第3幕 夢を描くモギリ

  大神が台本を書くと決意したその翌日の午前9時頃。まだ彼の意識が夢の中を彷徨っているところから、物語の幕は上がる。

 巴里、聖モンマルトル街のアパートの一室。

「ぐ〜」と寝息を立て爆睡状態の大神。巴里の朝が遅めとはいえ、少々寝過ぎだ。まあ、それも昨日までの研修の疲労が溜まっていたのだから、仕方のないことではあるが。

  大神の「ぐ〜」という寝息が、規則正しく部屋に響く。その中を忍び足で進む人影があった。

 人影はベッドの前まで行くと、そこに寝ている大神の姿を確認する。

(………

  ターゲット(大神)が爆睡していることを確認すると、人影はごそごそと何かを取り出す。そして、

  チーーーーーーーーーーーーン

 澄んだ金属音が部屋に鳴り響く。

「なんだ!?」

 その金属音に大神はガバッと身体を起こす。

  大神が夢の幻想世界から、現実世界に帰還して、今日、最初に見たのはトライアングルを持って構えるエリカの姿だった。

「………」

 わけがわからず固まる大神。それに構わずエリカは踊り出す。

「おっはよう♪ おっはよう♪ ボンジュール

 チーーーーン

「おっはよう♪ おっはよう♪ ボンジュール

 チーーーーン

「大神さん♪ 大神さん♪ おっはよう大神さん♪ 

 と、ここまで踊りきって、エリカは両手を高々と上げると、そのままトライアングルを強く鳴らす。

 チーーーーーーーーーーン

 それが鳴り止むと、再びステップを踏み出す。

「早く起きてよ。ボンジュール

 チーーーーン

「今日も元気にボンジュール

 チーーーーン

 と、ここでステップを止めると、エリカは身体を回転させつつ、狭い部屋を器用に回り出す。

「クルクル♪ クルクル♪ クルクル回って、ボンジュールボンジュールボンジュールボンジュールおっはよう、大神さんc ヘイ!!」

 と、歌詞が終わると同時に回転を止め、先程同様両手を高々と上げ、トライアングルを強く鳴らす。

  チーーーーーーーーーーン

「………」

 今だ自体を把握できない大神。そして、ダンスの余韻に浸るエリカ。それは奇妙かつ、シュールな光景だった。

  大神寝ぼけた意識を必死に働かせ、現状を把握しようとする。そして、

「……エリカ君?」

 と、なんとか声を絞り出す。

 余韻に浸っていたエリカもその呼びかけに答える。

「あっ、おはようございます 大神さん」

  いつもどおり満面の笑みを浮かべるエリカ。

取り合えず大神は今のダンスについて訪ねる。

「……今のは?」

「今のはですね、以前、披露した『おはようダンス』の第3弾。名付けて『おはようダンス・F2』です

「……おはようダンス・F2……」

  大神はその名を繰り返す。

「あ、ちなみにF2は光武からとりました」「……なるほど」

 大神の意識が徐々に覚醒していく。そして、ようやく思い出す。以前、これと同じダンスを見たことを。

(確かあの時はマラカスだったけ?)

  マラカスからトライアングル。この変化がF2なのだろう。

「それで……エリカ君がどうしてここにいるんだ?」

  大神は言いながら、ベッドから立ち上がり、エリカと向き合う。

  エリカもトライアングルをゴソゴソとリュックに仕舞いながら答える。

「はい。グラン・マから大神さんが台本を書くって、聞いて飛んできたんです」

「なるほど……」

 確かにエリカの性格を考えれば、当然の反応だろう。しかし、大神はふと、不振な点に気づく。

「でも、鍵はどうしたんだい?」

  ここ数日、疲れてはいたが、流石に鍵を閉め忘れるようなことはしていない。

 その大神の問いにエリカは笑顔で答える。

「あ、それだったら、ここの管理人さん借りちゃいました」

「へ? 借りたの?」

「はい。『サイン書いてくれるなら、いくらでも貸します』って言われたので、ブロマイドとシャツに書いてきました」

「………」

 何の曇りもなく、笑顔でスラスラと答えてくるエリカに大神は言葉を失う。

「? どうかしました?」

「……いや」

 キョトンとした表情のエリカ。それに対し大神はただそう答えることしか出来なかった。

  エリカは「あっ、そうじゃなくて」と声を上げる。どうやら話がそれたことに気づいたらしい。

「まあ、それは置いといて……」

「ん?」

「それで大神さんはどんなお話を書くんですか?」

「え〜っと、それは……」

 思わず語尾が濁る。正直、書くと決めただけで、何も考えてない。昨日なんか、部屋に帰った後はそのままベッドに倒れ込んでしまった。(アパートに帰る前にシャノワールでシャワーは浴びている)

 その意味を理解したのか、エリカの表情が怪訝なものになる

「……もしかして、大神さん。まだ、何も考えてないんですか?」

「……実はそうなんだ……」

 図星を突かれ、再度、語尾が濁る。

「そうだったんですか……エリカがっかりです……」

 エリカの表情は曇り、それに合わせて声のトーンも低くなる。そして、そのトーンのまま、

「私、戻ります……」

 と、呟いて、踵を返す。そのエリカの背に大神は今できる精一杯の決意を伝える。

「……すまない。エリカ君。そのかわり完成したら、一番に見せに行くよ」

「はい。楽しみにしてますね」

 振り向き際にそう言い残すと、エリカは狭い部屋を弾丸の様に駆け抜けていった。そして、すぐに、

 コツン、ゴロゴロゴロ、ドンッ!!

 と、アパートの下の階から聞こえてくる。

  音から察するに、階段の前で躓き、そのまま階段を転げ落ち、最後に壁に激突したのだろう。

 大神が頬に「つ〜」と、汗を流しながら、そう推測した後、下の階から、声が聞こえてくる。

『大丈夫ですか!? エリカさん?』

『うう……。痛いです』

 と、エリカと管理人のやりとりが聞こえてくる。しかし、それもすぐにおさまり、管理人に見送られ、エリカは再び全速力で走り去ったようだ。

「ふぅ〜」

 思いも寄らぬ朝からの騒動に大神は深い溜め息をつく。

(まあ、いつもどおりと言えば、いつもどおりか……怪我も無かったみたいだし、心配はいらないな)

  こうして、巴里の優雅(?)な朝が始まる。 ◆◇◆◇◆

  朝の騒動から約1時間。時刻は午前10時を回っていた。アパートから通りを挟んだ所にあるカフェで大神は頭を抱え唸っていた。

「う〜ん」

  彼の目の前に置かれたノートは真白で、その隣にペンも置かれたままだ。

 大神の座るテーブルはここ1時間ほど変化はない。動きがあるとしたら、テーブルの上に置かれたティーカップから立ち上がる湯気の動きぐらいだろう。最もそれもだいぶ前に消えているが。

 大神が書こうとしているのは当然、舞台の台本なのだが、これがさっぱり出てこない。これが文章が出ないのならまだいい。それどころか、どんな話しにするかも決まっていなかった。

「……どんな話を書けばいいんだ?」

 と、ついには独り言が出る始末。そうとう追いつめられている。

 考えてみれば以前、書いたときも1週間以上、白紙の状態のまま悩み、頭を抱えていたのだ。

 そう簡単に出来るものではないと、分かってはいたはずだが、正直辛かった。

「……そういや、前に書いた時はどうしたんだっけ?」

 と、4年前の夏の日を思い出す。

 あの時、大神は当時の帝劇副支配人・藤枝あやめにアドバイスを受けていた。

「……懐かしいな」

 口から思わず、そう零れる。

 藤枝あやめ。副支配人にして副司令。その彼女と大神が過ごしたのは4年前、黒之巣会及び葵叉丹との戦いの間。1年にも満たない短い期間だ。あやめは葵叉丹との戦いの中で、その命を落としている。

 大天使ミカエル。降魔殺女。そして、人間、藤枝あやめ。3つの魂をその身体に宿し、それに翻弄されながらも、彼女は自分を貫いた。

  そんな、彼女の言葉が脳裏に蘇る。

『物語を書くというのは恋文を書くことと一緒よ。気持ちを伝えることを考えて。そして、それと、お客様を楽しませようって気持ちも忘れては駄目よ』

 そこまで思い返し、大神は再び考え込む。あの時、大神が伝えたかったのは『夢』である。そして、今回は、

(………)

 まだ、それすら決まっていない。

(……伝えたいことか。まずはそこからだな)

 書くべきことは今だ決まらない。しかし、何をすべきかは決まった。その表情には先程よりは幾分かは余裕も出ていた。

 大神は冷め切ったコーヒーを一気に飲み干し、気分を新たに切り替える。と、一段落した時、

「あ、大神さん」

 と、正面から聞き覚えのある声が、自分を呼ぶ。エリカの声だ。

「エリカ君」

 大神も顔を上げ、それに答える。

 エリカはスタスタと歩いてくると、そのまま大神の前に座る。

「何してるんですか? テーブルにノートを広げて」

「ああ、今、今度の舞台のことを考えていたんだ」

 と、答えた次の瞬間、

「え!? てっことはもう、お話は出来たんですか!?」

 と、エリカはこちらに身を乗り出してくる。

「いや、まだだよ」

「残念です」

 エリカは言いながら顔を引っ込めていく。そんなエリカに大神は言葉を続ける。

「でも、どうするかは決まったよ」

「へ? どういう意味です?」

 聞いてくるエリカにこれまでのことを話した。

「……伝えたいことですか」

「ああ、まずはそれから探そうと思う」

 大神がそう答えると、エリカは「う〜ん」と、声に出して唸る。やがて、ガバッと顔を上げ、再び身を乗り出して口を開く。

「だったら、今からそれを探しに行きましょう!!」

「……へ?」

 予想外かつ、意味の分からない言葉に大神は間抜けな声を上げる。

「どういう意味だい?」

 理解できず、意味を問う大神にエリカは得意気に答える。

「『伝えたいこと』を見つけるために今から、巴里中を回るんです!!」

「巴里中を?」

「はい。巴里を見て回って、そこから『伝えたいこと』を見つけるんですよ」

「なるほど」

 エリカの案は実に的確なものだった。今回の舞台の客は巴里の人々だ。ならば、まず巴里の街をそして人々を見て回るべきだ。

 天使のような純粋な心を持つエリカならではの案である。

 その案に納得した大神は早速、それを行動に移すべく立ち上がる。

「そうだな。エリカ君。ありがとう」

 エリカも立ち上がる。

「はい。では、行きましょう!!」

「へ?」

「丁度暇だったので、私も一緒に行きます。レッツゴー

  エリカは言うが早いか、そのまま走り出す。「ま、待ってくれ〜!!」

 大神もそれを慌てて追いかける。

  ◆◇◆◇◆

  その日、大神とエリカの2人は巴里を1日かけて回った。市場、教会、公園、テルトル広場、サーカスと順に聖モンマルトル街を回った後は巴里市街へと出向き、ブローニュの森、凱旋門、ノートルダム寺院と回った。そして、最後の目的地、エッフェル塔に登った時には日が暮れていた。

 2人の前に広がる巴里の街には人々の生活の明かりが灯っていた。

「ここから見る夜景はいつ見ても綺麗ですね……」

 そう優しく微笑むエリカの髪は、吹きつける風になびいている。

「そうだね……」

 大神も巴里の夜景に見とれる。街に灯る明かり。大神はその優しい光が好きだった。人々の日々の生活の明かり。それは人が、街が生きている証だからだ。

(そういえば、帝劇でもテラスから街の明かりをよく見たな……)

 巴里の灯が大神の帝都の記憶を呼び起こす。 国は違えど、街に灯る光の意味は変わらない。それはこれまでの戦いで大神が学んだことの1つだ。

  夜景を楽しんでいたエリカの顔が、ゆっくりとこちらに向けられる。

「今日は楽しかったですか?」

「ああ。楽しかったよ」

 大神は素直に答える。2人で回った巴里。その中で大神は巴里に生きる人々の生活や、巴里の町並み、そして、都市と共存する自然を目で見て、肌で感じ取った。それは忙しさの中で大神が忘れていた何かを取り戻させてくれた。

  そう答えた大神の顔を見て、エリカは優しく微笑む。

「? どかしたかい?」

「いえ、やっと、大神さんらしくなったなって……」

「俺らしく?」

 意味が分からず、問い返す。

「ええ、今の優しい表情が、いつもの大神さんらしい大神さんですよ」

「そ、そうかい?」

 言われて、照れくさくなると同時に最近の自分がどうだったか気になり出す。が、それもすぐにエリカの口から聞くことが出来た。

「はい。だって大神さん。ここ1週間ぐらい、なんか表情暗かったんですよ」

「暗かったか……」

 思い返せば、納得出来た。ここ1週間の研修で正直、息が詰まっていた所がある。

「みんな。心配してたんですよ」

 エリカの口調が僅かに強い。どうやら結構、心配させてしまったようだ。大神は素直に謝る。

「ごめん」

「まったくです。どんなお仕事か知りませんが、無理は駄目ですよ。無理しても誰も喜びませんから」

「……そうだね」

 研修で来ているということは伝えているが、その内容はみんなには言っていなかった。そのことがより皆を心配させてしまったのだろう。

「でも、良かったです。大神さんが元気になって。本当は今日、街を回ったのはお芝居のためというよりも、大神さんのためだったんですよ」

「そうだったのか。気をつかわせてすまない。でも、エリカ君のおかげで明日からがんばれそうだよ」

 これも正直な気持ちだ。巴里という街を1日かけて見て回ったことで大神の中の淀みは消えていた。

 優しく微笑む大神だったが、エリカの表情はまだ少し暗い。まだ、心配しているのだ。

「それはいいですけど……。無理は駄目ですよ」

「ああ。分かってる。今日、街を回ったおかげで色々思い出せたから大丈夫だよ」

「思い出せた? なんのことです?」

 エリカは意味が分からず問い返すが、大神は、

「秘密」

 と、イタズラっぽく返すだけだった。

「大神さんのケチ……」

 いじけるエリカに少し悪いな。と、思いながらも、大神は微笑むだけで答えはしなかった。そして、

「……今は秘密さ」

 と、静かに呟くと巴里の夜景にその視線を戻した。

「? まあ、いっか」

 気にはなったが、大神のその優しい表情に満足し、エリカも追求をやめ、大神同様、巴里の夜景を楽しむことにした。

 ◆◇◆◇◆  

  エリカと巴里を回った次の日。大神は朝から机に向かっていた。手に持たれたペンは昨日までとは違い、順調とは言えないまでも、確実にノートに文字を刻んでいった。

 大神の顔も昨日までとは違い、精気が宿っている。

(俺が巴里に伝えるべきもの。それは……)  大神は単語で表現出来ないそれを物語としてノートにつづっていく。



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