第3章第3節

 そこには光が溢れていた。その輝きは美しく、楽園と呼ぶに相応しい。よほどひねくれた者でない限りはその美しさを声に出して称えるだろう。

 この楽園には管理者がいる。管理者もその輝きを美しいと感じている。だからこそ、その美しさにさらなる磨きをかけ、楽園を永久のものにするためにその管理を務めている。

 楽園の光には様々な色があり、赤や青、黄や緑といった単色なものもあれば、複数の色により構成され点滅を繰り返すもの、一色に留まらず絶えず色を変えるものと、様々である。ただこの光には共通して言えることがある。それは決してこれらは人工のものではないということである。だからこそ光は美しく、その輝きは幻想的な魅力を持っているのである。そこにさらなる光が集い輝きは増していく。

 管理者はその顔に微笑みを浮かべ、楽園を満足そうに見守っていた。

 ◆◇◆◇◆

 ジャンジャジャジャンジャン♪

 時計の針は22時、つまりは午後8時を回っていた。5時頃に聖を自宅まで送った後は特にすることもなく、敬吾は自室に籠もり午前中に買ったCDをかけ、雑誌を読み直していた。

 敬吾は雑誌から目を離さず、手元に置いていたマグカップを手探りで探し出し、それを口元に運ぶ。そして、

「ふぅ〜〜」

 と、一息つく。これが昨日までなら、なんとか夢魔を探し出そうと、術(占い)の構成を考え、頭を抱えていたのだが、今日の久遠との会話でそれが無理と言うことが判ったため、のんびりと過ごしていた。

 久遠の占いは敬吾のそれとは比べものにならない精度をもっている。その占いが通じないとなると敬吾に打つ手はないのである。

 敬吾がマグカップを置くと同時に携帯の着メロが鳴り出す。マグカップ同様、雑誌からは目を離さず手探りで携帯を手繰り寄せる。携帯の画面には『へっぽこ公務員』と表示されていた。

 敬吾は「はぁ〜」と溜め息をつくと、雑誌を放り投げ通話ボタンを押す。

「はぁ〜。何か用か?」

 敬吾は軽く溜め息をつきながら、へっぽこ公務員、つまりは拓人に言い放つ。

「……電話越しに溜め息とは……マナーが悪くないか?」

「人の休息を邪魔するからだ」

「社会では通じない理由だな」

 と、口では言っているが、拓人も午前中に病院からの連絡で休息を邪魔されているので、それが解らないわけではない。

「悪かったな。それで何の用だ? 用もなしにかけてきたわけじゃないんだろ?」

「実は今日、病院から連絡があった」

「病院って、被害者のいる病院か?」

「ああ、被害者達の気が低下しているらしい」

 その言葉に軽い目眩を覚えながらも、一応の抵抗にでる。

「……ジョークだよな?」

「これがジョークなら僕もうれしいんだがな……残念なことに真実だ。手元にカルテのコピーもある」

「最悪だ……」

 敬吾の抵抗も虚しく、目眩は強まっていった。が、拓人の言葉がその逃避を許さず、敬吾を現実に縛り付ける。

「そういうわけでだ……。明日、病院に行く」

「判った」

「そう言えば、おまえは今日、例の桐嶋さんには会ったのか?」

「ああ」

「それでそっちはどうなんだ?」

 民間人である聖をこれ以上巻き込むわけにもいかないし、事件の進展のためにも久遠の力が必要なので、特災科の警視としては聞かずにはいれないことである。

「それがこっちもあんまり……」

 この敬吾の口調の重さに嫌な予感を覚えつつも、どうにか問いただす。

「……どういうことだ?」

「あの娘の精神はまだ回復してない。つーわけで久遠も帰ってきてない」

 敬吾の言葉は拓人の予想通りのものだった。もっともこんな予想が当たってもうれしくも何ともないのだが。

「それはつまり……」

 拓人が言いかけた言葉、いや言いたくない言葉を敬吾が続けた。

「事態は進展しないってことだ」

「………」

 電話の向こうから、拓人の声は帰っては来なかった。

「聞いてるか?」

 しかし、今度は敬吾の言葉が拓人を現実に繋げ止め、

「聞きたくはなかったが、聞いてはいる」

 拓人も電話の向こうで頭を押さえながら答える。

「俺だって言いたかねーよ」

 実際のところ拓人だけではなく敬吾だって、今の事態には頭を抱えているのだから当然である。

 取り合えず今は出来ることをやるしかなく、拓人は今出来ること、つまりは明日のことを確認する。

「まあ、取り合えず明日は病院に行く」

「時間は?」

「10時には迎えに行く」

「りょーかい」

「それじゃ……」

「じゃあな」

 ツー、ツー、ツー。

 拓人が携帯を切ったことを確認すると、敬吾も携帯を切り、その場に置く。

「はぁ〜っ」

 軽い溜め息をつくと、先程、放り投げた雑誌を手に取り、ページを開こうとする。が、ここでふと、CDが止まっていることに気づく。電話をしてる間に曲も終わっていた。

「………」

 雑誌をその場に置き、CDコンポの電源を切ると、敬吾はそのまま立ち上がり、軽く伸びをする。

そして、

「飯でも食いに行くか……」

 と、1人呟くと、ジャケットを羽織り、部屋を後にした。

 ◆◇◆◇◆

「ふぅ〜」

 駅玄関前のベンチに腰をかけ、聖は溜め息をつく。時刻は午前9時を回ったところである。平日でラッシュ時を過ぎていることに加え、町自体が小さいため、人影は少ない。このため、時間の流れが緩やかに感じられる。時より中高生を見かけることもあるが、まあ、それはいつの世も親泣かせな学生はいるということである。

 ぼーっと、周囲を見回している聖だったが、別に好きこのんで人間ウオッチングをしているわけではない。駅のベンチで一人ぼーっと座っているのは待ち合わせをしているためであり、そして溜め息をついているのは待ち人が来ない、つまり待たされているということである。

 聖は後ろを振り向くと、ベンチの後ろにある時計に目をやる。短針は僅かに9の上を指し、長針は3と4の間を指していた。時刻を確認するとその口から「ふぅ〜」と本日2度目の溜め息が出る。

 聖の瞳が無意識の内に人間ウオッチングを再開した時、ようやく視界の隅に待ち人の姿が入ってきた。待ち人も聖の姿を確認すると、手を振りながらパタパタと走ってくる。

「ごめ〜ん、聖……待った?」

「澪ぉ〜〜〜〜」

 走ってくる待ち人、澪に対し唸った。

「いや〜〜〜〜、渋滞に巻き込まれて……」

 その澪の顔には乾いた笑みを浮かんでいた。

「徒歩なのに?」

 聖の突っ込みに澪は、

「……ごめんなさい」

 と、素直に謝る。そして聖も、

「よろしい」

 と、素直に許す。

「で、どのくらい待った?」

 聖はベンチ裏の時計を確認してからこの問いに答える。

「30分弱かな」

 その答えを聞いた澪の目が丸くなる。

「あんた何時に来てたの?」

「8時50分には来てたよ」

「早いわねぇ〜。何、そんなに今日のデート楽しみにしてたの? まあ、今日は聖に付き合ってあげるから。ホホホホホホホ」

 その澪の顔にはいやらし表情が浮かんでいた。

「気色悪い冗談はやめてよね。大体、『隣町に買い物に行くから付き合え』て言ったのは澪でしょ……」

 聖は呆れながら言う。澪はそれを無視して、

「さあ、行くわよ。急がないと電車に遅れるわよ」

 と、言いながら駆けだす。

「あ、待ってよ〜」

 聖も慌てて駆けだす。この時すでに澪のペースになっており、彼女が遅刻したことも完全に誤魔化されていた。

 ◆◇◆◇◆

 ガタン、ゴトン。

「ふぅ〜。以外と余裕だったわね」

 車窓から流れる景色を眺めながら澪は言う。

 そんな澪の言葉に聖は少し冷めた口調で言い放つ。

「これは余裕とは言わないと思うけど」

 澪はそれに納得し、訂正と同意のため口を開く。

「そうね。こういうのは……」

 澪はここで言葉を止め、答えとなる言葉を思索し、

「こういうのは?」

 やがて、見つかった言葉を続ける。

「結果オーライってやつよ」

「やっぱり……」

 澪の答えは聖が予想した通りのものであった。

 聖と澪の2人は隣町へ向かう電車に乗ることはできた。しかし、それは予定していた電車ではない。2人がホームに着いた頃には乗る予定だった電車はすでに出ており、次の電車がホームに来ていた。この電車が偶然にも隣町の駅に止まるということで、2人は乗り込んだのである。電車の中も駅前同様人影は少なく、その理由も駅前と同じである。

「まあまあ、細かいことは気にしない気にしない」

「そうだね」

 お気楽極楽ではあるが澪の言うことも一理ある。せっかく遊びに行くのだから楽しまなくては損である。敬吾の前では平静を装っているが、事件のことで色々と考えることもある。今日ぐらいはそれを忘れて楽しみたい。

「ところで澪」

「ん?」

「わざわざ隣町まで何を買いに行くの?」

「色々」

「具体的には?」

「CDとか服とか、その他もろもろ」

 まあ、普通の買い物である。

「ふ〜ん。それで何で隣町なの?」

 聖の疑問はもっともなものである。確かに聖達の町は小さい町だが、ショッピングを楽しませる甲斐性ぐらいはある。ショッピングが目的ならわざわざ隣町に行く理由はないのである。

 そんな聖の問いに澪は一言で答える。

「気晴らし」

「気晴らし?」

「そ、こういうふうに遠出するの好きなのよ。まあ、趣味みたいなもんね」

 行動派の澪らしい趣味である。確かに普段は訪れない場所で、休日を過ごすというのはいい気分転換になるだろう。

「趣味か……澪らしいね」

「まあね。それに隣町のアーケードは服とゲームが凄く安いのよね」

 聖は「安い」という言葉に即座に反応する。

「どのくらい?」

「物にもよるけど大体20%OFFぐらいかな」

 これはかなりの値引き率である。

「それ本当?」

「本当、本当」

「それは行く価値あるわね」

「でしょ♪」

 2人の瞳には欲という名の輝きが宿っていた。そんな2人にお構いなしに、電車は次の駅を目指していた。

 ◆◇◆◇◆

「いや〜、大漁大漁♪」

「本当。たくさん買ったね♪」

 2人はショッピングを終え、澪のおすすめのレストランで、ちょっと遅めのランチタイムに入ろうとしていた。アーケードでのショッピングは予想以上の収穫があった。普段は来ない隣町ということで、町並みも新鮮に映るし、アーケードの方も品揃えも良く、値段もお手頃で文句無しといったところである。澪はもちろん聖もかなり満足していた。自他共に認めるジーニスト(と、言うよりはジーンズしか着ない)である聖も気に入ったジーンズを安値で購入出来たし、さらにその店でバンダナをおまけにもらった。以前からバンダナに興味のあった聖にとって、これは嬉しいサービスである。

 聖は澪の足下に置いてある紙袋に目をやる。聖自身もジーンズ以外にも小物や本を購入したため、それなりのサイズの紙袋(サイズ中)が荷物に加わっているのだが、澪のそれは聖を軽く上回っていた。澪の紙袋は聖の物よりも大きく(サイズ大)、さらにそれが2つもある。

「ところで澪はいくらぐらい使ったの?」

 澪は上着のポケットに詰め込んでいたレシートを取り出し、それを1つ、1つ広げていく。

「う〜ん。3万ちょいってところね」

「そんなに使ったの!?」

 予想よりも大きな数字に驚きの声を上げる。

「何言ってんのよ。こういう時ぐらい贅沢しなきゃダメよ」

 澪のその表情は言葉以上に「何言ってんのよ」と語っていた。

「で、そう言うあんたはどのくらい使ったの?」

 聖はごそごそとレシートを取り出し、それを1枚1枚確認する。

「え〜と、税込みで7,875円」

 こちらも予想よりも少ない額だった。

「全然、使ってないじゃない。もしかして、あんまり欲しいの無かった?」

「欲しい物は色々あったんだけど……」

 語尾を濁す。

「もしかしてお金なかった? 言ってくれれば奢ってあげたのに」

「あ、別にお金が無かったわけじゃ無くて……え〜と、つまり……」

「まさか、例の貧乏性が出た?」

「……うん」

 本人が言うとおり、聖は決してお金が無かったわけではない。現在はバイトもしており、遊ぶぐらいの余裕はある。ただ、中学、高校の頃、周りの友人と比べ小遣いが少なかったため、節約していたことがあり、余裕がある今もこの癖が残っている。

「うん。でも、買い物は楽しめたよ」

「そう? 何なら食べたあと、またアーケードに戻っても良いけど?」

「ん〜、別にいいよ」

 アーケードで見た商品が一瞬頭をよぎりはしたものの、貧乏性がそれを押さえた。

「そ、判った」

 その聖の心情を読みとった澪は短く、そう答えた。

 ここでちょうど会話は途切れた。何が丁度なのかというと、ウェイトレスが二人が注文したパスタを運んできたのである。

「おまたせしました」

 テーブルに並べられたパスタに澪は目を輝かせる。

「ん〜。いい香り」

「じゃ、いただきます」

 2人は同時にフォークを手にした。

 ◆◇◆◇◆

 聖と澪の2人が昼食を取っている頃、敬吾と拓人もランチタイムに入っていた。ただ、この2組を取り囲む状況には酷く差がある。聖達がレストランで和気あいあいと食事を取っているのに対し、敬吾達の食事は狭い車の中でコンビニの調理パンと寂しいものだった。おまけに食事の間を飛び交う会話も明るいものではない。

「あのやぶ医者……思い出すだけで腹立ってくる」

 敬吾はそのイライラをぶつけるかのように(実際ぶつけている)パンにかじりつく。車内の険悪ムードの原因は…数時間前に遡る。被害者達を救うため病院に駆けつけた2人を待っていたのは、気が低下した被害者達と担当医の1人である武田という医者だった。

 武田は被害者達に処置を施す2人のすぐ後ろで手伝いをするわけでもなく、ただグチグチと遠回しな嫌味を言い続けていた。その内容を要約すると、オカルトなんて信じられんというものや、ペテンじゃないのかと疑うようなものである。

 途中、敬吾は我慢できず、武田に掴みかかろうとしたが、拓人がそれを制し、結局、終始嫌味を言い続けられたのである。

 敬吾は怒りにまかせ、一気にパンを食い尽くす。そしてお決まりのパターン通りに喉を詰まらせ、慌てながら詰まったパンをコーヒーで流し込む。

 そんな敬吾を横目でちらっと見やると、拓人は「ふぅ〜」と溜め息をつき、

「なら、思い出すな」

 と、言い放つ。

 その拓人の冷めた口調が敬吾のストレスを貯める。

「おまえなぁ〜。あんな何も判ってないやぶ医者にあーまで言われて何とも思わないのか? 腹が立つとか、頭に来るとか」

 よほど頭に血が上ってるのか、自分が同じ意味の言葉を繰り返していることに敬吾は気づかない。そんな勢いの敬吾の言葉を拓人は冷静に突っ込む。

「腹が立つも、頭に来るも意味は変わらない。表現が違うだけだ」

 突っ込まれたことにより、敬吾はさらに顔を赤くし声を荒げる。

「そんな細かい突っ込みはどうでもいいんだよ! おまえは何とも思わないのか!?」

「いちいち切れるな。大体、あの医者がなんと言おうと僕は何も感じはしない」

 激高する敬吾に顔色一つ変えず、拓人はいつもの冷静な口調で言い放つ。

「なんでだよ!? 悔しくないのか!?」

 敬吾の問いに一言で答える。

「全然」

 さらに食いさがろうとする敬吾を片手で制し、拓人は口を開く。

「敬吾、お前はさっきあの医者を『何も判っていないやぶ医者』と言っただろ」

「ああ……」

 拓人は冷静な口調のまま続ける。

「そんな何も判ってない奴が言う事なんて気にもならないさ。馬鹿が吠えてる。ただそれだけだろ?」

「………」

 拓人の冷静な声により、高ぶった感情が静まっていく。

「その程度の奴を相手にする必要はない。僕もお前もな」

「判ったよ……」

 完全に怒りが鎮火したわけではないが、ここまで言われれば敬吾もさすがに冷静にならざるをえない。

 敬吾が我を取り戻したことを確認し、拓人は口を開く。

「それより気になるのは……」

「ん?」

「被害者達の様態が急激に変化したことだな……」

「………」

「一体何が起きたんだ?」

 拓人の問いは敬吾が予想していたものであり、敬吾は用意していた言葉で答える。

「これは推測になるが、おそらく夢魔が被害者の気を吸収しだしたんだろう」

「何故だ?」

「たぶん力の回復が目的だろ。この前、けっこう痛めつけたからな」

「なるほどな……」

 夢魔は精神体と呼ばれるものに属し、気により構成される存在である。精神体がダメージを受けると、構成要素が失われていく。これを回復させるには構成要素、つまりは気を集める必要がある。と、いうことなのだが、拓人はこれを理解してはおらず、敬吾が「回復のため」と言ったので、ただそれを鵜呑みにしているだけである。

「しかし、どうやって気を吸収している? 被害者の周りには結界が張ってあったはずだ」

 如何にオカルトに対する知識が少ない拓人でも、結界の効果ぐらいは理解している。だからこその疑問である。

「確かに結界は張ってあった。だから奴はそれに引っかからない方法を使ったんだ」

「そんなものがあるのか?」

「ああ、詳しい説明は省くが、気っていうのは精神に引かれる性質がある。多分夢魔はそれを利用して気を集めてるんだろうな。前の結界じゃその性質までは防げない」

 「磁石に砂鉄が集まるようなものか」と、拓人は1人ごちる。

「新しい結界は大丈夫なのか?」

「……はっきり言って気休め程度だな。気は回復させた。だが、あの結界じゃ3日が限度だ。それ以上はもたない。結界が破れれば、被害者達の気は夢魔の元に行く。そして……」

 敬吾は最後の言葉を飲み込む。死という言葉を。

「しかし、今、僕達が出来ることは……」

「何もない。強いて上げればパンを食うことかな」

 敬吾としては、この一言で笑いをとり、場の空気を和らげるつもりだったのだが、今のジョークで笑える程状態は軽くない。そして、2人しかいない車内を沈黙が支配する。

「………」

「………」

 やがて2人はぼそぼそとパンをかじり始める。こうして男2人のわびしい食事が再開された。

 ◆◇◆◇◆

「聖。ここは?」

「私が小さいときに遊んでいた公園」

 そうそこは公園である。聖の自宅の近所にある丘の公園。

 隣町でのショッピングを終え2人が自分達の町に戻ったのは午後4時過ぎと、解散するには少しばかり早い時間帯だった。そこで聖は自分のお気に入りスポットに澪を案内したのである。

「へ〜。聖にも小さい頃あったんだ。ちなみにその頃の身長は?」

「澪ちゃん♪」

 聖のその声は不自然なまでにやさしいものであり(怒気を含んでいるのだから当然ではあるのだが)、それゆえに澪は危険を感じ取り、その場から逃げ出す。

「ジョークよ、ジョーク」

「ジョークじゃな〜い!」

 聖も澪めがけて駆けだす。

「………!」

 本気で逃げる澪。

「………!」

 それを本気で追いかける聖。

 数分後、ようやく2人のチェイスも終了し(聖に捕まった澪がお仕置きされるという結末)、2人は丘のフェンスにまで来ていた。

 肩で息をしながら口を開く。

「……ところで聖」

「……何?」

 応える聖も息は切れ切れである。

「いいところね」

「うん」

 この公園は児童公園ではないため遊具等は設置されていない。しかし、丘に創られているため、そこからの眺めは格別である。フェンス越しの夕日は美しく、空はオレンジに染まっていく。それを眺める2人の頬を風は優しく撫でる。風は少し冷たく、2人に秋を感じさせるものだった。その光景は優しく幻想的である。

「………」

「………」

 2人は目を閉じ、肌で風を感じとる。

「気持ちいい……」

「うん……」

 ゴオオオオオオオオオオオオオオオッ。

「きゃ」

「わっ」

 それまでのものとは明らかに質の違う荒々しい風が、突然周囲に吹きつける。その風はただただ冷たく、人の心に季節を伝える優しさはない。

 やがてその風が、辺りの空気を支配する。

「何……これ?」

「この感じ……」

 聖はこの空気に覚えがあった。

 2人は背後にその空気の元凶感じ取り、同時に振り返る。

「あ……」

「子供?」

「フフフ。こんにちはお姉ちゃん達。会いたかったよ」

 訝しげな表情を浮かべている2人とは対照的に少年はにこやかな笑顔を浮かべ微笑んでいる。一見その場の空気と相反するかのようにも思えるが、何故か違和感がない不思議な笑顔を。

 澪は沸き上がる不安を押さえ、平静を装う。

「……何、この子?」

「フフフ」

 少年は穏やかな表情のまま前に、つまりは聖達に近づく。

「来ないで!!」

 聖は不安と恐怖を押さえ込み、腹の底から声を出す。

「聖……?」

 少年はその場で足を止めると、

「ひどいな。いきなり大声上げなくてもいいと思うけど? 僕は1週間もお姉ちゃん達を探してたんだよ」

 戯けた口調で聖に抗議する。

「ふ、ふざけないで! 私は知ってる。知ってるんだから!!」

「へぇ〜。そうなんだ。覚えてるんだ。僕のこと……そっちのお姉ちゃんはどう? 僕のこと覚えてる?」

「………」

 澪は答えない。答えられない。本能に訴えかける恐怖が澪の身体と意志を縛り、その自由を奪っている。澪は少年の事を覚えていない。しかし、少年がその身に纏う独特な雰囲気には覚えがあった。

「……なんなのあんた?」

 やっとの思いでそれだけの言葉を喉から絞り出す。

 少年は「ふぅ〜」と息を漏らす。その表情は心底残念だと言わんばかりのものである。

「残念だな。そうか覚えてないんだ。でも、仕方ないかな?」

 少年は芝居じみた口調で戯けてみせる。が、少年を包む空気は変わらず冷たいものである。

「何言ってんのよ……?」

 澪としては虚勢を張ったつもりなのだが、それは虚勢と気づくことも難しいほど弱々しい。

「質問に答えて上げたいところだけど、僕も忙しくてね」

 少年の右手が静かに澪へ向けられる。

 聖はそれに本能的な恐怖を感じ、とっさに叫ぶ。

「逃げて澪!!」

「えっ……?」

 澪は動かない。いや、動けない。恐怖にさらされ完全に硬直している。

「取り合えず眠ってね」

 「ニコリ」と、笑うと少年の右手から黒い何かが澪に向けて放たれる。それは恐怖を感じさせるもの、つまりは闇。

「……いや」

 闇に打たれた澪の体は力を失いその場に崩れ落ちる。

「澪!?」

 聖のその叫びにも近い呼びかけにも、澪はピクリとも反応しない。

「心配しなくていいよ。お姉ちゃんは僕の母様の1人になっただけだから」

 少年のその口調は相も変わらず穏やかなものであるが、少年から発せられる恐怖は消えない。それどころかより強まっていく。

 恐怖により心情がそのまま言葉に出る。

「……何を言ってるの?」

「まあ、判らないだろうね。でも、すぐに判るよ」

 澪に向けられた少年の手が、聖に向けられる。

「!!」

 聖の、いや、人間の本能がそれは危険だとサイレンを鳴らす。聖はそれにしたがいその場から逃げ出そうとする。しかし、体は恐怖により、すくみ固まっていた。

「それじゃいくよ」

 少年の手から先程同様に闇が放たれる。

「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 悲鳴と共に聖は強くその瞳を閉じる。そして、彼女の意識は途切れる。

 少年から放たれた闇は、聖の前でその動きを止め、宙に留まる。

「え?」

 少年は目の前で起きたことを理解出来ず、ただ目を丸くする。

 やがて闇はその場で静かに霧散していく。その先には立ちつくす聖の姿がある。しかし、その容姿は先程までとは違い、黒かった髪は銀の輝きを放ち、その瞳には青い光が宿っていた。

「……何したの? お姉ちゃん」

「危ないから防がせてもらった……」

 そう答える聖の声と口調は先程までのものとはまるで違う。

「……お姉ちゃんじゃないね。誰?」

 そう問う少年の顔には変わらず笑みが浮かんでいるが、声からは少年らしい無邪気さが消えている。

「久遠……」

 彼女が名乗った通り、今、聖の身体には久遠の意志が宿っていた。

「ああ、あの時邪魔してくれた人か」

 少年はそうつまらなさそうに呟くと、「パチン」と、指を鳴らす。次の瞬間、少年はピエロの服に包まれていた。つまりは夢魔の姿へと転じたのである。

(かぜ)(の)りて(の)(や)く」

 久遠が呪を唱えると同時に、彼女の前に炎が生まれ、それは呪の通りに風に乗り、夢魔へと向かっていく。

「え?」

 いきなりの攻撃に虚を突かれ、夢魔は炎をまともに食らう。

「いきなりだね。少しは会話を楽しむものだと思うけど?」

 久遠はそれに構わず印を切り、次の術を発動させる。

(かぜ)(ひ)(まと)(ま)(くる)う」

 風は夢魔を包み込み、やがて炎を巻き込み炎の渦となる。

「消えろ」

 炎の渦から夢魔の声が静かに響くと一瞬にして炎の渦は消えさる。

「………」

 夢魔の体には外から判るダメージは無い。が、その表情からは完全に笑みが消えていた。

「……今日は帰るよ」

 能面の様な表情でそう呟くと、夢魔の体が徐々に消えていく。

「逃がさない」

 久遠はその指先に気を集め、矢の様に打ち出す。

 ヒュン!

 しかし、すでに夢魔の姿はそこにはなかった。

「………予定より早く帰ることになったわね」

 公園に先程までの温もりの跡は見られない。今はただ冷たい風が吹き続けている。まるで、全てが夢の様に。


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