第6幕 交わらない思い
大神がエリカの部屋を訪れた日から、すでに1週間たっていた。つまり、練習開始から2週間だ。練習の方は順調に進んでいた。すでに練習は通し稽古を行っており、劇全体の調整に入っていた。
そのシャノワールの面々が通い詰めている『テルマール』の会議室。その窓側の席に大神はいた。彼の虚ろな瞳が向けられる窓の外は既に暗くなっている。
「はぁ〜」
彼の口から本日、幾度目かの溜め息が漏れる。
その原因はエリカだった。あの晩の事を今も引きずっているのだ。
あの晩の後、翌日からエリカはいつも通りの彼女戻っていた。そう表面上は。
皆と練習するエリカ。
皆と談笑するエリカ。
そして、教会でシスターとして、人々に奉仕するエリカ。
そのどれもがこれまで通りだ。だが、どの彼女の笑顔にも、『淀み』があった。
表面上は変わらない。しかし、それでも分かる。最初は花火と大神の2人だけだったが、今は花組はおろか、司会コンビと前座コンビもこの『淀み』という違和感に気づいていた。
それとなく気を使う者もいれば、あえて気づかないフリ(グリシーヌとロベリアがこれにあたるが、これは彼女たちの優しさである)をして、普通に接する者とそれぞれだが、皆、エリカを気にしている。
しかし、その中、大神は皆のように振る舞うことすら出来なかった。
あの日以降、大神は見事なまでに避けられていた。あいさつと劇の打ち合わせ。その2つの最低限の会話以外、ここ1週間出来ていない。大神自身、何とか話をしようとするが、その全てがかわされている。
言うべき事も分からない。それでも今はエリカと話がしたかった。
「……どうしたら良いんだ?」
悩みのあまり、重くなった大神の頭は机に突っ伏す。と、その時、
コンコン
と、会議室のドアにノックが鳴る。
大神は上半身を『ガバッ』と引き上げると、自然に「どうぞ」と答える。
その声に答えるようにドアが『ガチャ』と、音を立てて開く。そして、中に入ってきたのは、エリカだった。大神が今、一番話したかった相手だ。
「……エリカ君」
「……大神さん」
互いに相手を確認するように、名前を呼び合う。
「………」
「………」
静寂が会議室を支配する。が、それもすぐに終わる。
大神は感情のままエリカに呼びかける。
「エリカ君、俺の話を……」
大神の言葉はそこで止まる。エリカの笑顔が、笑顔の裏にある『淀み』がそうさせたのだ。
(なんて顔だ……)
大神はその表情を直視出来なかった。その笑顔はあまりにも痛々しかった。
「……大神さん。お話があります」
笑顔とは裏腹な静かな声。とても、エリカの声とは思えない。
それでも大神はそれを冷静に受け止める。それが今一番正しいことだと信じて。
「……なんだい。エリカ君」
「はい。今回の劇を……下りさせてください」「………っ!」
ある程度、予想していた言葉ではあった。しかし、それを現実に言葉として、エリカの口から、彼女の声で直接聞くのは正直辛かった。
「……そうか」
大神は大神は絞り出すように答える。その大神の答えが意外だったのか、それともただ不満だったのか、エリカが聞いてくる。
「……理由、聞かないんですか?」
「ああ。分かるからね……辛いんだろう?」
「……はい」
そう分かっていた。大神が意図していたわけでなくとも、『サクラ大戦』はエリカを傷つけたのだ。理由はそれだけで十分だろう。
(俺が帝都で過ごした時間が、その思い出が彼女を苦しめてる……)
心が苦しくなる。その苦しみは大神の表情を歪ませる。
その大神の心情を読みとったかのように、エリカは続ける。
「でも、それだけじゃありません」
「………」
大神は答えない。ただ静かにエリカを見据える。
「このままあの劇に関われば、私はどんどん嫌な人間になります。帝都の人を憎んで、大神さんを憎んで……最後にはそんな自分自身を憎むと思います」
淡々と語られるエリカの思い。それ故に心に重くのしかかってくる。
「……エリカ君」
「誰も悪くないんです。結局、私の心の問題ですから……。だから、下りたいんです、そんな自分にならない内に……」
「エリカ君。俺は……」
エリカの中に存在する『思い』それに大神は答えようと、口を開く。が、
(俺は何を言えばいいんだ?)
言葉は続かない。何をすべきか、何を伝えるべきか、今の彼はまだその答えをもっていないのだ。
「……くっ」
大神が言葉を詰まらせたとき、まるでタイミングを見計らったかのように、悪夢がその訪れを告げる。
ピー! ピー!
大神とエリカのポケットの中から同じ、同じ機械音が響く。小型通信機、携帯キネマトロンの呼び出し音だ。
「まさか……」
大神は恐る恐るキネマトロンを取り出すと、その内容を確認する。
『キンキュウジタイハッセイ。ハナグミタイインハシキュウシレイシツヘ』
「くっ……行くぞ、エリカ君」
大神はキネマトロンを乱暴にポケットに仕舞うと一気に駆けだす。
「……はい」
エリカも暗い表情のままその後に続く。
◆◇◆◇◆
テアトル・シャノワール地下、巴里華撃団作戦司令室。シャノワールの改装工事は地上部分だけのため、ここは従来通り昨日している。そこに大神とエリカが辿り着いた時にはすでに他の隊員及び、グラン・マとメル、シーの姿が合った。
入ってきた大神とエリカにグラン・マは司令として命ずる。
「遅かったね。ムッシュ、エリカ。早く席にお着き」
「はい。申し訳ございません」
大神、エリカは頭を下げつつ席に着く。
2人が席に着くと、モニターに映像が映される。
「あれはエッフェル塔か……」
ロベリアが言うとおり、モニターにはエッフェル塔が映し出されていた。
「あ、なんかいるよ!?」
と、コクリコが指さす、別アングルからのモニターにはエッフェル塔のその足下で暴れている黒い人型蒸気の姿があった。
「何者でしょうか?」
「今の所その正体は分かっていません」
誰にとはなく問う花火に、答えたのはメルだ。
「何者だろうとかまわん。敵は倒す」
グリシーヌが声を上げる。平和を守ることを人一倍誇りにしている彼女らしい。そして、タイミング良く格納庫の整備班から連絡が入り、
「光武F2及びエクレール、準備できましたぁ!!」
と、その内容をシーが皆に伝える。
対妖力戦用人型蒸気、霊子甲冑『光武F2』言わずとしれた巴里華撃団の主力兵器である。そして、エクレールはそれを巴里各地に輸送する弾丸列車だ。
準備は整った。大神はこれまで幾度と無く繰り返してきた出撃命令をだす。
「よし……巴里華撃団出撃せよ!!」
『了解!!』
駆けだす花組隊員、大神とエリカは答えを出せないまま悪夢という舞台に上がっていく。