第2章第3節
ブロロロロロロロロロロ。
「むにゃむにゃ」
ギュロロロロロロロロロ。
「う〜ん」
ブロロロロロロロロロ……キィーーーーーーー。
「!?」
自己防衛本能に訴える警告音により、桐嶋聖は目覚めた。
「チッ、危ねーな。これだから年寄りは……」
自分の隣には警告音を発した張本人がいた。
「あれ、敬さん……? お早うございます……」
聖は寝ぼけ眼で、あいさつをする。
「よっ、おはようさん。気分はどうだい聖ちゃん?」
「? 普通ですよ」
「そら良かった」
敬吾はそう言いながら、右足でアクセルを踏み込んだ。
ブロロロロロロロロロロ。
「そう言えば、今何時ですか? 辺り暗いですけど……」
敬吾は車内の時計を一瞥し、
「あと5分で8時ってとこだ」
と、告げる。
「そうですか……」
聖はそのままシートにもたれかかる。身体はだるく、頭は働かない。今はただ眠りたい。
(いい夢見たいな……)
そして、彼女は再び目を閉じる。が、
「てっ、なんで私は車に乗ってるんですか!?」
寝かせた身体を一気に引起こす。ようやく意識が目覚めたらしい。
「なんでって。聖ちゃんがドライブに行きたいって言うから。俺のボロジープでドライブしてるんじゃないか?」
「へっ?」
ここで聖は自分の記憶を整理し出す。
「え〜と、今日は朝から学校に行って……。澪が洋子のお見舞いにいこうって言い出して、病院に行ったら面会できないって言われて、洋子の病室に忍び込んで……そして、帰ろうとした時に気持ち悪くなって……」
そこで聖の言葉が止まる。
「………」
聖は必死で記憶をたぐり寄せる。病室で洋子の顔を見たことは覚えている。その後が問題なのである。病室を出ようとした時に聖は、正確には聖と澪は倒れた。
「ピエロが私に母様って……そして着物を着た人が……」
(夢魔や久遠の記憶があるのか?)
「そう言えば、澪はどうしたんですか!? って言うか今日は敬さんに会ってませんよ! 大体、敬さんはしばらく店を閉めるって言ったじゃないですか! 一体全体、何がどうなってるんです!?」
聖は運転席の敬吾に詰め寄る。
「聖ちゃん。おっ、落ち着いて……」
敬吾は運転席の方まで顔を乗り出してきた聖を、取り合えず助手席に戻す。
「……説明して下さい」
敬吾はその声から、聖が落ち着きを取り戻したと判断し、口を開く。
「……分ったよ。説明する。ただ……」
「ただ?」
「これから話すことは、一般常識の範疇じゃない。それだけは先に言っておくよ……」
「分かりました……」
敬吾のその真剣な表情に聖は頷く。これがいつもの聖が知っている敬吾なら、冗談と返すこともしただろう。しかし、今、聖の目の前にいる敬吾は聖が知っている敬吾とはあきらかに違う真剣な表情を浮かべている。さらに聖自身が体験したことも一般常識では考えられないものということもある。このため聖は頷くことしかできなかった。
「じゃ、この先の臨海公園に車を止めてから話そう。聖ちゃんは今の内に家の人に連絡した方がいい」
「そうします」
聖はリュックから携帯を取り出し、電話をかけだした。
数分後。車は臨海公園の駐車場に停められていた。
2人は車から降りると、無言で歩きだす。ここ臨海公園はその名の通り、海に面した公園である。その敷地は広く、綺麗に整えられた公園で、週末にはアベック達が集まるデートスポットである。
2人の足は海岸沿いの通路で自然に止まる。
敬吾は通路の柵に腰をかける。
「じゃあ、この辺で話そうか」
「はい」
聖も近くのベンチに腰を下ろす。
「順を追って話す。解らないことがあったら、そのつど質問してくれ」
「判りました」
敬吾は目を閉じ、話す順番決めるとやがて口を開く。
「昨日、店で話したこと覚えてるかい?」
「あのニュースの話ですか?」
「ああ……。あの事件、実は原因不明でも何でもないんだよ」
「どういうことです?」
「言葉通りの意味さ。原因は判ってるんだ」
「それ本当なんですか!?」
聖は驚愕の声を上げる。彼女自身、この情報社会で得られる情報が、全て正しいとは思っていなかったのだが、それでもこれは、聖が驚くには十分なものだった。
「ああ」
「それでその原因って何なんです?」
「霊的災害さ」
「レイテキサイガイ?」
「まあ、厳密には違うが心霊現象と思ってもらって構わない」
「じゃあ、倒れた人は霊に取り憑かれてるってことですか?」
「まあ、そんなとこだ」
「……」
聖は言葉を無くす。敬吾から先に一般常識の話ではないと言われてわいても、いきなりオカルトが出てくれば、納得できるものではない。
「いくらなんでもそれは嘘でしょ?」
「本当だよ。俺が今まで嘘ついたことあったかい?」
真顔で聞いてくる敬吾に、聖も真顔で返す。
「けっこうありましたけど」
「……まあ、今までは色々冗談も言ったけど、今回に限っては事実だよ」
その敬吾の顔は相変わらず真剣なもので、少なくとも嘘を言ってるようには見えない。もし仮に敬吾が嘘をついてるのなら、アカデミー賞並の演技である。
「何かそれが事実だという証拠はあるんですか?」
「無いわけではないが、今すぐには見せられない。後から必ず証拠は見せる」
「……判りました」
そこまで言われれば、聖も納得せざるをえない。
「それじゃ、話を戻すけど、あの病院には今回の事件の被害者が集められていた。治療を受けるためにね。まあ治療と言っても、実際は点滴による栄養補給ぐらいしか出来てなかったわけだけど」
「それじゃ意味無いじゃないですか」
「医学で直せるものじゃないからね。でも、点滴を打たなければ肉体は弱り最後には死んでしまう。それにあの病院に集められたのには他に理由がある」
「理由?」
「あの病院では心霊現象に対する調査を行うチームがいる。そして、今回も被害者達の調査を行ってたのさ。原因が分からなくちゃ対応出来ないからね」
「原因って、ただみんな霊に取り憑かれてたんでしょう?」
「根本的にはそうだけど、その事件毎に対処法も変わって来るんだよ」
「だって、霊は霊でしょ? 念仏とかで御祓いすればいいんじゃないですか?」
聖が言う御祓いはあくまで一般的なそれであり、そんなんもので祓えるようなら、退魔師が動くことはない。
「いや、まあそのお払いにもいろいろあってね……」
聖はここで「う〜ん」と唸り、やがて手を叩いて口を開く。
「あっ、病気に合わせて薬を変えるのと同じってことですか?」
「まあ、そんなもんだよ。それでだ。今回の事件の調査があの病院で行われていたんだけど、2ヶ月以上、調査しても成果が上がらないから俺が呼ばれたんだ」
「そこで、なんで敬さんが呼ばれるんです?」
聖の疑問は当然のものである。彼女が知っている久遠寺敬吾は小さい古本屋の店長でしかない。が、
「それが俺のバイトだからさ」
答える敬吾の顔はこれまで聖が見たことのない顔、つまりは退魔師としての彼の顔である。しかし、その表情よりもその答えの方が聖の興味を引いた。
「バイト?」
「そう、バイトだよ」
「調査がですか?」
「ああ、正確には調査から事件の解決までだけどね」
「………」
聖は敬吾の足下から頭までを見回す。その姿はいつもの黒の革ジャンにジーパンであり、顔つきも目つきが悪いという点をのぞけば、ただの一般ピープルに見える。
「とてもじゃないけど、御祓いが出来るようには見えないです。服も普通だし……」
聖の言葉に思わず苦笑する。
「まあ、一般的な認識で見れば、俺が御祓い出来るって言っても信じられないだろうな。確かに俺は見た目、一般人だしな。でも、俺は御祓いの専門家だよ」
「……解りました。信じます」
言葉ではそう言うものの、聖のその顔は明らかに半信半疑である。まあ、事が事だけに仕方ないのだが。
「じゃあ、話を続ける。俺は今日、バイトのためにあの病院に行った。事件の調査と被害者達に処置を施すためだ。原因は1人目の被害者を診た時にすぐ解った。」
「原因って……心霊現象じゃなかったんですか?」
「より詳しく原因が解ったってことさ。例えるなら病名が解ったってとこかな。ただ今回の事件はその場ですぐに解決出来るものじゃなかった」
「それじゃ解決してないんですね?」
「残念ながらね」
「そこで俺は被害者1人1人に応急処置をして回っていたんだけど、その時、ある被害者の部屋に異常事態が発生した」
「まさか……」
敬吾の言葉に聖は不安と恐怖を感じ取る。そして、
「水谷洋子」
その告げられた答えは彼女が不安と恐怖を感じたそれだった。
「やっぱり……」
「彼女の病室に異常事態が起きたことを感じ取った俺は病室に行き、事態に対応しようとした」
「異常事態って何です? まさか洋子は……?」
最悪の事態を想像し、聖の顔が一気に青ざめる。敬吾もそれは予測していたので即座に否定する。
「いや、彼女は無事だよ。生きてる」
「じゃあ異常事態って何です?」
「彼女に憑いていた霊が暴れ出した」
「暴れ出した?」
「ああ、そいつは病室にいた聖ちゃんともう一人の娘に取り憑こうとしていた。そしてそこに駆けつけた俺はそいつを祓おうとしたんだが、結果逃げられてしまった」
「なぜ……なぜ逃げられたんですか?」
聖のその声は震えていた。自分の中に残る断片的な記憶と敬吾の話から、一つの答えが出たからである。
敬吾は言葉を詰まらせるが、やがて口を開く。
「……御祓いで弱った奴は、君から力を奪うことで、その場から逃げた」
「………」
聖は言葉を失う。敬吾の口か語られた答えが、自分が予想した最悪の答えと一致したためである。いくら知らなかったとは言え、自分が、正確には自分と澪のせいで御祓いが失敗してしまった。この事が聖の胸を締め付ける。
敬吾はその聖の変化に気づき、口を開く。
「一応言っとくけど、別に俺は聖ちゃんを攻めるつもりはないからな。確かに奴は君から力を奪って逃げたが、それは君が悪い訳じゃない」
「………」
「今日、聖ちゃんがあそこに居たこと自体は問題だ。立入禁止だった所に侵入したんだから。けどな、御祓いが失敗したのは君のせいじゃないんだ」
「? 意味が判らないんですけど……」
「俺のバイトの名は退魔師って言うんだけどな。この退魔師の教えに『時は常にあるべき姿にある』ってのがあるんだよ。これはその時その時の状況は偶然じゃなく必然だって意味さ」
「必然?」
「ああ、だから君があそこに居たことも、あの場に俺が来たことも全部、なるべくにしてなったということさ。だから、あそこで御祓いが失敗したのはその場を把握しきれなかった俺のミスなんだよ」
「………」
「別に無理に納得しろとは言わない。けど、もうすんでしまったことだ。気にしない方がいい」
「……はい」
聖は弱々しく頷く。敬吾が今、言ったことは全て本音である。御祓いの失敗は自分の責任であると考えている。もちろん聖を励まそうとしたのも事実ではあるが。敬吾の言ったことに嘘はない。ただ、気にするなと言われて、ハイそうですかとはいかない。聖からすれば敬吾の言葉はただの慰めでしかなく、それが彼の本音とは思えない。
「………」
「………」
暫く沈黙が続く。が、それは沈黙に耐えられなくなった敬吾によって破られる。
「話が反れた。本題を続けるよ。奴が逃げた後は聖ちゃんに処置をして、病院と関係者に事情を説明した。そして帰る途中で聖ちゃんが目を覚ましたんだ。もう一人の娘は俺の知り合いが家に送ってる。あと、被害者は病院で安静にしてるよ」
「じゃあ、澪も洋子も無事なんですね」
「ああ」
「そっか。良かった……」
聖は胸を撫で下ろす。それによりこれまで聖を覆っていた不安と罪悪感が薄らいでいく。
「質問が無いなら、ここらで終わりにするけど?」
「特に無いです……」
「じゃ、帰ろうか」
敬吾はゆっくりと歩きだす。聖もそれに続く。空には雲も無く、星が輝いていたが、聖にその輝きに気づく余裕は無かった。