入江診療所 応接室
そこで私達を迎えてくれたのは、この診療所の主、入江先生こと監督だった。
「やあ、皆さん、今日は良く来てくれました」
「監督が皆を集めたんですか?」
「ええ、そうです」
? なんだろう。監督が私達を集める用件なんて思いつかないな。もしかして監督の野球チームの話かな。けど、この季節は少年野球は試合はしないはずだけどな。
皆、どういう話があるのか検討がつかないんだろう。それぞれ首を傾げたり、怪訝な表情をしている。そして、それを代表するように沙都子が問う。
「今日はどういったご用件ですの?」
「今日は皆さんに大切な話があるのです」
大切な話? 監督にとって大切というと……。
「ま、まさか、監督、俺達全員に専属メイドになれとか言うんじゃ?!」
圭ちゃんも同じ事を考えたらしい。うん。監督と言えば大のメイド好き。うん、嫌な予感がしてきた。
けど、この嫌な予感を監督本人が軽く笑って消し飛ばす。
「ハハハッ。まさか。確かにそれも素晴らしいですが、今日は違います。それにその時は圭一君は呼びませんよ」
「そりゃ、そうでしょうけど……」
まあ、確かにそうか。いくら監督がメイド好きで変態でも、男の圭ちゃんにまでは手は出さないよね。けど、それは言い換えるなら、圭ちゃん以外になら手を出すって事だ。これは注意しておかないと。
皆もそう思ったらしく、ボソボソと声を潜めて話し合ってる。
「聞きました? 皆さん、今度、このように呼ばれた時に圭一さんがいなかったら、その時は……」
「みぃ〜、すぐに逃げるです」
「あぅあぅ〜、全力で逃げる〜」
ちびっ子3人の意見は正しい。私も同感だ。ただ、1人違うことを考えているのは、
「みんなのメイド姿……。はぅ〜。可愛い〜。その時はお持ち帰り〜」
みんなのメイド姿を妄想しているレナだけ。レナは可愛ければそれでOKだから、ある意味監督とは意見が合いそうだ。この2人が手を組まなきゃ良いけど。
と、私達が『メイド』という脅威に震えている傍ら、私の隣の詩音は少し険しい顔をしている。そして、
「……監督」
と、静かでそして、真摯な声。その声でざわついた応接室が静まり返る。
監督の顔も先ほどまでとはうって変わり、真剣なものになる。
「……そうでした。今日は皆さんに大事な話があるんです」
「もしかして『雛見沢症候群』のこと?」
監督の真剣な表情。それはあの時、私達に『雛見沢症候群』を説明してくれた時と同じものだ。だから、私は直感的にそう感じた。そして、それは正解だったらしく、監督は静かに頷きながら口を開く。
「ええ、それに関わる話です。『雛見沢症候群』。今年の夏、あの綿流しの日。私達は『雛見沢症候群』を火種としたあの事件に巻き込まれました」
「………」
あの事件はダム闘争と同じ、いや、それ以上にこの雛見沢を揺るがした事件だ。今でも私達当事者の心に強く刻まれている。
監督は皆の顔を見渡しながら、ゆっくりと続ける。
「しかし、その病気もつい先日、ワクチンの完成により、撲滅することが出来ました。今日はその件で皆さんに報告したいことと、謝りたいこと。そして是非会って欲しい人がいるのです」
「監督?」
そう言い終えた監督の顔にはどこか儚げな笑みが浮かんでいる。何だろう? 少し、不安だ。
監督の次の言葉を待つ私達。と、その時、不意に応接室のドアをノックする音が聞こえてくる。
コンコンッ。
「……どうやら彼が来たようですね」
ガチャッ。
監督が「どうぞ」と答えると、彼はゆっくりとこの部屋に入ってきた。
「え?」
「嘘!?」
「………っ?」
私とレナとそして普段は動じることの無い梨花ちゃんまでもが、この部屋に入ってきた“彼”に息を呑み硬直する。そして、梨花ちゃんの隣に座っていた沙都子がヨロヨロと立ち上がり、まるで幻にでも問いかけるように、“彼”を呼ぶ。
「……に、にーに?」
沙都子の震える声。それに彼―北条悟史は私が知る優しい笑みで答えた。
「ただいま。沙都子」
「にーに、にーに!!」
沙都子は悟史に抱きつくと、そのままその胸で泣きじゃくる。そして、それを見ていた私の眼にも涙が溜まる。なんか涙腺が緩い気もするけど、こういうときは良いよね。
悟史は沙都子の頭をやさしく撫でながら、その優しさのまま私達に顔を向ける。
「ただいま。皆」
その優しい笑みは間違いなく、私達が知っている悟史のものだ。だから私も、そしてレナも梨花ちゃんも精一杯の声で彼を迎えてやる。
「おかえり、悟史」
「おかえり。悟史君」
「悟史、おかえりです」
優しい笑顔の悟史。そして、それを特別待っていたもう1人も、涙を流しながら彼を迎え入れる。
「……悟史君。おかえりなさい」
「ただいま、詩音」
悟史は泣きじゃくる詩音の頭をやさしく撫でる。なんか、いいな。本当に良かったね。詩音、いや魅音。おめでとう。
「監督、これは……」
盛り上がる私達を尻目に、少し冷静に、というよりはまだよく状況を飲み込めていない圭ちゃんが監督に説明を求める。
「はい、正真正銘、本物の悟史君です」
「悟史って、確か1年前に行方不明になったんじゃ?」
「そのことなんですが、実はあれは私達が仕組んだことだったんです」
「仕組んだ? 監督、どういうこと?」
仕組んだという穏やかじゃない言葉に私も流石に反応する。
「もう、皆さんもご存知の通り、私は、私達は雛見沢に『雛見沢症候群』の研究に来ました」
「うん、それはこの前、聞いた。ダム闘争よりも前にここに来たんだよね?」
レナの言うとおりだ。監督は高野三四(夏の事件の首謀者)とダム闘争の前にここに来たんだ。
「そうです。そしてそのダム闘争がことの始まりでした」
「どういうこと?」
ダム闘争は確かにいろんな事件を引き起こした。そして、その裏にはダム闘争を利用した連中もいた。悟史の件もそういうことなんだろうか?
「皆さんにも前に話しましたが『雛見沢症候群』の発病は過度のストレスや、緊張状態によって引き起こされます」
「ああ、それが原因でこれまでの事件が起きたんだろう?」
冷静に答える圭ちゃん。こういうことには圭ちゃんの頭はよく回る。
そう。ダム闘争のあの張り詰めた空気。それが『雛見沢症候群』を発病させ、そしてその病気に操られた人々が事件を起こした。
「そうです。ダム闘争。そして綿流し。この2つが接点となり、4年間発病者が何らかの形で出てしまいました」
つまり、『雛見沢症候群』とオヤシロ様の伝説を利用したのが『オヤシロ様の祟り』ということ。そして目の前の悟史。つまりそれは、
「にーにーも発病したんですわね?」
まっすぐに監督を見据え問う沙都子。監督は静かに頷く。
「はい。悟史君も去年、綿流しの少し前に発病したのです。そこを偶然、私が見つけて……」
「ここで治療していたんですのね?」
「……はい」
そういうことだったんだ。悟史も『雛見沢症候群』を発病させてしまったんだ。だから、去年姿を消した。考えてみればそれは別におかしいことじゃない。去年の北条家の状態を考えれば。そして、今最後の『オヤシロ様の祟り』の謎、悟史の失踪の真相が解き明かされた。話は解かった。けど、少し納得できない点がある。
「あぅ、監督、なんでそれを今まで隠してたのです?」
羽入も気になってたんだろうその疑問を監督にぶつける。
「『雛見沢症候群』は機密扱いの事項でしたから……」
答える監督は俯むいている。ああ、そうか。これが監督の謝りたいことなんだ。国の秘密機関の人間だった入江。その機関の『機密』。それは個人の意思で同行できることじゃなかったんだろう。
「機密って……」
圭ちゃんが立ち上がる。納得出来ないんだ。確かに国にとって『雛見沢症候群』は『機密』。けれどそれは私達には、いや、沙都子と詩音にとっては『機密』なんて言葉で済ませられないこと。その気持ちは良く解かる。だけど、それで監督を責めても仕方がない。それは圭ちゃんも解かってるはず。ただ、感情では納得できてないんだ。
監督に詰め寄ろうとする圭ちゃん。それを私が止めようとするよりも早く、梨花ちゃんの小さな、それでいて確かな手が圭ちゃんを引き止める。
「やめるです。圭一」
「……梨花ちゃん」
「入江を責めても仕方が無いです。それに悟史は重度の状態だった。そうですね入江?」
「はい。その通りです」
「重度って……」
圭ちゃんは少しバツの悪そうな顔をして、静かに席に着く。圭ちゃんもその言葉が持つ意味の重さはよくわかっているんだ。
ただでさえ、危険な『雛見沢症候群』。それの重度。その危険性は想像を絶するだろう。
それまで静かに話を聞いていた悟史が静かに口を開く。
「……あの日、監督に会った時には僕はもうだいぶん混乱してた。何が本当で、何が嘘かも解からなくなってた。まわりが皆『敵』に見えてた。本当に何も信じられなかったんだ」
恐怖を体験した悟史の言葉。それは間違いなく本物だ。だから、その言葉は全員に届く。そしてそれを考えれば今日までの時間は待っていた私達だけではなく悟史本人にとってもそれは辛く長い時間だったんだ。
俯く悟史。そんな彼の肩を監督は静かに叩く。もう全てが終わったのだと。そして、悟史が顔を上げたのを確認して、監督は話、いや、もうこれは懺悔だ。懺悔の残った部分を続ける。
「それから私は彼を秘密裏に治療しました。彼を救うことがこれまでの償いになるとは言いません。けれど、せめてもの救いだと信じて。そして、今日、ようやく彼を、悟史君を皆さんの前に返すことが出来ます」
監督の頬を伝う涙。それは悔恨と贖罪の涙。
項垂れる監督。レナはその監督に静かでそして、透き通った意思で語りかける。
「これで本当に『雛見沢症候群』は終わったんですね」
「はい……」
「皆さん、今まで本当に申し訳ありませんでした。言葉で謝って済むことでは無いことは解かっています。皆さんが望むように私を裁いてください……」
監督のその姿は今にも罪に心を押しつぶされそうだ。なら、私達がすべきことは1つ。最初に動いたのはレナだ。
「監督、あなたが背負った罪は自分では許せない。だから私が、私達が許します」
「レナさん……」
「監督、俺達は監督を仲間だって思ってる。そして、監督も俺達を仲間だと思ってくれた。だから、俺も許すよ」
「……圭一君」
「そうだよ。悟史のことを治療してくれたんだもん。監督は私達の仲間さ」
「魅音さん……」
「まあ、知らせてくれなかったのにもやむなき事情があるのは解かりましたし」
「詩音さん……」
「僕も監督は悪いことはしてないと思うです」
「……羽入ちゃん」
「入江、胸を張るです」
「梨花ちゃん……」
「……監督」
「……沙都子ちゃん」
「にーにーをありがとうですわ」
「……はい」
今、ようやく最後の『祟り』が、監督の心に残った『祟り』が終わった。これで長かった『オヤシロ様の祟り 雛見沢連続怪死事件』は解決したんだ。今度こそ。
圭ちゃんと悟史は互いに静かに向き合う。
「お前が悟史か」
「圭一君だね」
「お前のバットには世話になったぜ」
「うん、話は詩音から聞いてるよ」
「そうか、なら、挨拶はいらないな。これからヨロシク」
「うん。こちらこそ」
硬く握られた手。そして、新しい時間が流れ始める。