あゆ編2

1階。1年棟の空き教室。その隅に身を隠す俺とあゆ。

「ふ〜、ここならしばらくは安全だよ」

「………」

 額の汗を拭うあゆ。それを無言、ジト目のコンボで見つめる俺。

「え〜と、それでなんだっけ? 祐一君」

 さきほど俺が聞こうとしたことを尋ねてくるあゆ。しかし、それはもう必要ない。

「いや、もういい……」

「もういいって?」

「いや、だからもう分かったから」

 これほどまでに再現された状況下で何も理解できないほど俺はバカじゃない。つまりこれはあの冬の日の再現だ。

 隣にいる少女が以前、食い逃げの常習犯だったことを俺はよく知っている。最近はなりを潜めていたが、またその悪癖が出てきただけだ。そういえば、以前TVで、万引き等の犯罪は生活環境におけるストレスが原因だとかなんだとか言ってたな。もしかしたら、こいつもそんな状況にあるのかも……。

 そう考えると、攻めるに攻めれず、俺の目は哀れみの感情で満たされてしまう。ああ、俺はなんて甘い男だ。

 俺は優しさと悲しみを宿した瞳であゆに微笑みかける。が、当のあゆはそんな俺になんとも胡散臭げな視線を返してくる。

「……祐一君、その目はまた失礼なこと考えてるでしょ?」

「失礼なこと?」

 言われて考えるが、俺には当然覚えが無い。というか、全てを受け入れ、優しく微笑む俺に対しそんなことを言う方がよっぽど失礼だ。が、ここは大人として、そんな細かいことは気にしないでおいてやることにする。

「俺は何も変なことなんて、考えてないぞ」

 素直に答える俺。しかし、あゆの懐疑心は未だ解けない。

「嘘だよ、その目は僕がこのタイヤキを取ってきたとか、考えている目だよ」

 やれやれ、変なことを言ってくるやつだ。仕方ない。ここは安心させるためにも今の俺の想いを言葉にしてやろう。

「そんなこと考えてないって」

「……本当?」

 あゆの瞳から疑いという感情が少しずつ消えていく。良し、後一押しだ。

 俺は可能な限り優しく微笑むと、その優しい表情にぴったりな穏やかな声であゆに告げてやる。

「本当だ。俺はただ『また、あゆがタイヤキを食い逃げして、さらに俺を意味も無く巻き込んだ』って確信しているだけだ」

 心を包み隠さず言葉にする俺。これであゆの疑いの眼差しも解けるはず。とか、考えていたんですが、あゆの目には懐疑心のかわり怒りという激しい感情が浮かぶ始末。あれ、おかしいな?

「うぐぅ〜、酷すぎるよ〜!? 祐一君!!」

 怒りの抗議をしてくるあゆ。おかしい、こんなはずは無い。そもそも俺の推理に間違いはないはず。けどまあ、あゆが怒っているので、念のために確認してみる。

「だって、当たりだろう?」

「外れだよ!!」

 叫び否定するあゆ。おかしい。あゆが言ってることが本当だとすると、今回の一件は一体なんだというのだろう?

「……そう、外れだ、相沢……」

 俺が混乱しているところに、外からあゆの意見を肯定してくる声が聞こえてくる。

「その声は!?」

 その声には聞き覚えがあった。この静かで、それでいて威圧的な声。この声の持ち主は……。

「フフフッ、久しぶりだな相沢……」

「斉藤……」

 そこにいたのは俺と同じ2−Bのクラスメイトである斉藤だった。こいつ斉藤は2−Bの生徒会役員(男子)で、頭が悪い男だ。基本的にアホでそのアホさ加減といったら北川といい勝負だ。趣味は昔の少年ジ○ンプの漫画を読むこと(お気に入りは微妙な冒険と北の拳と明治剣客浪漫劇)。ちなみに久しぶりと言ってきたのは、こいつは生徒会の出し物の準備で最近、2−Bには顔を出していなかったからだ。(勿論、授業には出てたが)

 斉藤を前に身構えるあゆ。その表情は先ほどまでとは違い、真剣なものだ。

「うぐぅ〜、もう、見つかるなんて……」

 あゆの額に汗がにじみ出る。あまり余裕があるようには見えない。そんなあゆとは対照的に斉藤の顔には余裕の笑みが浮かんでいる。

 斉藤はその場に静かに、そして油断無く立ち尽くすと、その冷たく威圧的な声であゆを追い詰める。

「月宮さん……君はまだまだあまいな。君の足は確かに一流だが、その程度では生徒会執行委員を撒くことは出来ない……」

 「くっくっくっ」と冷笑する斉藤。しかし、あゆも負けてはいない。斉藤がとばしてくるプレッシャーに必死に耐え、熱く叫び返す。

「まだ、勝負はついてないよ!!」

「良い気迫だ、それでこそ挑戦者に相応しい……」

 冷気と熱気。静と動の激情。緊迫する空気。対立する2人を前に俺は息を飲む。と、言いたいところだが、正直、取り残されてついていけてない。

 張り詰める空気の中、水を挿すようで嫌なのだが、聞いてみることにする。

「あ〜、非常に聞きにくい空気の中、勇気を出して聞くが、結局、おまえら何してんの?」

 俺の問に先に答えたのはあゆだった。

「……勝負だよ」

「勝負?」

 単語の意味は分かるし、状況的にも理解は出来る。けど、俺が知りたいのはもう少し込み入ったところ――理由と勝負の内容だ。

 俺の心境を察してくれたのか、あゆとは対照的に余裕がある(しかし、そこに油断は無い)斉藤が俺の問に答える。

「そうだ、相沢。彼女1−C 出席番号37番 月宮あゆは我々生徒会と勝負の最中なのだ」

 なるほど、あゆは生徒会と勝負しているのか。2人の現在の関係は分かった。

 次に言葉を発したのはあゆだ。

「ルールは簡単、タイヤキを持って30分、僕が逃げ切れば僕の勝ち。タイヤキは僕のもの……」

 そして、あゆの言葉に続けるように斉藤。

「そして、この俺が彼女を30分以内に捕まえれば俺の勝ちだ。その時はタイヤキ10匹分の代金プラス勝負参加料金、計3000円を支払っていただく」

「……なるほどね」

 理解した。勝負の意味も理由も内容も全部。

 俺が理解したの確認して、斉藤が俺に問いかけてくる。

「さて、説明は終わりだ。相沢、おまえはどうする?」

「どうって、何が?」

「お前は月宮さんに協力するのか?」

「へ?」

 イキナリの展開に我ながら間抜けな声を上げる俺。そんな、俺の声に何の反応もせず、変わらぬ冷静で威圧的な声で続ける斉藤。

「協力するならしてもいいぞ? 君ら2人なら勝率も多少は上がる。最も協力するなら俺が勝った場合はお前も勝負参加費を支払ってもらうことになるが……」

「祐一君、2人で逃げ切ろう!!」

 なるほど、斉藤は売り上げを上げたい。あゆは金を払いたくない。だから2人とも俺を巻き込みたいわけだ。

 今、自分が置かれている状況は完全に理解できた。ならば、答えは迷うこともない。

「斉藤、俺の答えは既に決まっている……」

 こんな単純なことに迷うことなど無い。当たり前のことをことばにすれば言いだけなのだから。

「……ほう」

「言っちゃえ、祐一君!!」

 静かに頷く斉藤。そして、俺の背中を押すあゆ。2人の中では俺が口にする答えは既に決まっているのだろう。よしよし、ならばその要望に答えて、俺の答えを言葉にしてやろうじゃないか。俺の正直で迷いのない答えを。

 す〜うと、深く息を吸い、吐き出す息と同時に言葉を飛ばす。

「いいから、アホなことに俺を巻き込むな!! 追いかけっこは他所でやれ!!」

 まさに正論。迷い無き答え。これこそ、常識人の真っ当な答えだ。そして、真っ当ではない2人は俺の予想通り、呆けてらっしゃる。

『はい?』

 間抜けな声をハモらせる2人。

「祐一君、今なんて……?」

 恐る恐る、というより信じられないという表情で聞いてくるあゆ。こんな当たり前のことを何度も言うのはいやなんだが、仕方がないのでもう一度言ってやる。

「『いいから、アホなことに俺を巻き込むな!! 追いかけっこは他所でやれ!!』と、言ったんだ」

 一語一句、間違えずに言い直してやる優しい俺。「そ、そんな……」とか、言っているところを見るとあゆも理解してくれたらしい。

 これで、話も終わったかと思ったら、もう1人現状を理解できてない人がいたようだ。

「……相沢、それは寂しくないか?」

 本当に寂しそうに聞いてくる斉藤。そこに先ほどまでの冷静さと威圧感は無い。今の斉藤は俺がよく知る『北川と同レベル』の1人のアホだ。なので、アホに相応しい対応をしてやる。

「知るか。こちとら、貧乏学生だ!! そんなアホなことに金なんて払えるか!!」

「いや、ほら、場のノリとかさ……」

 尚も食い下がる斉藤。その後ろであゆも斉藤を応援している。本当、こいつらアホだ。

 アホ2人にこれ以上、無駄な時間を費やしたくは無い。ので、、きっぱりと断ってやる。

「知らん、2人でやれ」

「………」

「………」

 言葉無く、立ち尽くす2人。俺はその2人の間を通って、外に出た。気のせいかもしれないが教室の方からは「僕の足は奇跡を起こす!!」とか「生徒会をなめるなよ!!」とか、およそ創立祭には似つかわしくないセリフが聞こえてくる。まあ、それも今となってはどうでもいいが。

 時間は4時40分。教室(2−B)ではそろそろ片付けが始まっていることだろう。俺は1人教室へ戻ることにした。


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