゅご)せし風(かぜ)の聖獣(せいじゅう)、その御姿(すがた)、その力(ちから)を我(わ)が前(まえ)に示(しめ)せ。青龍(せいりゅう)」
呪の完成により、風が青き符を包みだす。敬吾はそれを確認すると、夢魔に向かって放つ。
放たれた符は纏った風を媒介にし、その姿を青き龍、すなわち青龍に変える。四神符青龍(しじんふせいりゅう)。これがこの術の名である。四神とは古来中国から伝えられている四方を司る聖獣であり、青龍は東方を司る聖獣とされている。この術は四神青龍の力の一部を召還し、使役する術である。そのため符は四神青龍を現す青い物を使用する。この術は力の一部とは言え、四神を使役するために気を莫大に消費する。それは敬吾がその場で符に込められる量を遙かに超えており、そのため幾日もに渡って気を込めいつでも発動出来るようにストックしてある。普段なら手間がかかると言う敬吾だが、気がそこを尽きかけている今は呪だけで発動出来るこの術に賭けるしかない。
「へ〜。すごいな」
迫り来る風の聖獣にも、夢魔は動じず、その場を動こうとしない。
青龍はその顎を開き、夢魔を飲み込み、そのままその姿を青い竜巻に変える。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ。
青い竜巻はうねりながら暴れ狂い、やがて最大限に膨張し、
バシュュュュュュュュュュュュュュゥッ。
破壊音と共に爆発する。これが四神符青龍の全容である。
風が止み、爆風が晴れた爆心地には直径4〜5メートルのクレーターが出来ていた。そこに夢魔の姿はない。
「………」
敬吾はそれを確認すると、無言のまま懐から符を取り出し、
「……出て来いよ」
と、ただ感情無く呟く。
その呟きにより、召還されたかのように夢魔は爆心地に姿を現す。
「やっぱりばれたか」
夢魔はイタズラっぽく舌を出す。その仕草は見たままの年齢の少年のようにさえ見える。
「当たり前だ」
敬吾は吐き捨てるように答える。この理由は簡単なもので複製空間が残っていること自体が、夢魔が生きている証拠になるからである。そして、これは切り札を持ってしても夢魔を倒せないということにもなる。
「残念だよ。勝利に酔いしれる人間を観察したかったんだけどなぁ〜」
夢魔は自然と肩を落とす。この仕草もまた人間そのものである。
「残念だ・っ・た・な!!」
敬吾は最大限の皮肉を込めて、悪態をつく。まあ、これも空元気に過ぎないが。しかし、夢魔はそれに素直に頷き、その手を敬吾に向ける。
「うん。だからもう終わらせるよ」
その言葉が敬吾の耳に届くのとほぼ同時に、夢魔は陰を放つ。
「………っ」
敬吾は反射的に左に跳ぶ。が、
「なっ!?」
陰は跳躍する敬吾を追尾し、その軌道を変える。
「ナロ!!」
敬吾は宙で身をねじり、強引にその姿勢を変え、迫り来る陰を回避しようとする。しかし、
スッ。
「!?」
避けきることが出来なかった陰が、その右足を冷たい悪意となって蝕む。その瞬間、体は力とバランスを失い、複製された大地に激しく叩きつけられ、転がる。
「ぐっ、がっ……」
口から苦痛がありのままの形で、零れる。
「頑張ったね。本当は今ので終わらせるつもりだったんだけどね。まあ、その足じゃ次は無いだろうけど」
その言葉を無視し、敬吾は構える。いや、構えようとする。
「………っ」
右足は陰によりいかれ、左足は叩きつけられた時に痛めている。それでも膝を着いたまま体を夢魔に向ける。
「まだやる気なんだ」
夢魔は冷たく見下ろす。先程まではこちらが見下ろしていた(身長的だが)のだが、今では完全に入れ替わってしまっている。もっとも、そんなことを気にしている場合じゃないが。
「でも、もう寝なよ」
これまでとは比べ物にならない陰の奔流が、敬吾に向けられる。敬吾は残された気を符に込め、それを陰の奔流めがけて放つ。
「真気集い、否なる流れを塞き止めん」
光の壁はほんの数秒を陰の流れを止めたが、それもすぐに砕け、陰はそのまま定められた方、つまりは敬吾に向かって流れる。
敬吾は赤い符を流れに向け、呪を唱える。
「南方(なんぽう)を守護(しゅご)せし炎(ほのお)の聖獣(せいじゅう)、その御姿(すがた)、その力(ちから)を我(わ)が前(まえ)に示(しめ)せ。朱雀(すざく)」
呪の完成により、炎は赤き符を包み、その姿を炎の鳥、すなわち朱雀へと変える。
四神符朱雀(しじんふすざく)。この術は青龍と同じく四神朱雀の力の一部を召還し、使役する術である。ちなみに朱雀は南方を司る聖獣とされている。
朱雀はその炎の翼を羽ばたかせ、陰の奔流目掛け飛ぶ。
ギュオオオオオオオオオオオオオオ!!
陰の流れと朱雀は正面からぶつかり合う。これにより陰と陽、二つの力が反発し、その余波は衝撃波と轟音を生む。
シュォォォォォォォォォォォォォォ!!
2つの力は互いを喰らい合い、やがて、その形を球状に変え、
バシュウウウウウウウウウウウウッ!!
大爆発を起こす。陰と陽の気、反発する気が均等な力でぶつかったことにより起こる爆発『反性効果(はんしょうこうか)』。爆発に飲まれ、意識が途切れる瞬間に敬吾はその名を思い出した。