第4章 完全な非日常 支配

 公園での出来事から1時間後、久遠は敬吾達と合流していた。公園での出来事の後、久遠は聖の携帯を使い敬吾を呼び出したのである。不幸中の幸いと言うべきか、敬吾は丁度近くに来ており、連絡から10分もしないうちに駆けつけてきた。おまけに拓人も一緒である。駆けつけた2人は久遠(聖)の姿を見て、多少取り乱したものの、拓人が持ち前の冷静さをすぐに取り戻し、すみやかに事後処理が行われた。その後、すぐに澪は総合病院へと運ばれ、それを見送った3人は今、久遠寺家の居間に集まっている。ちなみに現在の時刻は午後6時である。

「なるほどな……」

「そんなことが……」

 久遠から経緯を聞いていた2人の第一声がこれである。取り合えず2人とも状況を把握したらしい。

「それでその桐嶋さんの意識は戻せないんですか?」

 拓人、いや、特災科としてはこれ以上病院送りを増やすわけにはいかないのである。聖の身体には久遠が宿っているとはいえ、本人の意識が戻らなければ、他の被害者同様、病院への緊急入院という扱いになる。

 どうでもいいことだが、拓人の言葉遣いは敬吾と久遠では明らかに差がある。

「それは無理ね。今、あの娘の精神は眠りに入っている」

「眠っている?」

「そう。説明は省くけど、この娘が回復するまでは無理よ」

「最悪の事態だ……」

 拓人はその手で目を覆う。まあ、事件解決の糸口も見つからない中で、さらに2人の被害者が出たのだから、現実から目を反らしたくもなるだろう。

「確かにな……」

 敬吾も静かに同意する。実際、現状はかなり悪い。

「でも、これで1つ判った」

「……何がだ?」

「奴はターゲットを選ぶってことだ」

「そうね。この娘達にそれらしいことを言っていたし、間違いないでしょうね……」

 久遠はそれに同意する。

「しかし、何故? こだわる理由は?」

「それは奴に直接聞くしかないだろうな」

 霊的存在が標的にこだわりを持つことはそう珍しいことではない。低級なものなら適当に選ぶのだが、夢魔の様に上級なものはむしろこだわらない方が不自然な程である。

「そうか……しかし、それが判っても現状が変わるわけじゃないか……」

 これがいつもの拓人ならば『推測は無いのか?』等と言って、少しでも前に進もうという姿勢が見られるのだが、さすがの拓人も今はそんな気力は無いらしい。

「まあな」

「……どう、報告書を書くかな」

「どうって、ありのままを書くのが報告書だろ」

 拓人の呟きに敬吾は「当然だろ」という表情で答える。

 その敬吾の答えに拓人は幽鬼の様な表情を浮かべ、疲労混じりの声で問う。

「ありのままか……おまえは僕に『夢魔は被害者達の気を集め始め、さらに新たな被害者が出ました。おまけに民間人を1人巻き込みました』と、書けと言うのか?」

「お、落ち着け」

 はっきり言って、拓人のこの言葉は八つ当たりなのだが、そのあまりの形相に敬吾は思わず後ずさる。

 敬吾は迫る拓人を手で制し、すかさず口を開く。

「それが嫌なら、『反撃の準備も出来ました』って、加えとけ」

 この敬吾の言葉により、拓人の顔に僅かに精気が戻る。

「……反撃?」

「ああ」

 確認してくる拓人に、敬吾は頷く。

「出来るのか!?」

 拓人は叫びながら、敬吾に掴みかかる。

「と、当然」

 そのあまりの形相に僅かに怯えながらも敬吾は頷く。

「今までは奴の居所が掴めなかったが、今は久遠がいる」

「しかし、久遠さんが術を使えないと言ってなかったか?」

「まあ、昨日までならそうなんだけどな……」

 今の久遠は完全とはいかないまでも、かなり聖と同調している。これは聖の自己防衛本能が内なる力、つまりは久遠を解放したためである。もっともこうなると回復するまでは聖の意識を起こすことはできない。もっとも、敬吾はそれを説明する気はないが。

「私の術なら夢魔を見つけることが出来る……」

 拓人の形相にも表情を変えず、久遠は淡々と言う。

「本当ですか!?」

 拓人は久遠に掴みかかろうとするが、僅かに残った理性がそれを止めた。もっともその表情からは理性は感じられないが。

「ええ……」

「なんとか書けそうだな?」

「ああ」

 この時、拓人の表情はいつもの冷静なものに戻ってはいた。少なくとも表面は。

「それじゃ早速頼む」

「判ったわ……」

 敬吾にそう答えると、久遠は懐から符を一枚取り出すと、印を組み、呪を唱える。

(かぜ)(はね)(はこ)び、(つばさ)(かぜ)(わた)る」

 術の完成と共に符はその姿を一羽の鳩へと変え、その翼を羽ばたかせ勢いよく飛び立つ。

「それでいつ頃判るんですか?」

 そう問う拓人の視線は式神が飛びだった方角に向けられている。

「あの子なら遅くても明日の朝までには見つけてくるわ……」

 そう答える久遠の視線も同じ方角に向けられている。

「明日か……」

 敬吾の口からただそう零れる。これまで彼が扱ってきた事件の中にも今回と同じぐらい手こずったものはあったし、命を落としかけたことも何度かあった。しかし、これまでの事件では知り合いが巻き込まれることだけは無かった。だからこそこれまでは焦りもしなかったし、冷静に対処することも出来た。しかし、今回は2度も聖を巻き込んでいる。夢魔が聖を狙っている以上は当然3度目もありえる。冷静に対処出来るか不安なのである。まあ、こういうことを考えている時点で冷静ではないだろう。敬吾の心情は冷たいように見えるが、人間やはり最終的には自分や家族、友人といった親しい者が危険にさらされない限りは他人事なのである。

「さて……」

 久遠は静かに立ち上がると、イスにかけてあったエプロンを手に取る。

「ん? 何してるんだ。久遠」

「エプロン着てるの……」

 久遠は自分の行動をそのまま答える。

「なぜ?」

 久遠はエプロンの紐をしばると、

「夕食まだでしょう……」

 と、言い。スタスタと台所に歩いていく。

「さてと……」

 拓人はゆっくりと立ち上がる。

「ん? 何処いくんだ?」

「これから夕食みたいだからな。そろそろ帰るよ」

 言いながら拓人はスーツを羽織る。それを見て敬吾は怪訝そうな表情を浮かべる。

「何言ってんだよ。これから飯だぞ?」

「ああ、だから帰るんだが?」

 ここで拓人は会話に違和感を覚え、

「あのな〜。帰ってどうするんだよ。何か家に忘れ物でもしたのか?」

 ここでようやく会話がかみ合っていないことに気づく。

「? 何を言っている?」

 怪訝そうな表情を浮かべる拓人に対し、敬吾は嘆息混じりに言う。

「そりゃ、こっちのセリフだ。これから飯なんだからおとなしく待ってろ」

 「ああ」と、拓人はようやく敬吾が言わんとしてることに気づき、確認のためにそれを口に出す。

「……もしかして僕も食べて行けと言ってるのか?」

 しかし、敬吾はそれを一言で否定する。

「違う」

「え?」

 拓人の口から思わずそう零れる。まあ、敬吾の答えはここまでの流れを無視したものだから気持ちは分かる。呆気にとられている拓人に向かって、敬吾は変わらぬ口調で続ける。

「今日は家に泊まれと言ってんだ」

 さらに予想外の言葉が続く。

「はあ? 何故?」

「明日は朝から動くことになるからだ。いちいちお前が家に来るまで待ってられないんだよ」

「そういうことか」

「そういうことだ」

 実際、ここで拓人が家に帰ってから、明日久遠寺家に来るとなると、けっこう時間がかかる。久遠寺家と秋津家(マンション)の距離自体はそれほどではないが、朝から移動するとなると、まず間違いなく渋滞に巻き込まれる。

「つーわけでだ」

「ん?」

 敬吾はポンと拓人の肩をを叩き、それまで拓人が座っていたソファーを指さす。

「お前はソファーで寝ろよ」

 敬吾は顔に「ニヤニヤ」と聞こえてきそうな表情が浮かんでいる。

「ソファーか。まあ、仕方ないか……」

 拓人はソファーに目をやり呟く。まあ、急に決まったことなので、布団が無くても仕方がないと納得する。

 そんな拓人の静かな反応に敬吾は「ちっ」と舌打ちし、

「冗談だ。客間で寝ろ」

 その顔にはつまらなそうな表情(実際につまらない)を浮かべ言う。敬吾としては拓人が悔しそうな顔を浮かべるのを期待していたのである。

 敬吾のその心情に気づかず、拓人はただ素直に答える。

「判った」

 その素直な反応に、さすがの敬吾も嫌がらせ(拓人はそれにすら気づいていないが)を続ける気を無くし、

「そのかわり布団は自分で準備しろよ」

 そう言うと、2階の部屋に登っていく。

「ああ」

 拓人はそう答えると、スタスタと客間に歩いていく。学生の頃はよく遊びに来ていたため、客間がどこかも知っいるのである。まあ、その頃は久遠の事はまだ知らなかったのだが。俗に言う勝手知ったる人の家と言うやつである。それから30分後、3人はテーブルに着き、夕食をとる。緩やかに時間が流れていった。


第5章へ