第2章 運命選択 異分子
赤い月の光に照らされたグランド。その中央にたたずむ3人の少女。望はそこにようやく辿り着いた。
望の目の前にたたずむ3人の少女。それは紅璃、凪芭、セフィルの3人に間違いはない。10年以上も前からの2人の幼なじみを見間違えることはないし、昨日、あっただけとはいえ、この日本でボロボロの修道服を纏った特徴的な少女を他の誰かと間違えることも無いだろう。つまり、3人はそれぞれ、夢想望が知る紅璃、凪芭、セフィルのはずなのだ。が、
(なんで、そんな目で見るんだ?)
望を見る3人の少女の瞳にはそれぞれ強い感情が浮かんでいた。紅璃の瞳には怒り。凪芭の瞳には悲しみ。そして、セフィルの瞳には戸惑い。それは他の誰が見ても分かるほど強くはっきりと出ている。
3人の視線、特に紅璃の視線に戸惑いながらも、望は口を開く。
「……探したぞ。2人とも……」
広いグランドに望の声は静かに響く。そして、その言葉は会話へと続くことなく終わる。語りかけた紅璃と凪芭は何の反応もしない。ただ先程と変わらぬ視線を望に向けるだけだ。
「おい、聞いてるのか? 2人とも」
紅璃も凪芭も何の言葉も返してこない。ただ無言で見つめるだけだ。変だとは思う。ただ考えれば、家出をするだけの何かが2人にはあった。つまりそれだけ精神的にまいってしまっているんだろう。と、2人の無言の視線を望はそう解釈する。
「言いたいことも、聞きたいこともあるけど、とにかく戻るぞ」
望はそう言い終わると、首をセフィルに向ける。
「あと、セフィル、お前もだ。2人を見つけてくれたのか、それとも偶然かは知らないけど、その様子だと、今日も宿無しだろ? 今日も泊めてやるからきなよ」
そう3人に告げると、望は校門へと歩きだす。が、3人の少女はそれに続こうとはしない。望はすぐに振り向き、3人に呼びかける。
「おい、帰るぞ」
その呼びかけにこれまで、無言だった。紅璃が静かに答えてくる。
「あんた1人で帰りなさい」
静かで冷たい声。望はそれに反射的に聞き返す。
「はっ? おまえ、何言って……」
「いいから帰りなさい。そして、私達のことは忘れなさい。私があなたに言うことはそれだけよ」
「紅璃、おまえ……」
紅璃のそれは完全な拒絶だった。そして、それに凪芭も同調する。
「彼女……いえ、姉さんの言うとおりです。望さん帰ってください。あなたを巻き込みたくはないんです」
「巻き込む? 何にだよ!?」
問い返す望の叫び。しかし、それすらもセフィルは許さない。
「それはあなたが知ることではありません。望、今ならまだ間に合います。日常の世界に戻りなさい」
3人の少女から告げられたものは、一方的な拒絶。それは理不尽だ。だから、聞けるはずもない。
「ふざけるなよ!! ようやく見つけたと、思えば帰れ? そんなこと出来る分けないだろ!!」
理不尽なものへの激高。その感情を受けても3人は顔色1つ変えない。そして、3人の意見を代表するようにセフィルは冷静に望へ言い放つ。
「それがあなたのためです」
「どうしてそうなる? 幼なじみとわけも分からず別れるんだぞ!? 納得出来るはずないだろ!! 俺だけじゃない敬太はや他の奴らだってそうだ。それに醍醐おじさんや碧おばさんはどうなる? 実の娘2人がいなくなってどれだけ心配してると思ってんだ!!」
感情のまま訴える望。それを静かに受け止め、紅璃は静かで、それでいて強い声で答えてくる。
「私達は最初からいなかった。そう思ってもらうしかないわね」
「そんなことっ……!!」
怒りのあまり、言葉が詰まる。その途切れた隙に通すように凪芭が冷たく静かに告げてくる。
「それに父と母には別れは告げました」
「………っ」
言葉は出なかった。赤い月の下、望と向き合っている3人の少女。それはすでに彼が知っている少女達とは違ったのだろう。望自身、それには薄々感づいていた。ただ、それを認めたくなかった。だから、普通に接しようとした。だが、それももはや無駄なのだろう。彼女たちはすでに日常の世界とは決別している。諦めるわけにはいかない。しかし、どうしたらよいかもわからない。
望の前にいる3人の少女達。その距離はほんの2,3メートル。だが、それはいまや絶対的な距離となってしまっていた。
今、望に向けられる少女達の瞳はどれも冷たい。そして、それは共通して『帰れ』と訴えている。
「……畜生」
理不尽な意志。それに何も出来ない望。その絶望感の中、彼の口から僅かに漏れたのが、それだった。
立ちつくす望。あとほんの一押しで彼の心は折れるだろう。それを知り、折るために紅璃は1人、望の前に出る。
「望……」
彼女の前に立ちつくす幼なじみの少年。その少年の顔は彼女がこれまで見たことのない苦渋の色に染まっていた。
「………っ」
言葉が出なかった。言わなければならないのに。彼の心を折らねばならないのに、最後の言葉は出なかった。理由は分かっている。辛そうな彼の顔だ。まだ、紅璃には未練があるのだ。だから、彼のその辛そうな顔が彼女自身の心を苦しめる。それは凪芭とて同じなのだろう。だから、彼女は先程から俯いている。凪芭はどうにもならない理不尽で悲しいことが起こると、それから目を反らす。これは幼い頃から変わらない。
紅璃はそして、気付いてしまった。まだ、自分も凪芭も変わり切れていないということに。
(……まだ、私も、凪芭も記憶を記録に出来ていない……)
それは不味いことだ。もうあれは始まろうとしている。それなのに、まだ、自分達は完全ではない。これではこの先を乗り切れない。
(………くっ)
言葉が出ないことに歯がゆさを感じる紅璃。しかし、それでも紅璃は自分の心の痛みを殺し、彼の心を折る言葉紡ごうとする。彼女達が彼に帰れと説得しだして、ほんの数分。そして、今、彼女がためらったのはほんの数秒。ただそれだけの短い時間。合わせても5分にも満たない。しかし、それが彼女達に残された別れを告げる時間だったのだ。そして、それは今、終わってしまった。
空に浮かぶ赤い月。その光がより強く、空を、そして地上を照らし出す。
「……始まった」
そう呟くセフィルの声が聞こえた。望は空を見上げる。
「何だ……これは?」
望が見上げた空には、夜という自然が持つ闇は無く、ただ赤い月が放つ妖しい赤という色だけが空を支配している。
「遅かった!?」
紅璃の声が望の耳に響く。『遅かった』何が遅かったのか、分からない。
「望さん、早く帰って!!」
叫び訴える凪芭。そこに込められた感情は先程までの拒絶ではない。それは願い。しかも懇願と呼ばれるものだ。
苦渋の表情を浮かべる紅璃と凪芭。2人の様子と、空に起こった異変。それに戸惑い立ちつくす望。全てが異様な中、セフィルだけが冷静に空を見上げ、そして、静かな澄んだ声で呟く。
「もう、間に合わない……」