1年生編

「……なるほど、そんなことがあったんですか……それは災難でしたね」

「うう……。そう言ってくれるのは美汐ちゃんだけだよ……」

 涙ぐみむ北川。が、目の前の少女はそれを冷たく一瞥すると、これまた冷たく吐き捨てる。

「……勘違いしないでください。私が『災難でしたね』と、言ったのは、北川さんではなく、相沢さんと、水瀬先輩のお母さんと、真琴のことです」

「そ、そんな……」

「北川さん……。災難そのもののあなたが被害者面するのは、おこがましいにも程があるというものでしょう」

「……すみません……」

 完全に心を折られ、テーブルに突っ伏す北川。これで、しばらくは平和だ。

「ありがとう、天野」

 俺はテーブルに突っ伏す北川を無視し、彼女に例を述べる。

「いえ、お安い御用です」

 彼女、天野美汐は感情無く、そう短く答えてきた。

 天野美汐――彼女は1−Cの生徒で俺や北川の後輩だ。肩まで伸ばしたふんわりとした髪が、チャームポイントの美少女だ。前に真琴の一件の時に知り合ったことをきっかけに、今でも交友関係にある。その年齢にはそぐわないほど、落ち着きのある物静かな少女だ。ぱっと見は舞と似ているような気もするが、舞が感情を表現するのが下手なのに対し、彼女は自分から感情を制限している。

 過去にあったとある事件の影響らしい。まあ、それでも今は少しずつ、その制限を解き始めている。

 ちなみに今日はいつもの制服姿ではなく、どこかで見たことがあるような、胸元を強調したデザインの、ウェイトレス風の衣装を身に纏っている。まあ、これは天野だけではなく、もう1人も同じなんだが。

 今はもう1人のことは置いておいて、俺は天野が注いでくれたコーヒーをゆっくりと味わう。こう雪景色を眺めながら飲むコーヒーというのはなんか幸せな気分になる。……周りのことを気にしさえしなければ……。

 真琴と秋子さんに取り残された……もとい、分かれた後、俺は気を失った北川を引きずり、手近な教室(休める場所)へと、移動した。で、たまたま入った教室が天野ともう一名、厳密にはさらにもう一名のいる『1−C』の教室だった。

 で、偶然居合わせてくれた天野に北川を蘇生してもらい、ついでに説教してもらった。

「ふぅ。なんか、ここに来てようやく落ち着けた気がするな……」

 俺は外の景色を眺めながら、一人呟く。思えば今日は朝から落ち着く暇は無かった。教室ではアホが騒ぐわ、3年の所では舞が大食いしてるわ、そして、止めを刺すようにさっきの廊下での出来事だ。本当、今日は呪われているとしか思えない。けど、それももう終わりだ。アホは静かにしているし、天野は無害だ。恐れるものは何も無い。

「相沢さん」

……何も無いのだ。

「相沢さん」

 俺を呼ぶ声なんて、ありはしない。これは空耳だ。

「相沢さん!」

 先ほどから俺を呼ぶ天野の声の幻聴。しかし、そんなものは存在しない。なぜなら、それは幻聴だからだ。

「相沢さん!!」

「……はい」

 天野に根負けし、返事を返す俺。どうやら運命は変えられないらしい。

「相沢さん、一服するなとは言いません。しかし、そろそろ約束を果たしてください」

「……分かったよ」

俺はテーブルから立ち上がると、先程、後回しにしたもう1人の所へと歩いていく。彼女、美坂栞の元へ。

 美坂栞――その珍しい苗字からも分かるように、先程、2年の教室でその鉄拳を披露した美坂香里の妹だ。この1−Cの生徒で、俺の後輩(?)に当たる。少し前まではとある大病を患っていたが、現在は回復し復学している。姉とは対照的(と、言っても美少女ではある)で、子供っぽい容姿と性格をしており、それがチャームポイントでもあるのだが、本人は少しコンプレックスに思っているらしい。ちなみに運動オンチ。趣味は絵を描くこと。(ヘタ)

 と、そんな美少女なのだが、今は非常に声をかけずらい。机に顔を突っ伏し「シクシク……」と、聞こえてくるぐらい泣いている。

「う〜」

「………」

 栞は俺が横に立っているのも気づいていないらしい。出来れば、気づかれる前に旅立ちたい。

「相沢さん!!」

 天野がGOサインを出してくる。……分かっています。確かに約束しました。『北川を蘇生させて、説教してくれれば、俺は栞を慰める』って。今からやりますよ。

 俺はテーブルに突っ伏している栞の上から、覗き込むように声を掛ける。

「……お〜い。栞。どうしたんだ?」

「う〜。ほっといてください。どうせ私は負け犬なんです〜」

「……分かった」

 俺は栞の意見を尊重し彼女に背を向け、その場を去ろうとする。が、

 ガシッ!!

 軍服の端を掴まれる俺。掴んだのは当然、栞だ。

「う〜。泣き崩れている女の子を見捨てるなんて酷いです〜」

 テーブルから顔を上げ、無茶な抗議してくる栞。俺はそれを冷たく突き放す。

「お前が『ほっとけ』っていたんだろう?」

「その言葉の裏にある傷ついた心を癒すのが、紳士というものです〜」

「知るか、アイスでも食ってろ」

「ああ!? 祐一さん!! 今の私に最も言ってはいけないことを!?」

「あ……」

 言われて気づいた。そもそも栞が凹んでいるのはその『アイス』のせいだ。

 天野の話によると、今回の創立祭で1−Cは特にこれといった企画が上がらなかったらしい。そんな中、栞が『アイスクリーム屋』を提案した。

 他に案が挙がることは無く、結局『アイスクリーム屋』という企画が通ってしまった。で、その当日――今日、教室には人はいない。そりゃそうだろう。真冬に好き好んでアイスを買いに来るやつはそうはいない。一応、教室には暖房は入っているが、それでも多少は寒いのだ。アイスなんて食べたがらない。買いに来るのは罰ゲームの連中ぐらいだ。

 結果、客足はほとんど無く、あまりの暇さに売り子(1−Cの生徒)も栞と天野の2人のみになっている。つまり、これが栞が凹んでいる原因だ。

「……う〜。折角、高級アイスの箱をコピーして、中身を手作りに換えたのに〜」

 机に突っ伏したままとんでもないことを言う栞。俺は近くの冷蔵庫から、ハー○ンダーツの箱を1つ取ると、中身を見てみる。

 中のアイスは予想に反して、本物そっくりだ。少なくとも見た目は。

「どれ……」

 試しに一口かじってみる。味は……異様な程甘い。甘すぎる。はっきり言って不味い。間違いなくハーゲン○ーツとは別物だ。

「……栞、これは犯罪だぞ」

「祐一さん、なんて事を!?」

 俺のストレートな感想に、大袈裟に驚嘆する栞。こいつの味覚はどうなってるんだろうか?

 俺は『味』というものを理解していないこいつに思いっきり、そして、はっきりと意見を述べてやる。

「なんだ、この限度を知らない脅威の甘さは!? 一口で糖尿になるぞ!? アイスが好きならもっと、まともに作れ!!」

「ゆ、祐一さん……。そ、それは言いすぎですよ……」

 何故か、反省するでもなく、反論するでもなく、怯える栞。要領を得ない。

 「あわわ〜」と、怯える栞。顔に「?」を浮かべる俺。その間に天野が割って入ってくる。

「相沢さん……」

「ん? なんだ天野?」

「それ作ったの私です」

「……そうなのか?」

「そうですよ」

「………」

「………」

 俺と天野の間を沈黙が支配する。よくよく考えてみれば栞がアイスを作るのが下手なはずはない。すっかり忘れていたが、以前、手作りのアイスをご馳走になったが、味は良かった。

「………」

「………」

言葉を発しない天野。それに対し言葉を発せない俺。どちらに分があるかは言うまでもない。

 俺は本能に従い白旗を揚げる。

「すみません……」

 白旗を揚げた俺に天野は、勝者らしく『戦利品』を請求してくる。

「お代は千円になります」

「高っ!?」

「アイス代300円と慰謝料です」

「ぐっ……」

 天野のその視線は真冬のこの街よりも冷たい。ここで『NO』といえば、間違いなくヤラレル。

 俺は財布から学生には貴重な『野口さん』を取り出すと、それを天野へ差し出した。

「……毎度」

 『ニコリ』ともせずに、受け取る天野。本当、こいつは俺の天敵だ。

 貴重なCDの資金を失った俺。その現実はあまりに辛い。辛いので、そのそもそもの原因を探ることにした。

「ところで、この箱をコピーして、中身は別物ってアイディア(犯罪)を考えたのはどっちなんだ?」

「あ、それは私です。利益の追求を図りました」

 堂々と犯罪宣言をする栞。俺の知り合いに犯罪者は、1人だけだと思っていたが、どうやらそうではなかったらしい。これからはこいつもリストに加えておこう。

「お前が主犯か」

「なんですか、主犯って!?」

「知らないのか? 詐欺は立派な犯罪だぞ?」

「詐欺なんてしてません!!」

「箱はコピー、中身は(不味い)手作り、完全な詐欺だ!!」

「その辺はちゃんと看板に書いてます」

 そう叫ぶと、栞は天井からぶら下げてある看板を指差す。確かに書かれている。が、かなり字は小さく、おまけに色も薄い黄色と気づきにくい。これは間違いなく確信犯だ。

「これは『嘘、大袈裟、紛らわしい』だぞ」

「そんなこという人、嫌いです!!」

 事実を突きつけた俺にいつもの文句で答える栞。どうやら調子は戻ったらしい。

「天野」

「はい」

「約束はこれで果たした」

「はい」

「んじゃ、俺は帰るぞ」

 とりあえず、天野との約束は果たした。ここにいる理由はもうない。というか、これ以上、ここにいると、さらにややこしいことになりそうな気がする。現に今も後ろでは栞が「詐欺じゃないです〜。というか、もっとアイス買っていってください〜」とか、言ってるし。

 天野は『コクン』と頷くと、教室の片隅で「誰も構ってくれない……」と、体育座りをしていた北川を俺の所まで引きずってくると、

「どうぞ。北川さんは忘れずに持っていってくださいね」

 と、いつもどおりの口調で渡してくれた。

 正直、こいつもここで破棄していきたかったけど、それも無理らしい。俺は北川を受け取ると、1−Cを後にした。

最終章 あゆ編&閉会式編へ