第3章 いつものようで、そうじゃない日 侵食

 中古屋ラッキー裏手にある小さな小屋。その薄暗い中に敬吾は一人、目を閉じ立ちつくしていた。彼の前にはその腰ぐらいまで高さがある水瓶が置かれていた。水瓶の中にはなみなみと水が入れてある。

 やがて敬吾は静かに目を開き、その右手を水面に当てる。そして、一呼吸あけ、口を開く。

「風は水を運び、光は水に集う」

 ポゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ。

 敬吾の呪により術は動き出す。水面に光が集い、やがてその光が薄らいでいくと、水面に映像が浮かび始める。

「成功か?」

 映像は次第に明確になっていく。が、それまで静かだった水面に波紋が広がり、映像をかき消していく。やがて、波紋が収まると、そこに映像はなく、ただ静かな水面があるだけだった。

「くそっ、また失敗か……」

 敬吾は嘆息混じりに呟くと、水瓶に背を向け、小屋を後にした。

 病院での戦いからすでに1週間経っていた。敬吾はここ1週間、水瓶を使った占いにより、夢魔の居所を突き止めようとしていたが、その結果は7戦7敗。つまり全て失敗である。

 敬吾が外に出ると、そこには拓人の姿があった。ここ1週間、彼もまた毎日敬吾の元に訪れている。そしてその第一声も決まっており、

「何か判ったか?」

 である。対する敬吾の返事も、

「な〜んも」

 と、これまた決まっていた。

「収穫無しか」

「ああ……」

 敬吾はばつが悪そうに返事をする。実際、1週間も進展がなければ、さすがに焦りもする。

「1週間も続くと、いい加減、違うパターンの会話をしたいな」

 敬吾の心境を知らずか、それとも察しての嫌味か、どちらにしても拓人の言葉は敬吾にストレスを与えるものであり、敬吾は即座に反撃する。

「そっちこそ、何か情報は無いのかよ? 仮にも国家機構だろ!?」

「その国家機構に力が無いからこそ、民間に頼ってるんだ」

敬吾の言葉を拓人はさらりと流す。

「あのな〜。そうじゃなくて、ちっとは努力しろっていてんだよ!」

「それは判っている。こちらも捜査はしている。だが、何も掴めてない」

 事実特災科でも今回の件の捜査は行われている。具体的な捜査方法は特災科所属の数少ない能力者がそれぞれ占いという形で夢魔の行方を追っている。

「情けない話だが、特災科にいる能力者は皆4,5級の力しかない。おまえが出来ないことを彼らに期待するのは酷な話だ」

 拓人は嘆息混じりにそう言う。

「ってもなぁ。俺の占いの精度もどれ程か判ったもんじゃねーぞ」

「どういうことだ?」

 敬吾は頭をかきながら言う。

「俺もここ1週間、毎日占いをしちゃいるが、それほど占いには自信はない。そもそも、占いなんてやったことないから、我流でやってる状態だしな」

「やったこと無いだと? 嘘を言うな。これまでの事件ではちょくちょく占いをしてきただろう」

「ああ、確かな。でも、あれは俺じゃなくて久遠がやってたんだ」

 敬吾の意外な言葉に拓人は驚きを表す。

「久遠さんがか!?」

「ああ、でも今、あいつはこの間の少女の傷を癒すため、この場にはいない」

 あれから1週間たつが、今だに聖の精神は全快してはおらず、久遠はそれを癒すため、彼女の中にいた。

「そうか、で、久遠さんはいつ帰って来るんだ?」

「それは判らない。そもそも今回の様な事は初めてだからな。何時になるやら……」

「打つ手無しか……」

「そうなるな」

 敬吾も同意する。

「しかし、今回の件で1つ勉強になったな」

 そう言ってくる拓人の言葉に、敬吾は僅かな興味を覚え聞き返す。

「ん?」

「今後も何があるかは判らない。久遠さんが帰ってきたら、占い以外も色々術を習っておいた方がいいな」

 それは僅かに存在した興味を瞬時にかき消すものだった。

「そんなこと出来るか」

「何を言ってる。お前にはこれからも働いてもらうことになってるんだ。面倒臭がらず習っておけ」

「面倒とかそんな問題じゃねー。俺はすでにあいつから得られる術は全部修得してんだよ」

 拓人は訝しげな顔をする。

「どういう意味だ?」

「言葉どおりの意味だ。俺はもうこれ以上、あいつの術は覚えられない」

「その言い方だと、久遠さんがおまえの師だと聞こえるんだが?」

「師か……。まあ、その言い方もあながち間違いじゃないな」

「意味が判らないんだが?」

「おまえは俺がどうやって術を使える様になったと思う?」

 敬吾のその問いに拓人は訝しげな表情のまま答える。

「? それはやはり、幼少から厳しい修行をして……」

 拓人の答えは敬吾の予想通りかつ、期待通りのものであった。

「まあ、普通はそう考えるよな」

「違うのか?」

「全然違う。そもそも、俺は修行なんてしてない」

「何!?」

 それは拓人の、いや、一般的な常識を裏切る答えである。

「俺は久遠の術を自分の精神に写したんだ」

「意味が判らない」

「例えるなら久遠はソフトで、俺はハードだってことだ。久遠っていうソフトの術のデータを俺というハードに落としたってことさ。俺の一族は代々退魔師の家でな。久遠は一族の者のサポートと、術の伝承が目的で創られた存在なんだ。もっとも……」

 ここで敬吾は僅かに頬を赤くし、

「俺はあいつを道具とは思ってない。あいつは俺の家族だ」

 と、続けた。

「……本当なのか?」

 敬吾のその答えは予想外かつ、にわかには信じがたいものだった。それは拓人の表情にしっかりと現れていた。

「ああ、本当だ。嘘言ってどうする?」

 敬吾は得意気に言う。敬吾としてはこの次の拓人の反応は自分を賞賛するものと考えていたからである。が、現実は、

「おまえ、楽してたんだな」

 と、いうあまりにも賞賛からは遠いものだった。

「ちょっと待て!!」

 拓人のあんまりな感想に敬吾は吠える。しかし、拓人はそれに構わず、さらに続ける。

「どう考えてもそうだろう。楽じゃなければズルだな」

「ズルだと!?」

「大体、僕が知ってる他の術者は、幼少から厳しい修行をしてきた者ばかりだぞ。彼らと比べれば、他の言葉は出てこないさ」

「くっ……」

 拓人の正論の前に敬吾は言葉を詰まらせる。その表情とは対照的に拓人の表情はスッキリとしたものになっていた。

「だが、まあこれで2つの疑問が解けた」

「……疑問って?」

「1つはお前が退魔師ってことさ」

「何だよそれ?」

「お前とは中学の頃からの付き合いだが、おまえが普通の術者なら、普通の学生生活なんて送れるはずないからな」

「まあな……」

 敬吾はばつが悪そうに答える。実際、ズルと言われた後なのだから、当然なんだろうが。

「で、もう1つはなんだよ?」

「以前、お前の家に遊びに行った時のことなんだが、丁度その時、お前は留守だった」

「………」

「それで暫く、庭で待ってたら、久遠さんがお茶を入れてくれてな」

「………」

「さらに昼食まで御馳走してくれてな」

「………」

「あの時はお前の恋人なのかと、悩んだんだが……」

「………」

「そうだよな。お前にあんな素敵な恋人が出来るはずないよな」

「巨大なお世話だ!!」

 それまで無言で話を聞いていた敬吾も、さすがにこれには吠える。しかし、拓人はそれを気にせずさらに続ける。

「まあ、さしずめ、久遠さんはお前にとって母親みたいなものか」

「パートナーだ!」

「おまえがそう思っていても、向こうは手のかかる子どもと思ってるんじゃないか?」

「何を根拠に……」

「食事を御馳走になった時に、久遠さんから話しを聞いた」

「どんな話だ?」

「いつも家事は久遠さんがやっているそうだな」

「………」

 敬吾は無言で顔を背ける。そんな敬吾にお構い無しに拓人はさらに続ける。

「少しは久遠さんを手伝えよ。今は男も一通り出来ないと駄目だぞ」

「ほっとけ!」

 敬吾のその声は大きかった。もちろん痛い所を突かれたためである。

 ここまで来て、拓人は話がそれたことに気づく。

「それでだ」

「ん?」

「おまえは久遠さんから術の知識を得たんだよな?」

「ああ」

「それなのに、何でおまえに使えない術があるんだ?」

「それは簡単な話だ。単に体質だ」

「体質?」

 予想外の答えに拓人は思わず単語を繰り返す。

「ああ、これまで久遠は俺の一族に術を伝えてきたんだが、この伝え方に問題があってな」

「問題だと?」

「久遠は一族の者の血や精神に波長を合わせて、術を伝える。だが、この方法のため代を重ねる毎に歪みが出来てしまう。つまり……」

 敬吾は語尾を濁す。そして、続く言葉を選ぶ。が、

「血が混ざるということだな?」

 拓人はそれを難なく言ってくる。

「……そうだ。代を重ねれば当然血は混ざっていく。そのために正確に伝わらない術や、失われる術が出てくる」

「……ただ便利と言うわけではないんだな」

「まあな」

「しかし、何故、お前の一族はそんな方法で術を伝えていこうとしたんだ?」

「何故って、なんだよ?」

 拓人の疑問の主旨をつかめず、敬吾は問い返す。

「いや、確かに久遠さんを使った方法は便利だ。だが、代を重ねる毎に術は失われていくだろ。それなのにどうしてその方法を選んだのかと、思ってな」

「それは術をより多く伝えていくためだそうだ」

 敬吾の答えは矛盾したものだった。少なくとも拓人にはそう感じられた。

「はっ? しかし、現に術は失われてきてるんだろ?」

「失われちゃいない。ただ、使えなくなってきただけさ。現に久遠は今も全ての術を持っている」

「同じ事だろう?」

「まあ、使えないから一緒だって、言われりゃそうだけど、余所よりは多く術は残ってると思うぜ」

「どういうことだ?」

「余所は術をその家の者に伝えたり、書物に書き残したりして各世代に伝えてきた。けどな、これも正確には伝承しないんだよ」

「そうなのか?」

「術ってのは呪文や道具、気の練り方や印の組み方なんかで構成されてる。つまりはこの中の一つでも失われたら術は成り立たないわけだ。大概のことは書き残しときゃいいけど、気の練り方なんかはそうはいかないしな。おまけに書物なんかは無くなったりするだろ」

 敬吾の言っていることは確かに正しい。が、拓人を完全に納得させることは出来なかった。

「確かにな。しかし、それでも久遠寺家の術の保存が良いとは限らないだろう?」

「おまえな……。じゃあ、なんで俺のランクが第1級になってんだよ」

「あっ……」

 言われて身近にその証拠が存在していたことに気づき、拓人は間抜けな声を漏らす。

 そんな拓人を見て、呆れて敬吾は溜め息をつく。そしてそのまま頭を押さえながら口を開く。

「まあ、それはともかく余所の術が失われる最大の原因は……」

「………?」

「修行が厳しすぎることだろな」

「なるほどな……」

 まあ、それは納得できるものではあった。

「それで、今日はどうするんだ?」

 拓人の問いに、敬吾はやや考えて答える。

「……そうだな。聖ちゃんとでも会ってみるか」

「あの娘にか……」

 拓人の声が僅かに曇る。本来、特災科の任務は全てが極秘の内に行われなければならい。このため、出来ることならこれ以上の民間人の介入は避けたいというのが、拓人の本心なのである。

「ああ、久遠が帰ってくるまで何もしないってわけにもいかないからな」

 現状を打破するには、一時でも早く久遠に戻ってきてもらう必要がある。

「どうする気だ?」

「それは様子を見てから決めるさ」

「そうか。なら、僕は僕の仕事をするとしよう」

 言いながら拓人は軽く伸びをする。

「頼むぜ。国家機構」

「出来ることはやるつもりだ。それじゃな」

 拓人はクルッと体の向きを変え、敬吾に背を向け歩いていく。

「ああ、じゃあな」

 敬吾もそれを見送ると、その場を後にした。

 ◆◇◆◇◆

「それでは今日はここまでにします。レポートの提出は来週までになりますから、忘れないように」

 講師はそう捨てゼリフを言い残すと、スタスタと講義室を出ていった。

 室内は90分の束縛が解け、一気に開放感が広がっていく。特に午前の講義はこれで終了なのでその開放感には勢いがあり、あっちこっちで談笑が始まる。その会話の内容と言えば、これから何処に遊びに行こうかとか、昼食は何を食べようかとかそんなもんである。しかし、この開放感溢れる中にもはしゃいでいない、いや、はしゃげない者もいる。聖である。

 聖は教科書やノートを直そうともせず、ただ机にその手をついて「はぁ〜」と溜め息をついている。その瞳は虚ろで、恐らく何も捕らえてはいないだろう。

「チィエストォォォォォォォォッ!」

 そんな聖の後頭部に掛け声と共に、手刀が振り下ろされ、それは「ゴッ」という重い音を立てて直撃する。

「痛ぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅっ」

「何が『痛ぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅっ』よ。1人メランコリーな顔して」

 聖の後頭部に重い手刀を振り下ろした犯人が言ってくる。その口調は僅かに荒い。

「あのね〜。いきなり何するのよ。澪?」

 聖は少し涙目で(けっこう痛かった)犯人、澪に顔を向ける。

 澪は聖の顔に指を指し、答える。

「あんたに喝を入れて上げたのよ。普段からボーッとしてるのに、さらにそのスキルを強化してどうするのよ?」

「私、ボーッとなんかしてないよ」

「してるわよ。少なくともさっきはね」

「うっ……」

 これは本当の事なのでさすがに反論できない。事実、普段の聖なら講義が終了すれば、すぐにノートや教科書といった教材を片づける。が、今は出しっぱなしである。

 澪は机に散らばった教材に目をやると、嘆息混じりに言う。

「あんたね〜。私の行動力を少しは見習いなさいよ。とっとと勉強道具を片づける」

 聖は教材をリュックに詰めながら言う。

「澪は行動力があるんじゃなくて、落ち着きがないだけ。それに勉強道具なんて最初から出してないでしょ」

 澪は腰に手を当て、顔を突き出しながら反論する。

「ちょっと待ちなさいよ。落ち着きがないってのは百歩譲って認めるとしても、勉強道具を最初から出してないってのは何よ?」

「だって、いつも法学の講義は寝てるじゃない」

「うっ……。それはそうだけど、今日も寝てたとは限らないでしょ?」

 痛い所を突かれ言葉が詰まるが、澪は何とか反論する。しかし、聖は即座に言い返す。

「さっき澪の方を見たけど、思いっきり机に突っ伏して寝てたじゃない。おまけに机には何も出てなかったよ」

「ちっ、見られてたか」

 澪は頬をポリポリとかく。そんな澪を尻目に聖は勝利宣言を上げる。

「私の勝ち」

「ふっ、まあ良いわ。いつもの調子に戻ったみたいだし。今回は負けといてあげる」

 その口調こそ、呆れたように言っているが、澪の顔には微笑みが浮かんでいた。

「えっ……」

 聖はこの時始めて澪が元気づけてくれたことに気づいた。そしてその聖の口から自然と感謝の言葉が零れる。

「……ありがとう」

 その言葉を聞いた瞬間、澪の頬が赤くなる。普段から強気で天の邪鬼なものだから、こんな風に素直に礼を言われるとどうしても照れてしまうのだ。だから、

「あんたが暗いと、私も調子が出ないのよ」

 と、口からは照れ隠しの言葉がでる。

「うん」

 聖の顔から陰は消えていた。

「良し。ただ勘違いしないでよね。今回はわざと負けて上げたんだから」

「そう? 思いっきり普通に負けてる様に思うけど」

「わざとよ。わざと!」

 澪は語尾を強調して言う。

「さっ、お昼に行くわよ」

 澪は言いながら、クルッと向きを変え、歩きだす。

「うん」

 聖もその後に続いた。

「そういえばメランコリーってなんなの?」

「憂鬱って意味よ」

 聖の疑問に答える澪の顔は得意げなものだった。

 ◆◇◆◇◆

 鳳城学院近くの空地に1台のジープが止まっていた。その車内ではシートを倒し、主が寝ていた。敬吾である。

「どうするかな……」

 敬吾は1人呟く。その瞳には愛車の天井が映っていた。映っているだけで、捕らえているわけではない。ただボーッと見てるだけである。

 拓人と別れてから、敬吾は聖に連絡を入れようと、携帯を取り出した。取り出しはした。が、そこで敬吾の動きは止まる。盲点に気づいたためである。

(そういや今日、月曜だよな……)

 敬吾の様に自由が効く身ならともかく、一般のそれも学生が月曜から暇だということはない。時間はまだ10時過ぎ。どう考えても会うのは無理である。ここで、まだ他に何かすることがあるのなら、時間も潰せるのだが、特にこれといってすることも思いつかなかった。いっそ、店を開けようかとも考えたが、拓人から緊急連絡が入る可能性がある以上はそうもいかなかった。考えたあげく、街まで(街と言っても、すぐそこのアーケードだが)買い物に行ってきたのである。今回のバイトを始めてから、特に息抜きという息抜きもしてなかったので、いい気晴らしにはなった。ただ、たいして時間は潰せなかったが。その後は、家に戻り、昼食(コンビニで買ってきた弁当)をとり、買ってきたCDを聞き、買ってきた本を読みと、時間を潰していった。そして気づけば、時計の針は午後3時を回っていた。その後は愛車で鳳城学院近くの空地に来て、今に至る。

 敬吾はシートごと体を起こすと、助手席に置いていた携帯を手に取る。が、その指はなかなか動かない。

「……なんか、かけにくいな」

 病院の件から1週間経つが、あれ以来、聖とは顔を合わせていない。これが何も無ければ「久しぶり」の一言で済むのだが、臨海公園での件があるため顔を合わせずらい。

(俺は気にはしてないけどな……)

 聖がそうとは限らない。実際、臨海公園から帰るときの聖の顔は暗く、特に会話も無く、気まずかったのを覚えている。この一週間で彼女が立ち直ったかは判らない。また敬吾も気にしてないと言ってはいても、会いにくいと感じている。これは無意識の内に気にしている証拠である。

「覚悟を決めるか……」

 敬吾は携帯に番号を打ち込んでいく。

 トゥルルルルルルルルル。

 トゥルルルルルルルルル。

「はい。もしもし……」

「あっ、聖ちゃん。久しぶり」

 敬吾は強引にテンションを上げる。これでいつものペースに持ち込もうとする。が、

「お久しぶりです。この前はご迷惑かけてすいませんでした」

 聖の声のトーンは明るく、いつもの彼女と変わりなく思えた。まあ電話ごしではあるのだが。これには敬吾も安堵の表情を浮かべる。

(もう、大丈夫みたいだな……)

「ところで敬さん。どうしたんですか?」

「え〜と、今から会えないかな? 話があるんだけど」

「今からですか? ちょっと待ってください」

 電話の向こうからは何やらガサゴソと、音が聞こえ、少しして、

「いいですよ。今どこにいるんですか?」

「鳳城学院の近くの空地だ。聖ちゃんは?」

「まだ、学校です」

「そうか、じゃあ校門の前で待ってるから」

「判りました」

 ツー、ツー。

 ここで通話は終わる。

「さて行くか」

 携帯を懐にしまうと、愛車のエンジンをかけた。

 ◆◇◆◇◆

 敬吾の乗るジープが校門に着くと、そこにはすでに聖の姿があった。

 聖はジープを確認すると、友人(澪)に手を振りながら、こちらに向かって走ってくる。

 敬吾が助手席のロックを解くのを待って、聖はジープに乗り込む。

「敬さん、お久しぶり」

「ああ、久しぶり」

「それで話ってなんです?」

「ああ、それなんだけど、ここじゃなんだから、場所を変えよう」

 敬吾は言いながら、ギアを入れ、アクセルを踏み込む。

 ブロロロロロロロロ。

 エンジン音を立てながらジープは走り出す。

「場所を変えるって、何処に行くんです?」

 聖はシートベルトを締めながら聞いてくる。

「俺の家だよ」

「敬さんの?」

「ああ、家が一番都合いいんだ」

 次の瞬間、聖の顔が真剣なものになる。

「まっ、まさか敬さん……」

「えっ?」

 聖のその真剣な声に反応して、思わず敬吾は声を漏らす。聖は少し言いよどんで、決意したかのように口を開く。

「私を部屋に連れ込んで、18禁的行為に及ぶ気じゃあ……?」

「ぶっ!!」

 全ての予想を超えた発言に、敬吾は思いっきり吹き出す。

「澪、私の友達が言ってました。最近は独身男性が焦って、時に暴走することがあるって」

「なっ!?」

「友達の家の近所でも3日前に暴走が起きたって、今さっき聞いたんです。でも、まさか、私が次の犠牲者になるなんて……。敬さん、お願いです。考え直して下さい!」

 聖の顔は相も変わらず、真剣なものである。これはつまり、100%本気ということである。

 敬吾は即座に抗議の声を上げる。

「ちょっと、待ってくれ!」

 聖は譲らず、これまた即座に言い放つ。

「いえ、待てません。すぐ考えを改めて下さい!」

 聖のその強い口調に負けず、敬吾は何とか抗議を続ける。

「いや、そうじゃなくてだ」

「なんです?」

「確かに家に行くとは言ったが、そんなことは一切考えてない!」

 敬吾は声に力を込め、言い切る。

「へっ……?」

 敬吾の言葉が、聖の思考の暴走を中断する。

 聖が冷静になったことを確認し、敬吾は言葉を続ける。

「話ってのは聖ちゃんのことだよ」

「私の?」

「ああ、聖ちゃんの体のことだ」

 この発言により、聖の思考が再び走り出す。

「やっぱり18禁行為!?」

 自分の言い回しの悪さから、またもや聖が暴走しだしたことに気づき、敬吾はすぐさま否定する。

「違う! 君の体調の話だ!」

「なんだそういう意味か……。ビックリした〜」

 聖は安堵の表情を浮かべ、背もたれにもたれかかる。

「ビックリしたのは俺の方だよ。今日の聖ちゃん変だよ?」

 聖は赤面し、頬を掻きながら答える。

「だってさっきも言いましたけど、友達から話を聞いたばかりだから……」

「それにしても、ちょっと過剰に反応しすぎじゃないか?」

「そうは言いますけど、これは女の子にとっては大事なことですよ」

「そらまあ、そうだろうけど……」

 男にとっても大事なんだが、と思いはしても、敬吾はそれを口には出さず、ただ相槌をうった。

 聖は少し言いにくそうに続ける。

「それに……」

「ん?」

「友達が脅かすものだから……」

「脅かす?」

「ええ、友達の話では知り合いの男程、いざという時、何するか判らないって」

 敬吾の中で聖の友達(澪)に対する怒りが膨らみだす。これを悟られないよう、平静に保ち、口を開く。

「……俺のことを知らないとはいえ、失礼な話だ」

 聖はあっさりとそれを否定する。

「向こうは敬さんのこと知ってますよ」

「へ?」

「前に私が話しをしたら、敬さんをお店まで見に行ったみたいで……」

「ほう」

「ちなみに目つきが悪いから、怪しいって言ってました」

 今の聖の発言により、澪に対する怒りは30%増量した。が、それも顔に出さず、なんとか平静を保ち、声を絞り出す。

「俺は紳士だって、伝えておいてくれ……」

「………」

 聖は何も答えなかった。この無言な態度が何を意味するのか。敬吾はそれを確認する気にはなれなかった。ちなみに敬吾の家に着くのはこの2分後のことである。


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