第5章 いつもと夢 決戦
午前8時。市のはずれに位置する桜山。その麓駐車場に敬吾、拓人、久遠の3人の姿があった。
「嘘みたいな陰だ。本当に奴はここに居るみたいだな……」
敬吾はそう呟きながら、目の前に広がる山をただ眺めている。その隣の久遠は敬吾のそのセリフに反応する。
「私は嘘はつかない……」
山から視線を反らさず、敬吾は口を開く。
「別に久遠を疑っちゃいないさ。ただ……」
「ただ?」
「ここがこうなるなんてちょっと想像できなかった」
「まさか……国の管理地が……」
2人のやりとりを尻目に拓人はただ立ちつくし呟く。
◆◇◆◇◆
今から約1時間前の午前7時。久遠寺家の居間では久遠が敬吾と拓人をたたき起こし、テーブルに着かせていた。敬吾、拓人の表情は対照的で、かたや目は半開きで、髪はボサボサ。かたや目はしっかりと開き、髪はすでにセットした状態、つまり、身だしなみが整っている。前者が敬吾であり、後者が拓人である。
3人が座るテーブルには一枚の地図が広げられている。その地図には聞き覚えのある地名が所々に記載されている。つまりこの市のものである。
久遠はその広げられた地図の上に指を「スーッ」と、滑らせる。やがて指はある地点でその動きを止める。2人の視線がその指先に向いていることを確認すると、久遠は静かに口を開く。
「夢魔はここに居る」
「何……?」
「本当……ですか?」
その指が指し示す場所の意外さに拓人はもちろん、寝ぼけていた敬吾も驚愕の表情を浮かべる。
「ええ。夢魔は桜月神社(おうげつじんじゃ)にいる」
桜月神社。市の外れ、桜山(さくらやま)の山頂に建てられた神社である。桜山はその名の通り、山が桜(正確には山桜)に覆われた山であり、春には多くの花見客で賑わう山である。しかし、この山はただのお花見スポットではない。桜に包まれたこの山にはいつの頃からか、霊的特性を持つ特異点、霊場(れいじょう)としての一面がある。この霊場というのは自然界の気が集う場のことであり、集まった気は霊場で洗練され、周辺の地域に流れていくのである。この時、陽の気が集まり流れていけば周辺地域は生命を育む。これが逆に陰の気だと、土地は痩せ荒れ果てていく。この霊場を制御、つまりは陽の気で安定させるために建てられたのが桜月神社である。
「ちょっと待てよ久遠。夢魔は陰の塊だ。奴は霊場に近づけないはずだ」
敬吾の言うことはもっともである。いかに夢魔が強力な霊体でも陰の塊である以上、陽の気で満たされた霊場に侵入することは出来ない。無理に入ろうとすればそれこそ夢魔は消滅するだろう。
「そうですよ。それにあそこは国の管理地です。何かあれば真っ先に連絡が来るはずです」
続く拓人の意見もスジは通っている。
2人の言葉にも顔色一つ変えず、久遠は淡々と言う。
「何をしたのかは解らないけど、今、あの山は陰で包まれている」
『なっ!?』
敬吾、拓人両名の声が珍しくはもる。
「その陰の中心、つまりは桜月神社に夢魔はいる」
断言した久遠に促され、一行は桜山に向かうこととなったのである。
◆◇◆◇◆
「さあて、どうするかな……」
言いながら敬吾は伸びをする。
「何がだ?」
「これからのことだ」
「どうって、桜月神社に行くんだろう?」
さも当然と拓人は言ってくる。
「そりゃそうなんだが……」
そう言葉を返す敬吾の顔には苦虫を潰したような表情が浮かんでいる。
「……何か問題が?」
拓人は敬吾のその表情から、心境を読み取り問う。その拓人の口調も暗い。まあ、ただでさえ問題だらけなのに、この上さらに上乗せと考えると、気も重くなる。
「ああ……」
敬吾も答えにくいらしく、そこで言葉を止める。
これで問題の上乗せ決定と、気は重くなるが、その内容を聞かないわけにもいかない。覚悟を決め、しっかりとした口調で問う。
「何だ?」
その拓人の口調に合わせ、敬吾も言葉を続ける。
「問題は2つある」
「2つか」
予想よりも問題数自体は少ない。
「1つは桜山の陰だ。はっきり言って濃すぎる」
「そのせいで山に入れないとか?」
「いや、そうじゃない。確かにこの濃度も危険だが、符を使えば中に入ることは出来る。問題は……」
「問題は?」
「夢魔の力だ。この中では奴の力はかなり増してるだろうからな」
敬吾達にとっては危険な環境も、陰の塊である夢魔にとっては最高の環境である。
「なるほどな。2つ目は?」
敬吾はその場で体の向きを変え、久遠に顔を向ける。
「……久遠だ」
「久遠さん? あっ……」
拓人もすぐにそれに気づく。
「………」
当の本人は向けられる2人の視線にも無言である。
「今の久遠は聖ちゃんの体から出ることは出来ない。つまり、久遠を連れて行くということは、民間人の聖ちゃんを危険に晒すことになる」
「それはつまり……」
「戦力不足だ」
敬吾は言い切る。
「僕がサポートに……」
拓人は言いながら、敬吾に向かって一歩踏み出す。
「その気持ちは嬉しいけどな。病院の時とは訳が違う。お前が出来るのは荷物持ちぐらいだ」
敬吾はキッパリと言い放つ。危険だからこそはっきりと断らなければならないのである。
「………」
拓人は無言で応じる。
「まあ、持ってもらうような荷物もないけどな」
「それはつまり、僕が出来ることは無いってことか……」
拓人は自分をはがゆく思う。本来、特災科の仕事であり、民間人に頼るようなことはあってはならない。しかし、現状はその逆で頼らなければ事件を解決する事は出来ない。現役の刑事としてこれほどの苦痛はない。
「まあな。特災科の刑事としては悔しいだろけどな……」
「……悔しいが仕方ないな」
その口調自体はいつもの拓人のものだが、その表情は明らかに暗い。
「敬吾……」
久遠のいつもの静かな口調で呼ばれ、敬吾はそちらに振り向く。
「ん?」
「1人で行くつもり?」
「それしかないからな」
戦う以上は他に選択肢は無い。
「それならこれを……」
久遠はジーンズのポケットから何かを取り出すと、それを敬吾に差し出す。敬吾は受け取った物を胸元にまで運び、その手を開く。
「ペンダント?」
久遠から渡されたそれは赤い石のペンダントだった。
「千里石(せんりせき)。それを持っていれば私と敬吾の意識を繋げることが出来る」
「つまりなんかあったら連絡しろってことか」
「ええ」
久遠は頷く。
「その石……」
それまで2人のやりとりを黙って見ていた拓人が口を開く。
「何? 拓人君」
「ただの瑪瑙(めのう)に見えるんですけど?」
「そう瑪瑙よ。瑪瑙に術を施したの。たぶんこうなると思ったから……」
まあ、状況を考えれば自ずと予想は出来る。
「なるほど」
「さてと、餞別も貰ったことだし、行ってくるか」
敬吾は歩きだす。
「気を付けろよ」
「心配はいいから報酬を用意しとけ」
振り返らず足を止めず、ただ言葉だけを返す。
「無理はしないで……」
「ああ。じゃ、行ってくる」
敬吾は久遠にも振り返らず、ただ後ろに向かって手を振る。その足はゆっくりと魔に魅入られた山へと向かっていく。
◆◇◆◇◆
敬吾が山に入って約1時間、予想を裏切り山は静寂を保っていた。実際のところ山に入ればそこは夢魔の領域。すぐに何らかの反応があると考えていたが、今現在そういった気配は無い。
「こんなことなら、車で登りゃ良かったな……」
今現在、敬吾がわざわざ足で山を登っているのは、夢魔の襲撃を警戒してのことである。これが車なら山頂までは約15分で着く。
「しかし、嫌な静けさだ……」
山は静寂に包まれている。しかし、これは明らかに自然のものではない。山道の周囲は木々に囲まれているが、そこからは自然の営みを感じることは出来ない。季節は秋、山や森といった自然界では徐々に冬支度に入る季節ではある。が、いくら何でも野鳥や動物の声が全く聞こえないと言うのはおかしすぎる。それに加え紅葉や銀杏といった秋の風物詩がまったく見られない。明らかに陰の影響である。
「あんにゃろう、ろくな事しねーな」
実際の所、敬吾も防護服(自分の服に符を貼り、術を施した)を着ていなければ、陰の影響を受け、体力を消費するところである。
「ん? あれは……」
死の山を進む敬吾の目に、これまでの光景とは相反する光が飛び込んでくる。
敬吾は光の方に駆けだす。そこはすでに神社の駐車場で本来はここに車を止め、少し先の公園に花見や参拝に行くのだが、そこには車の変わりに色とりどりの光の玉が無数、停められ(?)ていた。その光景は幻想的で美しく、見る者の心を魅了する輝きを放っている。
敬吾はゆっくりと光の玉に近づき、身近な1つに手を伸ばす。そして、それが何なのかようやく理解する。
「これは気の塊?」
本来、気というものは不可視なものである。しかし、その濃度が一定量を超えれば肉眼でそれを確認することもできる。つまり、駐車場内に存在する光の玉のそのどれもが肉眼で確認できるほどの濃度を持った気だということである。
「しかし、これは一体なんなんだ?」
気というものは生物や自然が持つ原初的な生命の力である。そのため動物や植物といった生物や自然界から発せられる。しかし、それが肉眼で確認出来るほどの濃度を持つこともなければ、玉の様な形を形成することもない。つまり、目の前のこれは明らかになんらかの力によって形成されていることになる。
(現状考えたら犯人は1人だな。そして、この気は恐らく被害者達のもの……。だが、なんでこんな形をしてるんだ?)
その時、気の塊の表面に変化が起こる。
「こいつは……?」
輝く光の玉に時より、映像が映し出される。その映像はその玉ごとに違う。男が数人の美女を囲っているものや、女が金銀財宝に埋もれているものもあれば、豪勢な料理を次々とたいらげる男など、その映像は様々である。
敬吾はそれの意味に気づく。
「そうか、こいつは……」
「そ、夢の世界だよ♪」
「!」
とっさに声の方、つまりは背後に振り返る。
「テメー……」
声の主は予想通りの姿で、予想通りの笑みを浮かべている。そう美少年ピエロ、夢魔である。その顔には相も変わらず、人の神経を逆撫でする笑みを浮かべている。
「久しぶりと言った方がいいのかな? もっとも僕は会いたくなかったけどね」
「俺も会いたかないんだが、これも仕事なんでな……」
と、軽口を叩きながらも敬吾は意識を夢魔に集中させていく。
「……仕事ね。どうやらあなたもつまらない人間のようだね」
「つまらないとは言ってくれるな」
「だってそうでしょ? 仕事っていうのが一番くだらない。そして、それをする人間はつまらない」
夢魔の顔から笑みが消える。能面の様になった顔に冷徹な眼差しだけが残る。その変化に危険を感じつつも、敬吾は調子を変えずに返す。
「おまえらと違って、人間様は食ってくためには働かなきゃなんないんだよ」
「じゃなきゃ、こんな所に来るかよ」と、思わず続けそうになるが、あえてそれは口には出さなかった。
「そうだね。大概の人間はつまらない生き方をしてるよね」
敬吾はその言葉に含まれた何かに、引っかかるものを感じ取る。
「テメー、何が言いたいんだ?」
「僕が望まれて生まれたってことは、前にも言ったよね?」
「人間の思念から生まれたってことはな」
と、言ってはみても、結局、夢魔が人間の欲望から生まれたことには間違いない。ただ、それを素直に認める気にはなれないが。
「その口振りからだと認めてくれてないみたいだね。ま、いいけどさ。僕の存在が望まれたってことは、多くの人間がこの世界を望んでいないってことなんだよ」
「それで自由気ままな夢の世界か? たとえ願いが叶っても夢じゃな。おまけに死んじまったら意味無いね」
「やっぱりね。やっぱりあなたは理解してなかったんだ……」
「間違ってるっていうのか?」
「ああ、間違いだね。何1つ合ってないよ」
夢魔は近くにあった光の玉を引き寄せる。
「見なよ。楽しそうだと思わないかい?」
意識を夢魔に向けたまま、敬吾は玉を覗き込む。
「確かにな。こんだけ好き勝手やってりゃ楽しいだろうよ」
玉に映し出された映像では、1人の男を中心にした5〜6人のグループが気弱そうな1人の少年を追い回している。すぐに集団は少年に追いつき、その周りを取り囲むと、それぞれがその手にもったバットや木刀を少年に振り下ろす。やがて、少年が動かなくなると、その懐から財布を掴みだし、中身を抜き出す。そしてその顔に下卑た笑みを浮かべ、空になった財布を少年の体に投げ捨てる。
敬吾はそれに向かって溜め息をつき、
「まあ、俺だったら願い下げだけどな!!」
その叫びと共に怒気を夢魔に飛ばす。
ザッ!!
敬吾がその感情を吐き出すと同時に、足下の砂利が弾け飛ぶ。
「あなたの趣味はどうでもいいよ。これはお父様の世界だから」
「世界か……ずいぶん都合のいい世界だな?」
「当然さ。人間の望みを叶える世界だからね」
「何?」
「人間が持つ欲望。それには際限がない。そして、それを叶えていくことが出来るのは夢の世界のみ。でもね、それにも限界が来る」
「………」
「夢ってのはさ、本来は人の体が、脳が生み出す。けど、この脳を媒介として見せる夢には限界があるんだよ。よくさ、見てる間だけは現実のように感じるとか言うじゃない? つまりそういうことなんだよ」
「なるほどゲーム機と一緒ってわけだ。古いハードじゃ性能が悪いから、新しいハードでソフトを作るってわけだ」
「あはははっ! それおもしろいね。そう、そういうことなんだよ。だから僕は肉体から精神を引き離したのさ。精神に僕の力を直接送る。そして、出来たのが……」
夢魔は光の玉を一瞥し、
「この世界さ。この世界は完全な世界。人間の欲望を叶える現実の世界なんだよ。たとえ肉体が滅んでも存在し続ける永遠の世界。すごいでしょ?」
光の玉、いや、夢の世界を眺める夢魔の顔には至福の表情が浮かんでいる。その世界の主だけではなく、夢魔にとってもそれは理想なのだろう。
「で、長々と説明してくれたが、結局何が言いたいんだよ?」
ここまで聞けばおおよそ見当はつくが、一応確認の意味を込めて問う。
「言いたいことは1つさ。邪魔をするなってこと、ここにいるお父様も、お母様も望んでここにいるんだからね。仮にあなたが僕を倒しても誰一人感謝はしないと思うよ? それにあなたが望むならあなたの世界を創ってあげてもいい」
「俺がYES。って言うと思うか?」
「可能性はゼロじゃないと思ってたけど、その口振りじゃダメみたいだね」
「そういうことだ」
「じゃあ、やるしかないね」
夢魔を中心に例えようのない独特な違和感が広がっていく。やがて、その違和感が周囲を包み込んみ、世界が変わる。先程まで流れていた風は止まり、空を流れていた雲さえも動きを止める。
「こりゃ、何のマネだ?」
「何って、結界さ」
「結界……」
今、夢魔が張った結界は以前、敬吾が病院で張ったものとは比べ物にならない程強力な物である。敬吾が、いや、一般の術者が張る結界はあくまで一定の範囲に意味を持たせるものなのだが、夢魔が張った結界は、いや、夢魔が結界と言ったそれは、別物である。
敬吾は周囲の気を感じ取り、その術の正体に気づく。
「空間複製(くうかんふくせい)だな?」
「そう呼ぶらしいね。これは」
空間複製とは文字通りのもので、一定の範囲の空間を複製し、別の空間にそれを展開する術である。この術で創られた複製の世界に存在出来る者は術者が選んだ者のみであり、逆に出るには術者が対象を意図的に出すか、術自体を解く、あるいは解かせるしかない。ちなみにこれを使える人間は今のところ確認されておらず。敬吾も前に書物で読んだことがあるだけである。
「へぇ〜。わざわざ俺のためにこんなもん見せてくれるとはな……」
「別にあなたのためじゃないよ」
敬吾のその戯けた口調にも夢魔はしれっと返すだけである。
「じゃあ、なんで使ったんだよ?」
「あそこで始めたら、『世界』まで巻き込んじゃうかもしれないからね」
「そういうことか」
言われて気づく。確かに先程(本来の空間)まであった『世界』が無くなっている。まあ、正しくは自分達が移動したのだが。
「あと……」
「なんだよ?」
「あなたは確実に殺したかったからね」
その言葉と同時に殺意に満ちた視線が敬吾に向けられる。
風も音も止まった世界で、殺気と共に敬吾と夢魔は動き出す。