第二章 第二節

 彼女たちに残された時間は終わった。だから、それは始まった。赤という色に支配された空と地上。音留麻高校の全てが赤に染まる。その妖艶で小さな世界の中心にそれは現出する。

 パアアアアアアアアアアアアッ。

 白い光がグランドの中心に集う。そして、それは4人が見守る中、形を成す。

「人……?」

 それは確かに人間の、男の形をしていた。が、人間であるはずはない。人間の身体は光で創られてはいないのだから。それにもっと言ってしまえば、現在の特撮技術をどんなに駆使しても、この広いグランドに仕掛けを作ることは出来ない。そして、その意味もない。

 男を人間に例えるなら、歳は20代半ばから30前半と言ったところか。全身を白を基調としたコートのようなローブで包んだ男。その漆黒の髪は腰までと長く、ボリュームがある。顔は美形ともとれるかもしれないが、どちらかといえば渋い感じが強い。身長はかなり高く、おそらく190pはあるだろう。そして、その威圧的長身をさらに強調するよながっしりした体型だというのが、その服の下から見える腕から容易に連想できる。

 男は静かに目を開いた。そしてこちらにその視線を向ける。

「!?」

 ビクッ。

 目と目が合う。ただそれだけで、望の身体に寒気、いや、悪寒が走った。

 男はそれに気付かなかったのか、それともどうでも良かったのか、望の様子など構わず、その場にいる4人を順に、その目で確認していく。そして、それが終わると、静かにその重々しい口を開く。

「君たちが今回の代表か……」

「そうよ」

 答える紅璃。その表情は明らかに緊張している。というより、この場にいる者はこの男以外、皆緊張している。違いがあるとすれば、望が事態を飲み込めず、緊張しているのに対し、3人の少女は事態を把握した上で緊張しているということだ。

 男はセフィルと望に顔を向けると、妙なことを言う。

「……今回、人間は2人も代表を出してきたか」

 望には男の言葉の意味が判らなかった。『人間の2人の代表』というのは、男の仕草から、自分とセフィルだということは分かる。だが、『代表』という言葉と『2人』という言葉がわからない。望自身、何かの代表になった覚えはない。そして、何より、今この場に人間は望を含め4人いる。

 理解できず困惑する望に変わるように、セフィルが凛とした声で男に答える。

「彼は関係ありません」

 このセフィルの答えに、男は初めてその顔に笑みを浮かべる。

「ほう……。では、なぜこの場にいる?」

「偶然です」

 男の問いに凪芭が答える。が、男はそれを認めない。

「偶然か……それはあり得ないことだ」

「本来ならそうでしょう。でも今、この時ならばあり得ることでは?」

「……ふむ」

 凪芭の言い分はそれなりに納得のいくものだったらしく、男と凪芭の問答はそこで終わる。が、それは答えとまでは至らなかったようで、男は望達を無視し、その目を閉じ、1人物思いに耽る。

 やがて、その目を開くと唐突に望へと語りかける。

「お前、名は?」

「は……?」

 望が男に返した答えは間抜けなその声だった。とはいえ、それまで話に置いていかれていた彼が、急に話を振られたのだから、仕方ないだろう。

 男は望のその間抜けな声を完全に無視し、その目を望へと向けている。その男の態度が頭に来る。だから、望は、

「人に聞くときは自分から名乗れよ」

 と、やや強く言い返す。

 男はこれまでこの様な対応を受けたことがなかった。それは新鮮だったのだ。そのため男の口元には自然と笑みが浮かぶ。

「……なるほど、確かにそれは礼儀だ。だが、あいにくと私には名は無い。よって名乗ることは出来ない」

「名前がない?」

「そうだ」

 男は短く答えると、もう一度、望に問いかける。

「お前の名は?」

 得体の知れない男。それに答えるべきか、僅かに悩む。が、この男の視線が向けられたままというのも嫌なので答えてやる。

「……夢想望」

「そうか、では夢想望よ、お前は何故、今、この時間、この場所にいる?」

 男のその問いにも簡単に答えてやる。

「……そこにいる2人を探しに来た」

 チラリと、望は横目で紅璃と凪芭を見る。

「なるほどそういうことか……」

 男はそれで納得したらしい。答えてやった対価として、望も男へと質問を投げかける。

「俺も聞きたいことがある」

「何だ?」

「今、何が起きている? あいつらは何をしようとしている? そして、お前は何だ?」

 それらはつまり現状だ。2人の少女の家出から始まった今回の一件。当事者である少女達は現状に自分を巻き込むまいと、何1つ答えてはくれない。そこから今、起きていることが、ただ事ではないということは分かる。だが、それはその異常な事態の中に少女達がいるということでもある。ならば、それを把握しなければ、少女達を連れ戻すことは出来ない。それが、望の考えだ。

 男は「ふむ……」と、少し考え込む。が、すぐに望に返事を返してきた。

「……いいだろう。それらの問いに答えよう」

「本当か?」

「うむ。まずは……」

「待って!!」

 男が語りだそうとしたその時、凪芭が彼女らしくない、大きな声で男の声を遮った。男は自分を止めた凪芭へと顔を向ける。

「何か?」

「彼は無関係だと言ったはずです。知る必要はありません」

 あくまで凪芭は望を巻き込みたくはないらしい。いや、それは紅璃とセフィルも同じか。ただ、一番に声が上がったのが凪芭というだけだろう。

 3人の少女達の強固で悲痛な意志。しかし、それは男には何の意味もない。だから、男は自分が答える理由を、ただを淡々と言葉にする。

「いや、ある。これから始まることに無関係な者など、この世界に存在しない。それに彼自身が知りたがっている。私は『書』だ。『書』は知識を求める者に己が持つ知識を与えるもの。だから私は答える」

「………ッ」

 あきらめと悔しさに凪芭の口元が歪む。それは紅璃とセフィルも同じだった。俯く3人の少女。それを気にも止めず男は語り出した。

「まずは現状を簡潔に説明する。世界が滅びようとしている。それだけだ」

「……はっ?」

 男が答えとして語り出した妄言に望はあっけにとられる。その望に構わず男の妄言は続く。

「次は彼女たちが何をしようとしているかだったな。彼女たちはそれぞれ自分達の世界を守るために、その手段である『書』を手に入れようと、戦いを始めようとしている」

「何を……」

 男の妄言が途切れてから、問い直そうと望は考えていたが、その妄言は妄言故か、すぐに意味不明な言葉へとなった。そのため止めようとするが、それを無視し続ける。

「最後に私の正体だが、私は『書』だ。正確には『書』の端末だな。君らと言葉を交わすためにこの姿をとった」

「………」

 男の『答え』はそこで終わる。それは男にとっては答えだったのだろう。しかし、それは望には意味不明な妄言でしかない。だから、

「ふざけるな!!」

 と、望は男に怒鳴りつける。

「ふざける? 今の会話の中にそれに思い当たることはないが?」

 男の顔に僅かにとまどいの色が浮かぶ。彼は本当に『ふざけた』ということに思い当たらないのだろう。そこに望をからかおうという意志は確かに感じられない。

 困惑する望。それを見かねたセフィルは彼に助け船を出す。

「……望。彼はふざけてはいない」

「え?」

「今のはあなたの聞き方が悪かっただけです。彼は『書』です。求めた者に偽りを与えることは出来ない」

「それはどういう……」

 問い返すとする望。その声を遮る2つの声がセフィルの後ろから響く。

「ちょっと!?」

「どういうつもりです!?」

 セフィルは後ろを振り向くと、望の声を遮った紅璃と凪芭に淡々と答える。

「仕方ありません。こうなれば望は全てを知るまで納得しないでしょう。ならば、早く全てを知って貰った方がいい」

「………ッ」

「………ッ」

 姉妹は揃って唇を噛む。彼女、セフィルが言っていることは正しい。それは分かる。だが、やはりそれでも感情を納得させることは出来ない。2人はセフィルに反論出来ず顔を背ける。

 姉妹とのやりとりが終わると、セフィルは望へと向き直り続ける。

「彼に質問をするのであれば、正確に求める情報の詳細を述べることです」

「正確に……」

 言われるまま、望は自分の中の疑問と、男が語った答えを整理する。そして、その内容がまとまったところで、望はもう一度、男と向き合う。

「もう一度、聞き直したい。いいか?」

「構わんよ」

「まず1つ目だ。さっきの世界が滅びようとしているってのは何だ?」

「言葉通りだ。この世界を含む3つの世界が滅びに晒されている」

 男の答えは相変わらずだ。普通ならまともに聞くようなものではない。しかし、今、望が直面している事態は、彼が17年間の人生で培ったちっぽけな常識の範疇をとうに越えているのも事実だ。望は自分の中の常識を押さえ、男に問い続ける。

「……それは何故だ?」

「3つの世界が時空の歪みに耐えられなくなったからだ」

「時空ってのは?」

「時空とは全ての世界に存在する時の流れ。それは世界に存在する全てのものを内包するもの」

 男は望の問いに淡々と答えていく。男が『書』だというのはあながち嘘ではないだろう。望が言葉で『検索』したことを、『書』は己の中の言葉で答えてくる。それはまさに教科書のそれだ。そして、教科書故に、それが持つ特性、見る者から見れば欠点とも言えるものも持っていた。望はそれを男に告げる。

「……分かりにくい。もっと分かりやすく頼む」

 世の学生の多くは教科書の分かりにくく、持って回した言い方に頭を痛めたことはあるだろう。望もそれにしばしば頭を痛める者の1人だ。そんな望には男の言い回しは少々難しい。

 望が困惑の表情を浮かべているのに対し、男はその望の『分かりやすく』という言葉に僅かに困惑する。が、男はすぐに自分の中の言葉をかみ砕き、なり分かりやすく組み直し、言葉にした。

「……この世界に存在するものならば生物、無機物問わず、全てに時は平等に流れる。その誕生の発端から、その完全な消滅までだ。これらの時の流れが集まり、1つの大きな奔流となったものが時空だ」

 望は男の言葉をさらにかみ砕き、自分で組み直す。

「……つまり、それは時間の流れってことか?」

「……それは正確ではない。しかし、そうとらえても概ね問題はない」

 『問題ない』と、答えた男の顔はどこか憮然としているように見える。もしかしたら、答えを簡略化されたことが気に入らないのかもしれない。しかし、それこそ望にはどうでも良いことだ。望はそれを無視し、話を次へと移した。

「で、その時空の歪みってのは何だ?」

「時の流れとは定められたものだ。全ての存在はそれに沿っていく。お前達、人間は一生の中で様々な選択肢、可能性があると思いこんでいるが、そんなものは存在せん。あくまでそう思いこんでいるに過ぎない」

「そんな馬鹿な……」

 男が言ったことが本当なら、この世界に生まれた人間、いや、全ての存在の一生はあらかじめ決められているということになる。幸せになる者も、不幸になる者も。富を掴める者も、貧困にあえぐ者も。強者も、弱者も。それはあまりにも無慈悲なことだ。運命が決められているというのはある種、絶望と言っても過言ではない。望がそれを信じられないとしても、それは仕方のないことだ。が、望のそれを男は否定する。

「事実だ。時の流れは定められている。それこそ、川に流れのようにな」

「………」

 受け入れがたい絶望に、言葉を失う望。それを見かねたわけでは無いのだろう。しかし、次の男の言葉は望に僅かな希望を与える。

「しかし、ごく稀にその流れを変えてしまう存在もいる。それは時に奇蹟と呼ばれることもあれば、悪夢と呼ばれることもある」

「奇蹟に、悪夢か……」

 それはどちらにしろ、誰もが起こせることではない。しかし、それでも人は大きな流れに翻弄されるだけの存在ではないということである。そのことに救われた気がした。

 望がその僅かな安堵に浸れたのは、ほんの僅かな時間に過ぎなかった。

「奇蹟、悪夢。これらが世界に与える影響はそれこそ様々だ。だが、その影響は共通して矛盾となる」

「矛盾?」

「そうだ。本来、世界が辿らねばならなかった時の流れと、奇蹟、悪夢のせいで新たに生じてしまった時の流れ。それらは本来、1つしかあってはならないところに、2つの流れが出来てしまうということになる。これは矛盾だ」

「それはパラレルワールドというやつになるんじゃないか?」

 男の言う矛盾。望はそこに1つの可能性を見つけ、言葉にする。しかし、男はそれを否定する。

「可能性による平行世界か。それはお前達人間が勝手に言っているに過ぎない。そもそも世界に可能性等といったものはない。そして時空の容量は決まっている。そこに無限に派生する平行世界が存在することは出来ない」

「世界は枝分かれしないってことか……」

「そうだ。故にそれらの矛盾が時空の歪みとなる。そして蓄積されたそれは、時空という全てを内包するそれに崩壊をもたらす。結果、この時空に存在する3つの世界も滅ぶ」

「なるほど……大体分かった」

 ようは容量オーバーしたPCが壊れるのと一緒だ。難しい話じゃない。信じ、受け入れられるかは別だが。

 『時空』と『崩壊』という2つのキーワードを頭の隅に置いて、望は話を先へと進める。

「次だ。確か、あいつらが世界を守るために戦うって言ってたよな。世界を守ることと、戦うことに何の関係がある?」

 男の言葉の中で一番気になっていたのがこれだ。『世界の崩壊』というのは正直、信じられない。仮にそれが本当だとしても、1個人である望には『世界』という実感できない規模の話よりも、すぐそこにいる3人の少女。特に幼なじみ2人が戦うということの方がよっぽど気になる。何と戦うのか。何のために戦うのか。そして、その戦いという非日常から日常へとどうすれば、少女達が帰って来るのか。知りたいのはそれだ。

 それら全てを知るであろう男。その口が語り出す。

「そもそも、世界が滅びに晒されるのはこれが初めてではない」

「何度も世界の危機はあったってのか? でも、世界は滅びてはいない」

 これは確認するまでも無いことだ。現に今、世界は存在する。確かにこれまで滅んだ文明というのは幾つかあるが、男のいう『滅び』はそういった規模の話ではない。それぐらいのことは望も理解している。

 男はそれを肯定しつつ続ける。

「そうだ。この世界に終末は訪れてはいない。何故なら、一番最初のその時に、それを回避する方法を産み出した者がいたからだ」

「世界を救う方法があるってのか。それは何だ?」

「『世界書』と呼ばれる時空と繋がる力だ。これは世界を構成する『力』と同質のもので創られた時空の全容をとらえた知識の集合体だ」

「世界書……」

「そうだ。それが世界を救う『書』だ。しかし、この『書』が救えるのは1つの世界のみだ。故に、彼女達は各々の世界を守るため戦うのだ」

 男の言葉は望の脳裏に『嫌な答え』を連想させる。それ以上は知らない方がいいような気がする。しかし、聞かないわけにはいかなかった。

「意味が判らない。大体『各々の世界』ってのは何だ?」

「言葉通りだ。そこにいる3名がそれぞれ属する世界だ」

 男は言いながら、その視線を3人の少女達へ向ける。

「あいつら?」

 男の視線が向けられているのは確認するまでもなく、紅璃、凪芭、セフィルの3人だ。認めたくはないが、それは疑いようが無いことだ。実際、今、このグランドにいるのは望と男。そして、3人の少女だけだ。そこから望と男の2人を除けば、自然とそうなる。

 先程から全力で否定し、脳裏から消そうとしている『答え』。男が言わんとしていることはほぼ間違いなくそれだ。認めるわけにはいかない『答え』。だから望は僅かな望みを込めてそれを否定する。

「あいつらはお前と違って、3人ともこの世界の人間だ。だから、戦う必要はない」

 感情を抑制し、あくまで自然に否定した。それが当たり前のように。当たり前であるように。しかし、込められた想いを男は否定した。

「それは違う」

「どう違う? 何が違う?」

 そう問いかける望の声には、既に平静さはない。その望とは対照的に男はあくまで平静に言い放つ。

「あの娘……セフィルといったか、あれは確かに人間だ。が、あの女、紅璃だったな。あれは天使だ」

ただそれだけの言葉を理解するのに、酷く時間がかかった気がした。

 
                                    
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