第2幕 モギリの試練
シャノワールが夜の街に光の華を咲かせ、人々がレビューに酔っている頃、その地下。作戦司令室では大神が目の回りにクマをつくり、テーブル顔を突っ伏していた。
「ふぅ〜。終わった〜」
大神は言葉を吐き出しながら大きく伸びをする。
大神が巴里に着いてからすでに1週間たっていた。ここ1週間はとにかく忙しかった。 正直な話し、今回の研修は研修とは名ばかりの旅行だと、甘く考えていた。
米田が帝國華撃団・司令の地位を大神に譲ってからというもの、大神は日本で様々なことを学ばされた。華撃団全体の組織像や各機関との繋がりに始まり、帝國劇場の支配人業務はもちろん、華撃団の上層組織である賢人機関の組織像。加えてその他もろもろ。と、それまで大神には縁の無かったことばかりである。
華撃団・副司令である藤枝かえでのサポートを受けながらこれらのことを約1ヶ月かけて学んだのだ。
それに続いたのが今回の巴里研修である。日本で学ぶことを終え、巴里へと派遣されたのだ。つまり帝國華撃団・司令の研修は終わっているのである。
帝都と巴里。国は違えど、同じ華撃団。大神は巴里での研修内容も日本と変わりはしないと予想していたのだ。
しかし、現実は違った。巴里は巴里で組織構成も違えば、連携機関も違う。加えて日本には無い小さな決まり事も多く。覚えることは山ほどあった。
「けど、それもようやく今日で終わりだ……」
覚えるべきことは多かったが、帝都で基礎を学んでいたため、それも今日で全て終えることが出来た。
「さて、アパートに戻るか」
大神は立ち上がると、よろよろとエレベータへと乗り込む。
地上へと上がるエレベータ。
チン。
チャイムが鳴り、その扉が開く。
「あ、大神さん。探しましたよ」
よろよろとエレベータを出たところをそう呼び止められる。
「ん? ミキ君か」
大神は自分を呼び止めた小柄な少女と向き合う。
明智ミキ。その名からも分かるとおり、ここ巴里では珍しい日本人の少女だ。1ヶ月前、巴里で起きた『ソレイユ事件』を解決した明智小次郎の妹であり、彼女自身も事件に深い関わりを持っていた。その一件のため巴里華撃団の素性を知る数少ない一般人である。現在はシャノワールの最年少前座として活躍している。
ミキはパタパタとこちらに駆け寄って来る。
その姿はいつもの茶色のワンピースだ。どうやらレビューは終わったらしい。
「大丈夫ですか? 目にクマが出来てますけど」
「ああ、大丈夫だよ……」
答える大神のその声に力はない。
「お仕事大変みたいですね」
「まあね。でも、明日からはのんびり出来るから……」
力無く答える大神。もし相手がグリシーヌだったら間違いなく「何をたるんでおる!!」という掛け声と共に彼女愛用のハルバートが振り下ろされるだろう。
「あ、そうなんですか?」
「今日で仕事も一段落したからね。それで、何か用かい?」
「あっ、そうでした。グラン・マが大神さんに支配人室に来てほしいそうです」
「グラン・マが……」
大神の頬を『つぅ〜』と、音を立て汗が流れる。
「はい。では、エルザを待たせてるので失礼します」
と、一礼するとミキはパタパタと走り去っていった。最も大神はそのことに気づく余裕は無かったが。
「明日も仕事かな……」
大神はそう呟きながら、とぼとぼと支配人室へと歩きだした。これを偶然目撃したロベリアが後日語るにはこの時、彼の背中はすすけていたという。
◆◇◆◇◆
コン、コン。
大神は支配人室のドアに軽くノックする。すると、すぐに中からグラン・マが聞いてくる。
「誰だい?」
「大神です」
「ああ、待ってたよ。ムッシュ。入んな」
「失礼します」
大神はそう言いながら、ドアを開け、支配人室へと入る。中ではグラン・マがソファーに座り、自分を待っていた。その腕には愛猫のナポレオンが抱かれている。
「まずはお掛け」
「はい」
グラン・マに促され、大神はソファーに腰を下ろす。グラン・マはそれを確認すると口を開く。
「まず、今日までの研修ご苦労様。けっこう大変だったろう?」
「はい。覚えることが多くて驚きました」
「だろうね」
と、相槌を打つと、「フフフ」とグラン・マは口元に笑みを浮かべる。そして、
「明日からはゆっくりとお休みと言いたいところだけど、ムッシュにはやってほしいことがあるのさ」
と、切り出してくる。
(来たか……)
覚悟していたこととはいえ、正直、気が滅入る。
「……どのようなことでしょうか?」
何とか平静を装いつつ、聞き返す。が、グラン・マは「クスッ」と小さく笑う。どうやら平静を装いきれてなかったらしい。心境を見透かされて少々ばつが悪い。
グラン・マはそれに構わず、言ってくる。
「安心しな。仕事じゃないから」
「仕事じゃないんですか?」
予想が外れたことに拍子抜けする。
「ああ、そうさ。今から言うことはあくまで私からの頼みさ」
「頼みですか……?」
要領を得ないため語尾が濁る。
「そう。だから、引き受けるかどうかはムッシュが判断しておくれ」
「はぁ」
大神は曖昧に頷く。訝しげな大神に構わずグラン・マは続ける。
「実はね、ムッシュには話して無かったけどもうすぐシャノワールは改装工事のため休みに入るのさ」
「へ? それはいつからなんですか?」
グラン・マはカレンダーにチラリと目をやり、
「今から2週間後さ」
と、答える。
「2週間後ですか」
その間はモギリだな。と、心中で呟く。
「でね、工事自体も1ヶ月ぐらいかかるのさ」「? はぁ……」
今だ話しが見えてこない。大神はただそう相槌を返すしかなかった。
「それでここからが本題なんだけど、今度の新装オープンのスペシャルイベントとして劇をやろうと思うんだよ」
「は? 劇ですか?」
大神は思わず聞き返す。ここシャノワールは歌とダンスを中心としたレビューを出し物にしている。例外はコクリコのマジックショーぐらいなものだ。つまり、これまで劇を行ったことはないのである。
「そう。劇だよ。それでムッシュにはその間に劇の台本を書いてほしいのさ」
「いぃ!? じ、自分がですか?」
思わず動揺し聞き返すが、
「他に誰がいるんだい?」
と、グラン・マは冷静に返してくる。
「む、無理ですよ!! 自分が劇を考えるなんて!!」
突然のことに慌てふためき、拒否する大神だが、今度はグラン・マが訝しげな表情を浮かべる。
「おや? でも、ムッシュは前に劇の脚本を書いたって、帝都のムッシュ米田から聞いてるよ?」
「あ……」
大神は言われて思い出す。今から遡ること約4年前。まだ、帝國華撃団が政府転覆を狙う最初の敵、秘密結社『黒之巣会』と戦っていた時のことだ。確かにあの時、さくら達の舞台に影響され、大神は一度だけ舞台の台本と企画書を書き、さらに演出まで務めた。
「確かに一度だけやりましたが……」
そう一度だけだ。大神はそれ以降は脇役として舞台にかり出されることはあっても、台本を書いてはいない。
「……自信がないかい?」
「……はい」
グラン・マの問いかけに素直に答える。確かにあの時の舞台『真夏の夜の夢』は好評だった。しかし、所詮、自分は素人だ。そう何度も台本を書けるはずもない。ましてや、スペシャルイベントの台本など、もってのほかだ。
硬直する大神にグラン・マは静かに語りかける。
「ムッシュの気持ちも分かるよ。でも、これはあの娘達からの頼みでもあるんだ」
「みんなからの……」
大神は以前、巴里花組にもこの話をしていたことを思い出す。
「あの娘達もムッシュの劇をやりたいのさ」「………」
答えを出せない。みんなの気持ちは嬉しい。しかし、自信はない。
「まあ、どうしても嫌なら、今から他の脚本家にあたるけど……どうする?」
「………」
断ろうと心に決めた時、ふと、あの時のさくらの言葉が頭に浮かぶ。『芝居はみんなで創るものです。失敗しちゃっても、それはそれでいいじゃないですか』
(そうだったな……)
芝居はみんなで創るもの。そして、みんなが望むなら、自分は出来ることをする。かつての決意を呼び覚まし、大神は心を決める。
「やります」
この時から彼、大神一郎はスペシャルイベントの総合責任者となった。