第5幕 動き出す夢
シャノワールとテルトル広場の真中にある中型ビル『テルマール』ここは聖モンマルトル街が運営するイベントホールである。
巡業中の劇団から街のイベントなど様々な催し物がここで行われる。
シャノワールの面々が、大神から台本を受け取った明くる日の早朝8時、『テルマール』の会議室に花組のメンバー及び前座&司会コンビ……と、大神の姿があった。
それぞれ席に着き、真剣な表情を浮かべている。その彼女らの前には大神が昨夜、配布した台本が置かれていた。
緊張した空気の中、大神が静かに口を開く。「みんな。台本は読んできてくれたか?」
「うん。読んできたけど……」
答えるコクリコの声。それは歯切れ悪いものだ。それにグリシーヌも続き、
「台本としては変な所も無い。それに面白いとも思う。が……」
「内容が……」
「ああ……。まずいんじゃないか?」
花火、ロベリアと続く。他の面々も声には出さないものの、皆同じ思いを抱いていた。 そんな不安げな表情を浮かべる面々とは対照的に大神は笑顔である。昨晩、爆睡したことにより体力が回復したこともあるが、皆の予想通りの反応が嬉しいというのが大きかった。
「大神さん……。本当にこれやっちゃうんですか?」
いつもなら小さな事どころか、大きな事も気にしないエリカも今回は不安そうに声を上げる。つまり、それだけ台本の内容がまずいということだ。少なくとも彼女たちには。
そのエリカの言葉を前にしても大神の自信は揺らがなかった。
「ああ。これでいくよ」
言い切る大神に厄介ごとはゴメンと言わんばかりにロベリアが言ってくる。
「なあ……これは上から文句が来るんじゃないか?」
いつになく真剣なロベリア。そして不安な表情を浮かべる花組の面々と司会コンビ。そして、その様子を緊張の趣で見守る前座コンビ。その様を眺める大神の頬に『つぅ〜』と汗が流れる。
(少しやりすぎたかな?)
さすがにイタズラが過ぎたと反省し、彼女らの不安を取り除くため、口を開く。
「いや、大丈夫だよ。すでに許可は下りてる」
『………』
時間が制止する。全員の表情も制止する。そして、次の瞬間、関を切った様に皆が動き出す。
「何!? 許可が下りているだと!! ならば先にそれを言わんか!!」
真先に怒声を上げるグリシーヌ。そして、
「そうですよ!!」
「不安になるじゃないですかぁ!!」
と、メル。シー。
この後も、それぞれの文句が大神に集中するが、それもやがて収まる。先程までの緊張が嘘の様に空気が和らいでいた。
皆に平謝りをした後、大神は真剣な表情を創り、全員に向かって声を上げる。
「シャノワールスペシャルイベント、演劇『サクラ大戦』これよりスタート!!」
『了解!!』
面々の声が会議室に響いた。大神と乙女達の夢の舞台が今動き出す。
◆◇◆◇◆
『サクラ大戦』
大神が書き上げたこの台本の内容は以下の通りだ。
時は太正14年。大日本帝國帝都東京。その銀座に位置する大帝都劇場が舞台だ。
物語は帝國海軍少尉多神壱狼が士官学校を卒業し、大帝都劇場に配属されたところから始まる。
軍人の彼が配属された所は名前通りの劇場。そしてそこで彼を待っていた仕事はモギリとその他の雑用。
人一倍正義感が強く、正義と平和のために戦うことを夢見ていた青年をあざ笑うかの生活だった。
それでも彼は持ち前の生真面目な性格から、その命令……つまりはモギリの仕事を任務と実行する。
最初は不満だらけだった彼も次第に劇場での生活に親しみを覚え、その日常にとけ込んでいく。
しかし、平和な日常にとけ込んだ彼を、あざ笑うように事件が起こる。
東京浅草問屋街。演劇の買い出しに来ていた多神の前に怪物が現れ街を破壊していく。 多神は単身立ち向かうも歯が立たず、窮地に陥る。絶体絶命というところで謎の人型蒸気により救われる。
その後、平和のために戦うために劇場を去ろうとした時、劇場全体にブザーがなる。
戸惑う彼は女優の桜に連れられて、劇場の地下へと行く。
そこで彼を待っていたのは帝都を霊的災害から守るための秘密部隊『帝國火激団』の面々だった。彼らから事情を聞き、彼、多神壱狼は平和のために『帝國火激団』の隊長として戦う事となる。
と、まあ大体こんな感じだ。つまり、これは大神が帝國華撃団の隊長になったばかりの頃の話を演劇にしたのだ。
もちろん隊員の名前も変えてあるし、事件自体も別物に変えてある。だが、帝國華撃団をモチーフにしているのは変わりない。これは劇が巴里華撃団に直結しないようにという配慮と、せっかくの劇なのだから、巴里華撃団を演じるのではなく、帝國華撃団を演じた方が面白いと言うのもあった。そして、劇を通して、平和の影で戦う少女達のことを訴えたいというのが一番大きかった。
こういった思いを込めて書かれた台本。その思いは純粋だが、都市防衛構想という機密に触れているのだ。花組の面々が内容に不安を覚えるのは最もである。
とはいえ台本が出来ている時点で、上からの許可は当然、下りている。これは当たり前のことだが、台本の内容が皆から冷静な判断を奪い、結果そのことに誰も気づかなかった。 大神としては軽い冗談のつもりだったが、予想以上にこのイタズラは効果を上げた。最もこのおかげで皆の緊張が解れたのだから、結果オーライだ。
会議室での騒動の後、まずそれぞれに配役が割り振られた。
神明寺桜……花火
神先ツミレ……グリシーヌ
ナディア・タチバナ……ロベリア
霧縞神奈……エルザ
李虹藍……シー
リリス・シャトーブリアン……コクリコ
ソレッタ・白雪……ミキ
レナ・ミルヒシュトラーセ……メル
多神壱狼……エリカ
以上が配役である。まあ、わざわざ説明する必要も無いだろうが、それぞれの役名は元の隊員の名前を僅かに変えている。
さくらa桜
すみれaツミレ
マリアaナディア
カンナa神奈
紅蘭a虹藍
イリス(アイリス)aリリス
織姫a白雪
レニaレナ
大神a多神
と、メインキャストが決まった一方で、シャノワール整備班班長のジャンや日本大使官の迫水(彼は巴里華撃団凱旋門支部の責任者)、グラン・マも今回の舞台に上がることとなっている。
配役が決まった後はすぐに練習が始まった。 まず最初は、それぞれが役を掴むために自分のセリフを読み上げる『読み合わせ』が行われた。
この時、それぞれから様々な質問が大神にぶつけられた。その中でも一番最初に来たのがコクリコの「アイリスぽっく喋るのは難しいよ〜」というものだった。これには前座コンビ以外の全員がそれに同意した。
考えてみればそれは当然だった。皆、シャノワールの舞台に立っていると言っても、演劇に出るのは今回が初めてだ。加えてロベリアが「大体、あたしとマリアじゃ性格が違いすぎるだろ?」と言って来たように、巴里花組の面々と司会コンビは帝都花組と面識があるため、そのイメージが固まっている。これが返って役になりきるのを難しくしていた。 しかし、それは大神も予想していた自体だ。よってその答えも決まっていた。
「無理になり切らなくていい。自分らしく演じればいい」
大神がそう答えた後、それぞれの台本にペンで修正が入った。無理の無いようにセリフの言い回しを変えたり、セリフ自体が変更されることも多々あった。
その日は台本を修正しつつ『読み合わせ』が何度も遅くまで繰り返された。
次の日から『立ち稽古』に入った。これは台本を元に役者達が実際に動きをつけていくという作業だ。この稽古の中でそれぞれの場面場面に応じた立ち位置や、そこから始まる動作の流れはもちろん、演劇の局面において、一瞬制止のポーズを演じる『見得』のポイントも決められた。
その間、手の空いた者も台本を暗記したり、セリフ合わせをしたりと休む間もなかった。 特にエリカと花火はその役柄上、刀を使った戦闘シーンがあるため、殺陣の練習にも忙しかった。
他にもグリシーヌは長刀、ロベリアは拳銃、エルザは空手とあるが、グリシーヌは普段からハルバートを使っていることもあり、さほど苦労していない。ロベリアも元々裏社会の人間のため、拳銃の扱いには慣れている。エルザは未経験ではあるが、素手で行う分、楽なようだ。
こういった練習が続く中、大神には大神の仕事があった。脚本家兼演出家の仕事である。役者勢の稽古の指導(もちろん技術的な事ではなく、イメージ的なものだ)や、台本の直しはもちろん、舞台セットを始めとする大道具、小道具の準備(これも業者や整備班の連中にイメージを伝えることだ)も彼の仕事だ。
忙しい日々続く。が、それなりに成果は上がっていた。
しかし、練習から1週間過ぎた頃、そこに小さな淀みが生まれはじめていた。
最初に異変に気づいたのは花火だった。
「大神さん……。少しよろしいですか?」 休憩室でコーヒーを飲んでいた大神の元へ、現れた花火の表情はどこか曇っていた。
「何かあったのかい? 花火君」
「はい」
静かに答える花火。大神は取り合えず、彼女に座るように促す。花火は少し考えた後、大神の前の席に腰を下ろした。
花火の表情を見る限り、あまり良い話ではないらしい。大神は彼女からは切り出しにくいだろうと判断し、自分から切り出す。
「それでどうしたんだい?」
大神から切り出されたことにより、花火もそれに続くように口を開いた。
「はい。エリカさんの事なんですけど……」「エリカ君の?」
「はい。エリカさん、少し辛そうなんです……」
それを聞いて、大神の脳裏にここ1週間の練習風景が蘇る。今回の練習は相当辛いはずだ。彼女達がこれまでやってきたレビューとは違い、はじめて経験することばかりだ。疲労が溜まっても仕方ない。
大神はそれをそのまま言葉に出す。
「……なるほど。まあ、慣れない練習だからね」
しかし、花火は「いえ、そういうことでは……」と、それを否定する。
「へ? 違うのかい?」
「はい。あれはただ単に肉体的に疲れているというわけでは無いと思います……」
いまいち要領を得ず、大神は問い返す。
「どういうことだい?」
花火は自分が感じている違和感を言葉にしようとするが、結局うまくまとまらず。そのまま言葉にする。
「うまくは言えませんがこう……どこか無理をしているように思えるんです」
「……無理か」
この1週間、忙しさのあまり花組の面々と劇以外のことでは会話さえ出来ていなかったと思う。それどころか、よくよく考えれば、研修中は会話どころか、顔を会わせることもほとんど無かった。
(これじゃだめだ……)
以前、米田にも常に隊員ことを考え力になるのが隊長だと、言われたことがあった。
どんなに今が忙しかろうと、そして、今の自分の所属が帝國華撃団だろうと、巴里華撃団の隊長は自分だ。
今回の研修は自分が司令になるための研修だ。そのことでどこか慢心していたのかもしれない。
(初心を忘れては駄目だ)
大神はそう心に誓いを立てる。と、ここで自分を呼ぶ声が聞こえてくる。
「……神さん、大神さん?」
考え込んでいたため、反応が遅れる。
「え? ああ、花火君」
大神は少し早口で答える。何度か呼ばれていたということが分かるため、少々ばつが悪い。
「大丈夫ですか。大神さん?」
花火は心配そうに伺ってくる。考え込んでいたことが、心配させたらしい。
「ああ、何でもないよ」
大神はその場を笑顔で取り繕った。
◆◇◆◇◆
花火と休憩室で話をしてから、5時間程経過していた。空はすでに茜色に染まっていた。
その日の練習は大神と花火の会話の後、すぐに切り上げられた。その理由は全員の疲労である。慣れないことのため、それは仕方がないことだ。まあ、それでも練習の成果が予想よりも大きいからこその余裕ではある。この辺はさすが花組というところだ。
とは言え練習が切り上げられた後も、大神には休みはなく、スタッフとの打ち合わせがあり、それがこの時間までかかってしまった。
時間はかかったものの、何とかその日の内に仕事を終わらせることは出来た。
(よし。行くか)
大神の中でこれから自分がすべき事はすでに決まっていた。
10分後。
大神は聖モンマルトル街外れの教会に来ていた。とはいえ懺悔をしに来たわけではない。 訪問理由はもちろんエリカだ。
「さて、どうするかな……」
意気込んで来たものの、大神は中に入れずにいた。
夜に若い男が1人暮らしの女性の家(部屋)に訪ねるというのは少々問題がある。加えて、エリカはあれでも(失礼)シャノワールのトップダンサーだ。スキャンダルのもとになるかもしれない。
これが帝劇なら、(共同生活のため)特に気にする必要もないのだが。
(困ったな……)
大神が立ちあぐねいていると、教会のドアが開き、そこから知った顔が出てくる。
「レノ神父」
彼、レノは大神へと近づいてくる。
「おや、大神さんじゃありませんか」
いつも泣きそうな顔(エリカ談)をしている彼、ルネ・レノが、この教会の神父だ。
「お久しぶりです。神父」
大神は軽く会釈する。レノも「おひさしぶりです」と返してくる。
「このようなところでどうされました?」 「あ、はい。エリカ君に用事があって来たのですが……」
聞かれて大神は素直に答える。が、
(しまった)
と、内心焦る。会いに来たというだけで、スキャンダルになるのだ。それを馬鹿正直に答えるのはまずい。しかし、当のレノは、
「そうですか。エリカさんなら、部屋にいますよ」
と、何の気兼ねもなく言ってくる。
「………」
それに言葉を失う大神。
「? どうかされましたか?」
固まった大神に、レノは不思議そうに聞いてくる。
「いえ……」
大神はただそれだけの言葉を口から絞り出した。
(変に気にしすぎたのか?)
レノのそのあまりにも自然な態度に、大神は戸惑う。一方、当のレノのは懐中時計をとりだし、時間を確認すると、
「では、私は用事がありますので失礼します」
と、そのまま夜の街へと消えていった。大神もその背を見送った後、教会の中へと足を進めた。
◆◇◆◇◆
「ふぅ……」
暗い部屋の中、大神は明かりも点けず、ベッドに寝転がっていた。
時刻はすでに午後11時を回っている。そのため窓の外の街は静かだ。
疲れた身体を休めようと、目を閉じる。が、眠気は一向に訪れない。夢のかわりに彼の目蓋に浮かぶのは先程のエリカとのやりとりの風景だった。
教会の宿舎の一室。そのエリカの部屋での会話がいや、一言が大神の心に深く突き刺さった。
『辛いんです……』
ただそれだけの短い言葉だった。
大神が部屋を訪ねた時、エリカのその表情は一目で分かるほど、暗かった。
大神は単刀直入にその理由を尋ねた。そして、返ってきたのが『辛いんです……』というただそれだけの、そしてそれ故の重い一言だった。
何が辛いのかと聞き返した大神に返ってきた答えは、予想外のものであるかつ、彼自身にも辛い言葉だった。
『あの劇が辛いんです……』
自分が考えた劇がエリカを苦しめていた。そのエリカの言葉に大神は一瞬言葉を失った。それでも声を振り絞り、聞き返した。
『……何故だい?』
エリカは顔を伏せたまま答えた。
『あの劇の練習をすればするほど、内容を知れば知るほど、自分が帝都の花組に負けていると感じるんです』
大神はその言葉の意味を理解することが出来なかった。少なくとも、彼自身、台本を書くときに巴里と帝都を比べるようなマネはしていない。
エリカの顔は伏せられ、さらに彼女の長い髪が、その顔を隠すため、表情を見ることは出来ない。
しかし、エリカの辛さだけは伝わってきた。これ以上、聞く事は彼女を苦しめると分かっていても彼はその先を聞かねばならなかった。
『……それはどういうことだい?』
『……あの劇の中には私達が、いえ、私が知らない大神さんと帝都花組の姿があります。それが辛いんです……』
そう答えるエリカの声は淡々と静かなものだ。とても、普段の彼女からは想像できない。
『………』
言葉を探す大神より先に、エリカが淡々と言葉を紡ぎ出す。
『……あの劇を大神さんが書いた理由は、以前、聞きました。頭では理解してます。でも、感情では理解できないんです……』
エリカの言うとおり、大神は練習の初日のミーティング時に『サクラ大戦』を書いた理由を全員の前で話していた。
先にも書いたように、平和の裏でそれを守っている者がいるということを人々に物語として伝えたいということ。
そして、それを演劇という形でやるなら、巴里花組が巴里花組をそのまま演じるよりも、帝都花組を演じた方が面白いと思ったこと。 加えて巴里の人々に日本を、帝都を見てほしいという気持ちもあったし、巴里花組に帝都花組がやってきたことを知ってほしいという思いもあった。
『サクラ大戦』という題名は、春に舞う桜の花の中、戦いが始まり、一年を通してまた同じ季節に戦いが終わることから、そう名付けたのだ。
そう思い返しても、大神はエリカにかける言葉を見つけることは出来なかった。そして、そんな彼の口から零れたのは、
『……エリカ君』
と、ただ目の前の彼女の名だった。
そこで会話は終わった。少なくとも続きはしなかった。最後にエリカが大神に向けた言葉は『今は1人にして下さい……』というものだった。
「ふぅ……」
息を吐き出すと同時に、大神は目蓋に映る記憶を打ち消す。
「俺は間違っていたのか?」
この晩、彼は自問自答を繰り返しながら、眠りについた。