第4幕 心配される台本……と、モギリ
エリカと巴里を回ってから1週間。大神はシャノワール支配人室に来ていた。大神の座るソファーの反対側にはグラン・マが同じようにソファーに腰を下ろしている。
大神は相対するグラン・マに真剣な表情を向けている。対するグラン・マは原稿用紙の束を1枚1枚念入りにチェックしていた。
かれこれその状況が30分ほど続いている。ずいぶん前に2人の前に置かれたティーカップから湯気は消えていた。
真剣な眼差しで状況を見守る大神。そして、グラン・マの手から最後の原稿用紙がテーブルへ置かれる。そして、僅かな間を挟み、大神は強ばった口を開く。
「……いかがでしょうか?」
大神の真剣な声。それに対しグラン・マは「フッ」と口元に笑みを浮かべ、ただ一言、
「合格だよ。ムッシュ」
と、静かに答えた。
その一言が大神から緊張を取り去る。そして、大神はグラン・マへ、
「ありがとうございます」
と、頭を下げ一礼する。
そんな大神に対しグラン・マは微笑みながら、口を開く。
「しかし、ムッシュもずいぶんと思い切ったね」
それは自分でもそう思う。正直、うまくいくかどうか、一か八かだった。
「自分でもそう思います。しかし、自分が伝えたいことを伝えるにはこれが1番良い形だと思います」
答える大神の表情は自信に満ちていた。
「確かにね」
グラン・マもそれはよく理解できた。その内容もそこに秘められたメッセージも。彼だから、大神一郎だから書けたものだと。
「それじゃムッシュこの原稿は預からせてもらうよ。3日後には台本も出来るから」
「はい。ありがとうございます!!」
大神はそうもう一度、礼をしてから支配人室を去った。
「まったく……たいしたもんだよ」
去りゆく大神の背を見送った後、グラン・マはそう1人微笑んだ。
◆◇◆◇◆
舞台の上で華やかに舞う巴里花組。
今日は改装工事前のレビュー最終日だ。最終日ということもあり、客席は1階、2階共に満席である。
そして、それに答えるように今日のレビューは花組全員がそれぞれのダンス(コクリコはマジック)を披露し、最後に花組によるフレンチカンカンによって幕は降ろされた。
ワァァァァァァァァァァァァァァァッ!! その日、シャノワールのレビューは歓声と拍手の中、幕を降ろした。
レビューの余韻に浸る観客達に、館内放送でエリカが呼びかける。
『本日はシャノワールにお越しいただいて、ありがとうございました♪ エリカ、大感激です。また、来てくださいね〜』
エリカの元気に満ちた声。その彼女らしい挨拶に観客は微笑みを浮かべ、シャノワールを後にしていった。本来、これはメルの仕事なのだが、改装前の最終レビューということで、花組からエリカが起用されたのだ。
放送を終えたエリカはいつも通り、ロケットダッシュで楽屋へと戻る。
楽屋では他の花組メンバーと前座のミキ、エルザ。そして司会のメルとシーが着替えを済ませていた。
「お疲れさまでした♪」
楽屋に響くエリカの元気な声。それに一同が「お疲れさま」と返す。
「場内案内ご苦労様です」
メルの労いの言葉にエリカは笑顔を向けると、「また、やらせてくださいね」と、答え彼女はカーテンで仕切られた更衣所へと入り込む。
それを見送るメルに、背後から声をかけてくる者が居た。エルザだ。
「メルさん。あれで良かったんですか?」
と、少し心配げな口調だ。
エルザ・フローベル。銀色の髪を持つ彼女はここシャノワールの前座ダンサーであり、同じ前座のミキのルームメイトだ。その性格は素朴で真面目なミキとは逆で、派手好きで少々怠け癖のあるイケイケねーちゃんである。
そんな彼女もミキ同様、いや、それ以上に『ソレイユ事件』に深い関わりを持っており、その件のため巴里華撃団の素性を知ることとなった一般市民の1人である。
聞いてくるエルザの問いの意味が分からず、メルは聞き返す。
「何がです?」
「さっきの場内案内ですよ。あれって、まずくないですか? あんなんだとエリカさんにカミナリ落ちるんじゃ……」
そのエルザの心配にメルの隣で紅茶を飲んでいたシーが答える。
「大丈夫ですよぉ。オーナーも分かってて、エリカさんに任せたんだから。ねぇ〜メル」
メルは笑顔で頷き、答える。
「ええ、それどころかエリカさんらしいって笑ってましたよ」
「へ〜。ちょっと以外……」
エルザの中ではグラン・マは恐い存在なのである。
エルザがグラン・マの意外な一面を知った傍らで、コクリコはふと、思い出したように口を開く。
「ね〜。そういえばさ、イチローのお芝居はどうなったのかな? 今日でレビューは終わりだよ」
コクリコの疑問に花火も同調し、。
「そうですね。そろそろ芝居の準備をしないと間に合わなくなります」
グリシーヌがそれに続く。
「そうだな。あと1ヶ月しかない……」
表情を曇らせるグリシーヌ達にグラスを傾けながら、ロベリアが話しに加わる。
「そういや、最近、あいつ、見かけないね」
「ここ1週間程、シャノワールにもおみえになってないようですし……」
答える花火の語尾が濁る。姿を見せない大神に一同が不安を抱いていると、それを和らげるようにミキが言う。
「あ、大神さんなら、私、見ましたよ」
「どこで見かけたのだ?」
一同を代表するように聞いてくるグリシーヌに多少、気圧されながらもミキは答える。
「は、はい。昨日の夕方、市場で見かけましたけど……」
「ねえねえ、イチローどんな感じだった?」
コクリコの問いに「う〜ん」と、少し唸り、ミキは答える。
「なんか、少しやつれてるように見えましたけど……」
ロベリアは「だろうなと」嘆息混じりに頷き、続ける。
「1週間前、見かけた時も、へばってたからな……」
それを聞いて、表情を曇らせた花火が心配そうに聞いてくる。
「そんなに酷かったのですか?」
「ああ。あれはこうなんて言うか……背中がすすけてるって感じだったね」
「……そうですか」
意味こそ理解できないまでも、そのニュアンスは花火に伝わった。
「様子を見に行ったほうが良いかもしれんな……」
グリシーヌの言葉にコクリコ、花火、ロベリアと順に同意する。
「……そうだね」
「私もそう思います」
「ちっ、世話が焼けるね……」
「待って下さい!!」
と、更衣所からエリカが飛び出してくる。その姿はいつもの赤い法衣だ。
皆が唖然とする中、エリカは1人、続ける。
「話は聞かせてもらいました」
「あ、エリカも行く?」
「いえ、行きません。というか、行く必要はありません」
コクリコにそう言いながら首を振る。
「どういうことだエリカ?」
グリシーヌの問いに少々高いテンションでエリカは答える。
「はい。大神さんが、そろそろここに来るからです!!」
と、その時、
コン、コン。
まるでタイミングを見計らったかのように、ノックの音が響く。
「どうぞ」
ミキがそれに自然に応じ、答える。
ガチャ。
と、音を立て入ってきたのは、件の大神だった。
「………っ!!」
楽屋にいた全員が息を飲む。それは大神の姿にあった。目の周りにはクマができ、顔色も悪く、頬はこけていた。それでも髭を剃り、身だしなみを整えているのは彼らしい。
誰もが言葉を失っている中、大神がゆっくりと口を開く。
「……台本……出来たよ……」
疲労感120%の微笑みが彼の顔に浮かんでいた。
◆◇◆◇◆
シャノワールで大神の台本が皆に配られている頃、エッフェル塔の展望台に男はいた。全身を青のローブに包んだその姿は、はたから見れば奇妙以外の何物でもない。それでも彼が男と分かるのはローブから僅かにその顔を覗けるからだ。
全身像を上げるなら、頭から全身を蒼のローブで包んだ長身痩躯の男。そんなところだ。つまり、ローブのせいでそれぐらいしか分からないのだ。それでも強引に見るならローブには細かい模様が入っているというところだろ。
今、展望台は彼1人だ。周りに他の客の姿はない。まあ、開場時間はとっくに過ぎているのだから当然だ。つまり今、いる彼は不法侵入者ということになる。
「……静かなものだ」
ほんの数時間前までは人で溢れていた展望台。しかし、今は人も音も光もない。あるのは静寂と闇。ただそれだけだ。
それはまるでこの巴里の裏側の様にも思えた。人と自然の共存の都市『巴里』だが、その裏では常にそれと相反する『なにかが』間違いなく存在する。
人が否定するもの。それは闇や魔と呼ばれることもある。この都市のそれも否定されていた。
(勝手なものだ……)
男は人間のそこが許せなかった。自分達に都合の悪いものは全て否定し踏みつけるその姿勢が。闇、魔と呼ばれるそれらは言うなれば自然の裏側である。この世界を構成するためには必要なものだ。本来なら踏みつける様なことは赦されない。少なくとも男はそう考えている。
物思いにふける男の背後、その闇の中から白のローブを纏った人影が現れる。
「……遅かったな。エルシャ」
男は振り向きもせずに、人影にただ静かに言い放つ。
「申し訳ございません。神爵」
エルシャと呼ばれた人影は静かに、そして丁寧に返す。声からそれは女性。それも若い女性だとわかる。
男は振り返らぬまま答える。
「いや、攻めているわけではない。ただ、1人になると考え込んでしまうのでな……」
「………」
エルシャは答えない。それは男が返事を求めていないことが分かっているからだ。かわりに聞くべきことを問う。
「……巴里はいかがですか?」
「……良い街だ。人が暮らすにはな。不自然な『自然都市』といったところか……」
男は背は背を向けたままだ。だが、エルシャには分かっていた。男のその顔に浮かんだ苦笑が。
「では、ここを?」
エルシャのその言葉は確認を意味している。
「いや、ここは急ぐ必要もない。しばらくは、このままで保つだろう。それにいざとなれば賢人機関が動く……」
「……戻られますか?」
エルシャの問いに男は少し考えると、やがて答える。
「いや、少し楽しんでいこう。せっかく芸術の都だ」
「……では?」
聞き返す彼女にようやく男は振り向き答える。
「ああ、あれをここでやる」
その答えにエルシャの顔に笑みが浮かぶ。彼女のその表情を確認すると、男は視線を巴里の街へと戻す。
「欧州は花の都か……最高の舞台だな」
冷たく響く声。そして、都市へと向けられた冷たい眼差し。それはこれから起こる厄災を意味していた。