第1章第2節

 社会人の皆様方が昼食を終え、憂鬱な午後の仕事に戻ろうとする頃、開店する店がある。

 鳳城学院より徒歩10分の駅前の古本屋『ラッキー』である。店の中では若い男が一人、掃除をしていた。その顔立ちは、一部を除けば、それなりに悪くはないだろう。その一部というのは眼なのだが、ただ単純に目つきが悪い。まあ、これが彼の顔の特徴と言えばそうなるだろう。髪は黒く、短く切りそろえてある。また、その服装は黒の革ジャンにジーパンと、掃除をするには似つかわしくないもだ。ちなみに身長は180cmと高めで、その体は僅かに細く感じる。が、実はその身体は鍛えられ絞り込まれている。

 男の名は久遠寺敬吾(くおんじけいご)といい、25歳にして古本屋ラッキーの店長をしている。まあ、店長と言っても、他に店員がいるわけでもなく、ただの個人営業なのだが。敬吾は掃除を終えると、店の玄関口まで行き、シャッターを上げる。

 ガラガラガラ。

「っ、眩しい」

 それまで暗い店内で掃除をしていた敬吾を日の光が照らす。現在、時計の針は午後1時を指している。普通の店が営業を始めるには遅すぎる時間だが、ここラッキーではこの時間こそ平日の開店時間なのである。ラッキーは古本屋といっても、文芸と呼ばれるような物は扱っておらず、コミック文庫本、TVゲーム等を扱う店で、最近よく見る中古屋である。扱う品物から客層は当然、学生を中心とした若者となっている。

 敬吾はシャッターを上げ終わると、店の中に戻りレジに着く。いつもなら、チャイムが鳴ったら店の奥から出てくるようにしているのだが、今日はレジに座る。これから訪ねてくるの客を待つためである。

 待つこと5分。

「敬吾、いるか?」

 と、スーツ姿の男が入ってきた。この男、名を秋津拓人(あきつたくと)という。とにかくハンサムと言う言葉が似合う男であり、その顔立ちは彫りが深く、絶妙のバランスで整っており、その瞳も大きく、おまけに二重まぶた。加えて鼻も高い。その黒い髪は長く、肩まで伸びている。まあ、言ってしまえばロンゲなのだが、それもまた似合う。身体のラインは細く身長は185cm。細身の長身という奴なのだが、身体は決して軟弱なのではなく、鍛えられ絞り込まれている。同性は嫉妬し、異性は惹かれるであろう容姿である。

 敬吾は拓人を一瞥する。その視線にはあまり歓迎というものは含まれていない。むしろ、

「遅せーぞ。拓人」

 と、不機嫌そうに言葉をぶつける。まあ実際に不機嫌なのだろうが。

「遅刻はしていないと思うが?」

 その嫌味を拓人は難なくかわす。敬吾もそれを予測していたのか、かまわず続ける。

「学生の頃、5分前行動って習っただろ」

「今は社会人だ」

 と、拓人はこれも軽くいなす。

 敬吾は「ちっ」と舌打ちを打つ。前々から判っていたことだが、拓人に嫌味は通用しない。それどころかまず、口では勝てない。

「で、何の用だ?」

 不機嫌そうにうめく。

「客に対する態度じゃないな。」

「おまえがお客様なら、店長として接してやる。が、どうせ違うんだろ?」

 敬吾は不機嫌な表情のまま言い放つ。

「一応は客だぞ? 買い物に来たわけではないがな」

 敬吾は嘆息混じりに言う。

「ってことはまたあっちの依頼か。まあ、予想はしてたけどな」

「警視として来たんだ。当然だろ」

 言いながら、拓人は懐から封筒を取り出し、それを敬吾に差し出す。

 敬吾はそれを受け取ると、中から書類を取り出す。書類には警視庁特殊災害対策科の印が押してある。

 秋津拓人、彼はここに所属する警視であり、敬吾とは中学の頃からの腐れ縁である。

 書類に眼を通す敬吾だが、次第にその顔が、みるみる固まっていく。

「おい、これは本気か?」

 敬吾の問いに拓人はただ「ああ」と頷く。

「また、いい仕事を持ってきたな。拓人?」

 敬吾のその声には、嫌味と皮肉が込められているのだが、

「おまえの腕を見込んでのことだ」

 拓人はただそう返す。それは本当に慣れから来る余裕だ。

 敬吾はしばらく書類と向き合い「う〜ん」と唸り、やがて口を開く。

「報酬は?」

「500万」

 この答えにしばらく唸り、やがて答える。

「……引き受ける」

 拓人はそれに満足したのか、口元に笑みを浮かべ、

「では、第一級退魔久遠寺敬吾、貴殿にこの件を一任する」

 と言う。秋津拓人という男は正式な形にこだわり、毎回依頼のたびにこの口上を口にする。

 その後、拓人はマンガ本を一冊購入すると、店を出た。敬吾はそれを見送りながら呟く。

「また店閉めなきゃいけねーのか……」

 仕事を受けたことにより、敬吾の生活は非日常へと移行していく。例えそれが望まぬ事であっても。

 ◆◇◆◇◆

 

古来より、自然の理よりはずれし淀みを払い、人や土地を浄化する者――退魔師。その数は社会が近代化していくにつれ、減少してはきたが、彼らは確かに存在する。敬吾も普段は中古屋を営んではいるが、現在に生きるれっきとした退魔師である。

 先にも述べたが、社会が近代化していくにつれ、退魔師の数は減少している。理由は幾つかあるのだが、やはり一番大きいのは、その存在が迷信、幻想と見られるようになったことだろう。しかし、これとは反比例し、近代化が進むにつれ、淀み(現在では霊的災害と呼ばれる)は増加傾向にある。

 この状況を重く見た政府は警察機構に特殊災害対策科。通称特災科(とくさいか)を極秘の内に結成した。特災科が極秘なのには理由がある。霊現象を迷信、幻想と見る現代社会においてこれを発表することは、社会を混乱させると判断されたためである。また、特災科は警察機構の中から、霊的素質を持つ者により構成されている。しかし、増え続ける霊的災害への対応は追いつかず、民間の術者に有料で協力を要請している。まあ、こう言えば聞こえは良いが、実際の所、特災科は民間の術者に仕事を斡旋しているだけにすぎない。特災科が資質を持つ者によって構成されているとはいえ、それまで未知の領域だった世界に介入するには限界があり、多くの霊的災害は民間の術者の手にゆだねられるのである。

 この中で警察側は民間の術者の力量に応じ、そのランクを分ける。敬吾はその力を第一級(最上級)と認定されている。

 ◆◇◆◇◆

「暇だ……」

 誰もいない店内で敬吾は一人そう呟く。現在、時計の針は午後4時を指している。敬吾が店を開けてから、かれこれ3時間たっていた。拓人が店を出たあとはしばらく、客もなく、ただレジに座っているだけだったが、時計の針が2時を回った頃から、ぼちぼち客が入りだす。親不孝、親泣かせのサボり組の高校生達である。一般的に考えれば、当然、悪いことだが、店としてはお客様。当然黙認となる。

 高校生達は20〜30分程店内を見て回ると、やがてゲームソフトとマンガを購入し、店を出ていく。客が帰ると暇となる。これが一日中繰り返される。

 そうこうしている内に時間は流れ、時計の針は4時を回っていた。

「そろそろか」

 敬吾は時計を見ながらそう呟く。それに合わせたかのように、人影が店に入ってくる。

「いらっしゃい。聖ちゃん」

 そこにはいつもの客、御得意様、常連客、つまりは顔見知りの姿があった。桐嶋聖である。

「こんにちわ。敬さん」

 聖は挨拶を返すと、そのままレジの側のテーブに腰を下ろす。敬吾もレジに置いてあるコーヒーポットから、コーヒーを2杯注ぐと、1杯を聖の前に置き、そのまま聖の前に座る。

「ありがとう。外、寒かったから、暖かいの欲しかったんです」

 聖はマグカップを手に取る。

「だろな。今日は他の客も厚着してたからな」

 と、相槌を打つと、「ズズッ」と音をたて、コーヒーを啜る。

 親しげに話す所からも判るように、この二人はただの店長と客の関係ではない。この二人の出会いは3年前、敬吾が店を開いたばかりの頃まで遡る。当時、店を開いたばかりということもあり、客足は安定しておらず、経営状況も良いとはいえないものだった。そんな時、たまたま趣味の中古屋巡りをしていた聖はラッキーを見つけ、そこに入ったのである。その後、ラッキーを気に入った聖は暇を見つけてはちょくちょく顔を出すようになったのである。また、敬吾もいつの間にか、この数少ない常連客と話すようになり、現在に至ったのである。

「そういや、頼まれてた本、入ったよ」

 敬吾はマグカップを置くと、レジの方から本を取り、それを聖に手渡した。

 聖はそれを受け取ると、タイトルに目をやる。表紙には確かに自分が注文したタイトル『地震、雷、火事、ボーイ』と書かれていた。

「これ楽しみにしてたんですよ。帰ったら読も〜っと」

 聖は言いながら本をリュックにしまう。そして、そのまま財布を取り出すと、中から小銭を出し、それを敬吾に支払う。

「まいど」

 敬吾は小銭を受け取ると、そのままポケットにしまう。それからしばらく、二人の間ではたわいない会話が続いた。互いの私生活の話や、仕事や学校の話、好きな本やCDの話と、会話は盛り上がる。

 敬吾と聖が会話を楽しみだしてから30分程たった頃、不意に聖の脳裏に今朝の光景が浮かぶ。

「あっ、そう言えば、今朝のことなんですけど。学校で友達と話してたら、講義が始まったのに気づかなくて、先生に注意されて、みんなには笑われちゃいましたよ」

 聖の顔に「へへへ」と照れ笑いが浮かぶ。

「どんな話をしてたんだい?」

「昨日のニュースのことです」

「ニュース?」

 敬吾は単語をそのまま繰り返し、続ける。

「聖ちゃんの口から、ニュースなんて言葉が出るとは思わなかったよ」

「敬さん。怒りますよ」

 聖の瞳が「キュピーン」と光を放つ。

「あっ、悪りぃ、悪りぃ。でっ、そのニュースってのは?」

 敬吾はあやまりながら、慌てて話題を戻す。聖も文句を言いたげではあったが、会話を続ける方を選んだ。

「……実は同じ学部だった人が倒れたらしいんです」

「倒れた?」

「はい。なんでも原因不明らしくて……」

 と、そこまで聞いて、敬吾は声を上げる。

「もしかして、二ヶ月前から原因不明で倒れる奴が出てるってやつか?」

「ええ、その話をしてたら、友達が倒れた人達には共通点があるって言い出して」

「何だい。それは?」

「一つ目が原因不明で、二つ目が誰も目を覚ましていないということで、三つ目がみんな日本人て言ってました」

 聖は言い終わると、一口、コーヒーを口に含み咽を潤す。

「あまりおもしろくないな」

「私も20点しかあげませんでした」

 敬吾は「ははっ」と短く笑うと、そのまま続ける。

「実はもう一つ共通点があるんだ」

「え? 四つ目の共通点?」

 敬吾の口元に笑みが浮かぶ。

「ああ、倒れた奴らは皆、この街の人間だ」

 敬吾はどうだと言わんばかりに、自信を込めてそう言い放つ。が、聖の反応は

「そうなんですか」

 と、小さなものだった。

 聖はしばらく「う〜ん」と唸り、口を開く。

「それギャグじゃないから点数は増やせませんね」

「別にギャグのつもりじゃなかったんだけど……」

 予想外の反応にただ相槌をうつ。

「……ところで、その倒れた奴って、どんな奴だったんだ?」

「そうですね……」

 聖はしばし考え口を開く。

「私はほとんど話したことはないけど、怖い感じがする人だったかな。あと悪い噂がよく流れてた」

「悪い噂?」

「万引きしてるとか、イジメをしてるとか、あと麻薬をやってるっていう噂もあったかな?」

「そうか」

 その答えの大体が予測通りのものだった。若者の悪い噂というのは大概こんなもので差はない。

「でも、何でそんなこと聞くんです?」

「ただの興味本意だよ」

 敬吾はそう答えると、マグカップを手に取り、一気にコーヒーを飲み干す。

 聖は不意に「あっ」と声をあげた。その顔から笑みが消え、きょとんとした顔になった。

「どうした?」

「敬さん。今何時ですか?」

 敬吾は腕時計に目をやる。

「あと3分で5時だ」

「じゃ、そろそろ帰ります」

 聖は立ち上がり、リュックを肩に掛ける。

「今日は早いな」

「今日は母が仕事で遅くなるから、早く帰って家事をしとかないと」

「そうか、じゃあ気をつけて帰れよ」

「はい。ごちそうさまでした」

 聖は軽く頭を下げると、そのまま歩きだす。

「あ、そうだ聖ちゃん」

 呼び止められた聖は敬吾の方に顔を向ける。それに合わせ、敬吾は口を開く。

「明日からしばらく、店閉めるから」

「え、またですか?」

 ラッキーはたまに長い休みに入ることがある。短くても1週間。長くなると2,3週間その休みが続くことになる。近所の奥様方の間ではつぶれたとか、夜逃げしたとか、噂が流れたこともあった。

「ちょっと用事ができてね」

「それでいつからお店開けるんですか?」

 それに敬吾はやや考えて答える。

「ちょっとまだ判らないけど、なるべく早く開けるよ。だからまた遊びに来てよ」

「分かりました。また来ます」

 そう言うと聖はとことこと、店を出ていった。敬吾は聖を見送った後、店内に客がいないことを確認すると、早々とシャッターを下ろす。時間はちょうど午後5時。いつもならこれからが稼ぎ時なのだが、今日はここで閉店である。

 敬吾は再度店内を確認すると一人呟く。

「明日からバイトか……」

 ◆◇◆◇◆

 暗闇の中、影は舞っていた。華麗に、優雅に、いや、そんな言葉さえ色あせる美しい舞い。その舞いは見る者を魅了する魔性の舞い。影はただ舞い続ける。

 その舞いに魅かれたのか、何かが影の元に集う。動物でもなく、人でもない。あえて例えるなら光と言うべきだろう。影は舞いながらそれを確認すると、その顔に笑みを浮かべ呟く。

「まだ父様も母様も満足してないんだね。なら僕は続けるよ」

 光は影のその声を聞いても何も答えない。影は知っていた。光が何も言わないことを、光が何も答えないことを。それでも言葉を続ける。

「それが僕の役目だからね……。ククク、ハハハ、ハーッハッハッハッァー」

影はその顔に狂気を浮かべ、舞い続ける。ただ役目のために。

 
                                                       
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