第一章第三節

 私はついに辿り着いた。それは長い旅だった。そう私はついに『ここ』に辿り着いた。

 『ここ』が今回の『舞台』だ。それは間違いない。何故なら『ここ』がそれを認めているから。

 私は長い旅の果てに辿り着いた『ここ』を静かに眺める。ちょうど今いるところが高台のため眺めは良い。そして、そこに広がる街はとても広い。この国は小さな島国だと、聞いたがそれでも私から見れば大きなものだ。

 ここで私は自分が普段興味も示さない景色に目を向けていることに気付き、苦笑する。どうやら、『ここ』に辿り着いたことに私は少なからず浮かれているらしい。でも、それも仕方が無いことかもしれない。ようやくスタート地点に立てたのだから。だが、それもここまでだ。まだ舞台の幕は上がっていない。でも、それもすぐに上がる。だから私は気を引き締める。これから始まることに全てがかかっているのだから。

 降りしきる雨の中、私は瞳を閉じる。今は静かに身体を休めよう。そして静かに始まりの時を待とう。この世界で唯一のシナリオのない舞台の開演を……。

 ◆◇◆◇◆

 夢想家の玄関口。そのすぐ前に彼女はいた。この豪雨の中、傘も差さずにガードレールに腰を下ろし、目を閉じている1人の少女。それはとても奇妙で不可思議な光景だ。

 何がどう奇妙で不可思議かと言われれば、当然、その全てだ。そして、だからこそ声をかけたくなった。

 望は静かに少女に近づいた。

 近くで見た彼女はまさに少女だった。言葉どおりに小柄でボディーラインも細い。ざっと見、身長は140チョイというところだろう。とにかく特徴的少女だ。髪は綺麗な金色で、それを短く切りそろえている。そしてその瞳は宝石のような碧。服は何故かボロボロの修道服と、どれをとっても普通とは言い難い。

 望は目の前で静かに瞳を閉じている少女に声をかけた。

「……何してるんだ?」

 少女は閉じていたその瞳を静かに開くと、ゆっくりと俺にその顔を向けた。そして、ただ一言返してきた。

「……待っています」

「何を?」

「始まるのを……」

 少女はそれだけ答えると、開いたばかりのその瞳を閉じる。

「………」

 予想外の展開に望はその場に立ちつくす。これでは会話にならない。どうしようかと空を仰いだその時、顔面を雨粒が打つ。それで望はまだ雨が降り続いていることを思い出す。

(とりあえず言うだけ言っちまうか……)

 早く家に戻りたいという気持ちと、気になるという気持ちの折り合いをつけたところで、望は本筋をきりだす。

「おい、あんた。何を待っているのかは知らないが、この雨の中、そんなところにいると風邪ひくぞ。早く家に戻れよ」

 少女は望に再度その瞳を向けると、落ち着いた声で返してくる。

「風邪なんてひきません。それに家はありません」

「じゃあホテル」

「あいにく宿も取っていません。この街には着いたばかりなので……」

「なっ……」

 と、ここで少女は口を閉じる。これで会話は終了ということなのだろう。が、望はそれで終わらせる気はさらさらない。というか、終わらせられない。外人の少女が雨の中、1人道で一夜を過ごす。他人だろうと何だろうと、望はそれを見過ごせるような人間ではない。だから、思いもかけない言葉が口から出る。

「だったら、俺家(うち)に泊めてやる」

「え?」

 それには少女も驚いたのか、閉じようとしていた瞳が開く。最もそれは言ってしまった望自身も驚いているのだが。とは言え、言ってしまった以上後には引けない。少女に背を向けると、そのまま背中越しに声をかける。

「とにかく来なよ、YesにしろNoにしろこれ以上、雨の中で話すのはゴメンだ」

 歩きだす望。それから数秒して、

「……はい」

 と、少女の声が答えてきた。

 ◆◇◆◇◆

 夢想家の居間。そのテーブルに座る望と少女。2人の姿は先程までとは違い両者ともTシャツに短パンとずいぶんと楽な格好だ。望が少女を招き入れて約1時間。ようやく2人は落ち着いて話すこととなった。というのも、言ってしまえば今も外を降り続ける雨のせいだ。家に入った後、ずぶぬれで会話するわけにもいかず、2人はまずシャワーを浴びることにした。幸い夢想家にはバスルームが1階と2階にそれぞれ備え付けられていたため、どちらが先に入るのかと、順番を気にする必要はなかった。その後、シャワーを終えた望は少女が出てくる前に2人分の食事を用意した。献立はトースト、目玉焼き、ハムステーキにコーンポタージュとおおよそ夕飯とは言い難い物だったが、ここ数日、買い出しに行ってない夢想家の冷蔵庫の中身で作れたのはそれが限界だった。その後、少女がシャワーから出てくるのを待って、望は少女と夕食をとったのである。と、こういった流れをえて、今にいたる。

 望は目の前に座る少女の顔をチラリと見る。その表情はなんというか、自然体だ。特に緊張の色は見られない。まあ、これから会話をするには丁度良いだろう。むしろ問題は望自身にあった。勢いで連れてきたものの、正直、今から何を聞き何を話せば良いのか解らないでいた。

 雨の中濡れながら、たたずんでいた少女。どう考えても特殊な事情だろう。変な事件に巻き込まれているんじゃないかと、望が考えてもそれは仕方がないことだ。とはいえ、黙っていても始まらない。だから、

「俺は夢想望。あんたは?」

 と、自己紹介から始めることにした。

「私はセフィル。ファミリーネームはありません」

 それが彼女の答えだった。どうやら彼女の置かれている環境は予想以上に複雑らしい。

「セフィルか……」

「はい」

「………」

 名前を聞き終えた時点で、この始末だ。正直、ここから先はさらに聞きにくい。少なくとも望の中には続けるべきどうか悩みが生じていた。最もそんな望とは対照的に彼女――セフィルは平然としているが。

(とりあえず、続けるしかないよな)

 そんな自然体のセフィルの姿に望は続けることを選択する。

「それでセフィルはあんな所で何をしてたんだ?」

「それは先程、答えたとおりです」

「なるほど……」

 言われて望は思いだした。確かに先程、雨の中、彼女は答えている。まあ、答えにはなっていなかったが。

(始まるのを待ってるってやつか)

 彼女の『答え』を思い出し、胸中で嘆息する。本気でやりにくいと。ここで望の腹は決まった。

(なら、とことん合わせてやるよ)

「じゃあ、聞き方を変えるよ。何が始まるのを待ってたんだ?」

 とりあえず言葉から逃げ道を断ってやる。と、この時、セフィルの表情が変わる。

「それは……」

 言葉はそこで止まる。答えを口にすべきか迷っているのだろう。そして、彼女がだした結論は、

「それは答えられません」

 と、答えないというものだった。

「そうか……」

 望はそう頷きながら、自分を納得させる。正直、そこが一番気になるのだが、無理に聞き出す資格は望にはない。だから、どうしても必要なことを聞くことにした。

「んじゃ、それはいいよ。でも、これだけは答えてくれ」

「……何です?」

 望の真剣な表情に、セフィルの表情も真剣なものになる。望の問いがそれだけ意味があることだと、彼女も感じたのだろう。そして、そんな彼女の表情を確認し望はそれを言葉にする。

「警察のお世話になるようなことをしたり、されたりはないか?」

「は?」

 望の真剣な声。だが、当のセフィルは困惑の面もちだ。

「? 意味がよく判らないのですが?」

「だから、犯罪を犯したとか、それに巻き込まれたとか、被害を受けたとかは無いのか?」

 望が今、一番聞かなければならないことであり、確認すべき事だ。しかしそれは、

「なっ……!!」

 と、セフィルの顔を強ばらせるものだった。彼女の顔は僅かに引きつっている。それは正面に座っている望に怒気を伝えるには十分なものだ。それでも彼女はなんとか冷静に望の質問に答えた。

「……そういったことは一切ありません」

「そ、そうか、その変なこと聞いてゴメン」

 彼女の怒りをなだめるため、望はとりあえず謝っておく。しかし、セフィルの怒りが完全に晴れるはずもなく、

「それで……」

「ん?」

「なんでそんな失礼極まりない質問をしたのですか?」

 と、聞いてくる。しかし、これには望も根拠がある。だからそれをそのまま言葉にする。

「そりゃ、普通、土砂降りの雨の中、少女が1人、傘も差さずに道にたたずんでれば何か合ったんじゃないかって考えるだろ、しかも、こんな時間だぞ?」

「………」

 望の一般論。それにセフィルは沈黙する。そして、『う〜ん』と、小さく唸る。何かを考えているようだ。

「どうした?」

 望に顔を向けると、ややあってセフィルは意を決しそれを聞いてくる。

「……そんなに不自然でしたか?」

 夜、土砂降りの中、傘も差さずたたずむ少女。その光景を思い出し、望は答えてやる。

「ああ、不自然極まりなかった」

「……そうですか」

 ショックだったのか、セフィルの顔が曇る。しかし、彼女はそれに納得できなかったのだろう。望に食い下がる。

「しかし、あなたも傘は差していなかったようですが?」

 セフィルは望のことを引き合いに出してくる。だから、望は事実を告げてやる。

「俺の場合は出かけた時に傘を持って行かなかっただけだよ。持ってたら差してる。それに家に帰る途中だったんだ。お前みたいに道に突っ立てたわけじゃないよ」

 それが止めになったのだろう。セフィルは意気消沈と言った感じだ。そして、

「……判りました」

 と、敗北を認める。

 ここで望はこの会話が終わった事と、会話が反れていたことに気付く。そして結論が出たことにも。望はそれを答えとして彼女に伝える。

「話が反れたな。まあ、でも聞くべき事は聞けたからいいか。犯罪に関わりが無いなら問題ないな。泊まっていきなよ」

「ありがとうございます」

 セフィルは言いながら望に手を伸ばす。それが握手を求めるものだと、やや、合って気付いた望は慌ててその手を取る。

 2つの手が繋がる。セフィルはそこで初めて微笑みを浮かべ、

「では、よろしくお願いします。望」

 と、望に告げる。それは彼女、セフィルが見せる初めての笑顔だった。

 ここで話は一段落したところで、今度はセフィルから望に話を振ってくる。

「ところで望、私もあなたに2つ程、聞きたいことがあります」

「? なんでしょ?」

 先程までの望の印象では、セフィルは自分から声をかけてくるタイプでは無いというイメージが出来上がっていたので僅かに戸惑い、返す言葉が変になる。最もセフィルの方ははそれを気にした様子もなく、変わらぬしっかりとした口調で聞いてくる。

「1つは、あなたは何故、私に声をかけてきたのですか? この国の人間は他人に興味を持たず、干渉しないと聞いていましたが?」

 セフィルの疑問は至極当然と言えた。実際、彼女が聞いた日本人像は間違っていない。今、この国は他人というものを拒絶する傾向は確かにある。いや、むしろそれが普通と言っても良いぐらいだろう。だが、望はそんなものに含まれたくはなかった。だから、それを言葉で伝える。

「……まあ、今の日本人が基本的に無関心無干渉なのは認めるよ。けど、それが全部って訳じゃない。俺みたいに『夜、土砂降りの中、傘も差さずたたずむ少女』を心配して声をかけるヤツも少しはいるさ」

 その望の答えにセフィルはしばし考え、そして、

「……なるほど、では望は変わり者なのですね」

 と、結論をだす。

 少数派という意味では外れていないだろう。とはいえ、その言葉は受け入れにくい。だから、

「……善人と言ってくれ」

 と、訂正案を出す。それに彼女は、

「判りました」

 と、聞き流したように返してきた。そして、そのまま流れるように2つ目の質問をしてくる。

「2つ目です。あなたは雨の中、何をしていたのですか?」

 それも当然の質問だった。実際、雨の中、傘もささずということなら望も彼女と変わらない。しかも、この住宅街の外れ、夢想の洋館の周辺はこの時間になれば、車も人もまず通らない。そんな中、歩いていたのだから疑問に思うのも当然だろう。特に彼女に不自然と言った手前、きちんと説明しなければならない。でなければ不公平だから。

「人を捜していたんだ」

 その言葉から始めた。そして、次々と語っていく。2人の幼なじみが家出したこと。自分に手紙を残していったこと。友人総出で探していること。今日は雨が強く降り出したので切り上げたこと。そして、まだ見つかっていないこと。ここ3日間の出来事をかいつまんで説明するつもりだったはずが、気付けばその全容を詳しく彼女に伝えていた。

(あれ? なんで……?)

 語り終えた後の望の感想がそれだ。2人の家出のことは隠すことではない。と、望は思っていた。人によっては隠すべきだという意見もあるが、ことは失踪だ。それを解決するためにはある程度、他人が知ってくれた方がいいというのが望の考えだ。だが、同時にこの街の住人でもない彼女に詳しく話すようなことでもないとも思っていた。だから、要点のみを伝えようしたのだ。しかし、言葉は全てを伝えた。それどころか喋っている最中はそんなことも思い浮かばなかった。

(疲れてんのかな?)

 望はそう腕を組む。思い当たる節は1つ。今回の一件だ。考えてみればここ3日間、学校が終わると同時に日が変わるまで、街を歩くというのを繰り返していたのだ。疲れていていて当然だ。そして、それを発散するために誰かに聞いて欲しいと無意識に思っていたとしても不思議はない。

 そう結論が出たとき、望の耳にセフィルの声が入ってくる。

「……どうしました? 望。急に腕組みなどして」

「いや、何でもない」

 望はそう答えると、携帯を手に取り、その画面に白風姉妹の画像を映す。そして、それをセフィルに手渡す。

「ところで、セフィルこんな奴らなんだけど、見なかったか?」

 画面を見つめるセフィル。そして、彼女は望が街で何度も聞いた答えと、同じものを望に返してきた。

「……見てませんね」

「そうか」

「はい。残念ですが……」

 言いながらセフィルは携帯を返してくる。望はそれを受け取りながら答える。

「いや、アリガト」

「いえ」

 こうして、2人の会話は終わった。この後、望もセフィルもしばらくして床に着いた。

 ◆◇◆◇◆

 音留麻高校映画研究会部室。そのソファーをベッドがわりに望は横になっている。ここ4日間、これは続いていた。映画研究会――映研。その部室は現在使われていない。理由はただ単に部員がいないためだ。だからここは空き部屋だ。だが、部屋自体は活動が合った頃と変わっていない。そのため、今はごく一部の生徒(何故か鍵を持っている望)の憩いの場となっている。

 横になったまま望はちらっと、視線を窓へと向ける。そこから見える空は既にオレンジだ。秋は日が暮れるのが早い。望がここに来て(横になって)約1時間が過ぎている。ここ4日間の夜の人捜しで身体に疲れが溜まっている。というのに今だに眠れないでいた。横になり、目を閉じても、どうしても眠れなかった。そんな中、望はふと、あの少女――セフィルのことを、今朝のことを思い出した。

 今朝、いつも通りに7時に望は目を覚ました。その後は顔を洗い、着替え、いつも通り1階に降りた。そしてそのまま台所から食パンとコーヒーを持ってきて朝食をとろうとしたとき、それに気付いた。テーブルに置かれたノートの切れ端。そこに書かれていた文面は『昨夜はありがとうございます。私は先に出ます。 セフィル』と、簡単な礼と挨拶だ。そして、その下には2枚の一万円紙幣――2万円が置かれていた。それは彼女からの宿代だというのはすぐに理解できた。最もそれは気分の良いものではなかったが。目の前にある2万という金。まるでそのために泊めたように彼女に思われた気がしたからだ。そして、彼女が残した手紙。それは3通目の別れを告げる物だ。今の望にはあまり気分の良い物ではなかった。

「最悪な朝だったな……」

 思わず呟く。ただの独り言。しかし、それに答える声があった。

「何が最悪なんだい?」

「何でもない。それより遅いぞ。敬太」

 望は身体を起こし、自分を1時間も待たせた声の主――麻生敬太にそう言ってやる。

 そんな望に敬太は「はあ〜」っと聞こえるように溜め息を吐き、呆れた声で返してくる。

「そりゃ、ないよフレンド。て言うか、今ここにいる望の方がよっぽどありえないんだけど……。まだ終礼が終わったばかりですよ……」

 言われて望は携帯を取り出す。画面に表示された時刻は16時45分。確かに敬太の言うとおりだ。だから、

「まあ、遅れたことは忘れてやるよ」

 と、望は寛大な心でそれを許してやる。それに敬太はもう一度「はあ〜」と、溜め息を吐いて、何かを諦めて答えてきた。

「そりゃ、嬉しいね。流石はマイフレンド……」

「ああ、感謝しろよ」

「判ったよ。感謝の気持ちはコーヒーでいいかい?」

「OKだ」

 望がそう答えると、敬太は部屋に備え付けられたコーヒーメーカーに水を入れ、スイッチを入れる。そして数分後。ポットに溜まったコーヒーを2つの紙コップに注ぎ、片方を望の前に、もう片方を自分の前に置いた。

「サンキュー」

「いえいえ」

 敬太はゆっくりとソファーに座る。これは当然、これから話をするためだ。内容はもちろん白風姉妹のこと。実は敬太の元にもあの日、白風姉妹から手紙が届けられていおり、望と協力しながら、自分が持つネットワークを駆使しあの2人を探している。2人がいなくなって、4日目、今日は互いにその進展を報告しあうようにここで待ち合わせていたのだ。

「それでどうだった?」

 切り出してきたのは敬太が先だった。

「収穫無し」

 望はそれに短く答えると、今度は短く問う。

「そっちは?」

「ちょこっとありかな……」

「何? どういうことだ?」

 返ってきた返事に望は目を見開く。

「信憑性が低くて、情報というよりは、噂なんだけど……とにかくあの2人の話を聞いてきたよ」

「で、内容は?」

「あの2人は最近、良くここに来るらしいよ」

「ここ?」

「そ、この学校に」

「………」

 言葉が無かった。それは噂とさえ言えない話。あの2人がいなくなったからこそ、望も敬太も探しているのだ。普通に登校しているのなら、教室で会えるし、そもそも探しもしない。だから、それは酷いデマだった。実際、聞いた望はそのあまりの酷さに頭を押さえている。

 無言で敬太に視線を送る望。敬太もその反応は判っていたのだろう。だから、それに落ち着いて答える。

「望が言いたいことは判るよ。だから、あえてそれは言わずに続ける。これは陸上部の後輩から聞いた話なんだけど、ここ2〜3日、あの2人は日が暮れてから、ここに来ているそうだよ」

「日が暮れてから? そりゃ何時頃だ?」

「話が本当なら、多分8時頃だね。後輩達が部活を終えて、帰る頃ってことだから」

「なんで?」

「さあ?」

「確かに噂だな」

「まあね」

 それは確かに噂だった。先程の信憑性0のデマよりはマシである。最もそれほど信憑性が高いわけでもないが。敬太もそう考えたんだろう。先に望に自分の考えを告げてくる。

「僕は多分見間違いか何かだと思うから、この話は無視する。だから、今日も今から帰って、知り合い達に聞いて歩くよ」

 敬太の言っていることは正しいだろう。あてになる噂じゃない。望もそれは判っているが、気にならない訳じゃない。それに、あてもなく探すのにも疲れていた。だから、

「俺は一応、張ってみる」

 と、答えた。

 2人の会議は終わった。出た情報は信憑性の低い噂。そして決まったことはそれぞれの今日の行動。

「じゃ、僕はもう帰るよ」

 敬太はそう言うと、映研部室を出ていく。

「ああ、じゃあな」

 望はただ、それだけの言葉で見送った。

 敬太が帰り、1人部屋に残った望。時計の針はやがて5時と言ったところだ。

「待たなきゃな」

 望は携帯のアラームを8時に合わせると、再度ソファーに横になった。

 ◆◇◆◇◆

「………」

 暗闇の中、望は目を覚ました。ゆっくりと身体を起こすと、テーブルの上の携帯を手に取る。時刻は21時8分。起きる予定だった8時をとうに過ぎていた。とはいえ別にアラームが鳴らなかった訳ではない。ただそれにすら気付かず寝過ごしただけだ。

「時間は過ぎてるな」

 敬太が言っていたのは8時頃だ。1時間以上も過ぎている。帰ろうかとも考えたが、それではここに残った意味はない。結局望は校舎を巡回することにした。

 映研部室を出ると、そこは別世界だった。少なくとも望が知る昼の校舎とは別物だ。校舎が変わった訳ではない。ただそこに明かりがなく、生徒も教師もいないだけだ。ただ、それでもそこは望が知っている世界ではなかった。学校によく怪談等があるが、今ならそれも納得できた。

 望は1人その別世界を歩きだす。夜の校舎。3階、3年の教室をそれぞれ見て回る。明かりの消えた教室。当然そこに生徒の姿はない。あるのは並べられた机だけだ。それでも歩き、回り続けた。3階を周り終わると、2階へ降りてまた教室を1つ1つ見て回る。1つづつ確認していくたびに、『無駄』という気持ちが心に広がっていく。そして、その度に『次はいるかもしれない』と自分に言い聞かせながら、足を進めていく。そして、望は1階最後の教室『1−9』の前にまで辿り着いた。最後の扉。僅かに期待してそれを開く。

 ガララララッ。

 望の目の前に広がる最後の教室。それはこれまで望が見てきたものと変わらない。無人の教室。

「はぁ〜」

 信憑性が低いのは判っていたそれでも多少は、そう、全てを見終わった後、溜め息を吐くぐらいの期待はしていたらしい。

 軽い落胆。結果は予想通りのものだった。収穫0。ただそれを確認出来ただけでも良しとすることで望は自分を納得させる。

 望は携帯を確認する。画面に映し出された時刻は22時12分。学校の探索を初めて約1時間。正直、このまま何の進展も無く帰るのは気が引ける。2人がいなくなってもう4日だ。そして明日は5日目。どうしても焦りは出る。しかし、同時に焦っても仕方がないことも分かっている。そして、悩んだあげく望は切り上げることに決めた。

 ここから昇降口は近い。グランド沿いの廊下を真っ直ぐ歩けばすぐだ。廊下は外から差し込む月明かりに照らされていた。望はその中を歩きながら窓越しに夜空を見上げる。

「月か……」

 穏やかな光を放つ月。満月。その光は疲れた心を癒してくれる。望がそう感じたとき、それ始まった。それまで優しかった月光。それは何の前触れもなく、赤く妖しい光へと変わる。

「……え?」

 その変化に反応し望は再度、空を見上げる。確かにそこに月はある。別に無くなったわけではない。ただその光が白から赤へと変わっただけだ。最もそれだけでまるで別のモノの様に見えるが。しかし、それでも先程まで月があった場所にそれがあるのだから、やはりそれは月なのだろう。

「?! これは……!?」

 赤い月。それは頻繁に見れるものでもないが、それほど珍しいものではない。望自身これまで何度か見たことはある。ただ、その月の色が白から赤へと一瞬で変わるというのは聞いたことはない。

 赤く照らされる校舎。その中、望は立ちつくす。その立ちつくす望の視界を何か動くものが横切っていく。

「あれは……?」

 それを望は目で追う。グランドの中央へと歩いていく人影。それは、

「セフィル?」

 昨夜、雨の中、出会った少女だ。そのボロボロの修道服姿は見間違い用がない。

「なんであいつが……」

 望は昇降口まで走ると、靴に履き替え、グランドへ出る。

 セフィルの姿はすぐに見つかった。グランドの中央へと、歩いていくセフィル。そして、彼女を待つように立ちつくす2つの人影。それに望は目を疑った。

「あいつら……!!」

 セフィルが向かう先に、立ちつくす2人。1人は気の強そうな美少女だ。上は黒のジャケットに、下は赤のミニスカートと黒のニーソックス。と、最後に会ったその日と同じ姿。そして、もう1人は見るからにお嬢様といった感じの美少女で、白のセーターにジーパン。と、彼女も最後に会った4日前と変わらぬ姿をしている。それは間違いなく紅璃と凪芭の2人だ。

 赤い月の光に照らされるグランド。その中央で向かい合う3人の少女。自然と足は走り出す。それは当然のことだ。探していた2人がすぐそこにいるのだから。

 2人には言ってやりたいことは山ほどあるし、逆に聞いてやるべきこともあるだろう。そして、もう1人、その場にいるセフィルにも今朝のことで言ってやりたいことがある。でもそれは3人を捕まえてからだ。

「おい!! おまえら!!」

 望は3人に呼びかける。そして、同時に振り向く3人の少女。

「望!?」

「望さん!?」

「望……?」

 2人の幼なじみと1人の少女と再会した望。

 2度と出会うはずもなく、出会ってはいけなかった少年と再会した紅璃と凪芭。

 ここにいるはずもなく、もう会うことも無いと思っていた少年と再会したセフィル。

 赤い月の下、出会ってしまった4人。これは起きてはいけない偶然だったのか。それとも起きるべくして起きた必然だったのか。その答えはない。ただ、これは夢想望が最初に起こした奇跡なのかもしれない。

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